本日の宿が決まりました!
おじいちゃんとおかしな双子に別れを告げ、ギルドを後にすると、カイはすっかり暗くなった街を、どこかに向けて歩いて行く。先程と違って手をつないでいないので、ともすればはぐれそうになる。コンパスの差って厳しい。
「[待って、待って]カイ!」
必死に呼びかけると、ハッとしたようにカイが立ち止まった。
「す、すまんナギ」
[もう! 早いよ! 追いつくの大変なんだから! 迷子になったらわたしどうにもできないんだよ!]
土地勘もなく、知り合いもなく、言葉も話せない、ないないづくしのわたしにとって、カイとはぐれるのは命取りだ。途方にくれるどころではすまない。
結構本気で怒るわたしに、カイはがしがしと頭を掻きながら、大きな身体をちぢこませた。
[お願いだから先に一人で行かないで! お願い、置いてかれたら困るの!]
自分でも今日知り合ったばかりの他人にひどい依存の仕方だとは思うが、今のわたしにとって、カイは命綱だ。カイには悪いが、溺れる者が藁をつかむのは仕方ないというものだろう。
カイの手をつかむのがはばかられたので、鎧の下に着込んでいる服の裾をつかむ。はー、ちょっとこれで一安心。
服の裾をつかんで一息ついたあと、カイの顔を覗き込むと、カイはなぜか目に見えてオロオロした。
「カイ?」
「あ、いや……その。悪い、早かったよな。えっと、どうするか」
「?」
カイはちらりと裾をつかむわたしの手を見た。あ、離せってことかな? 伸びちゃうか。
わたしは慌てて手を離した。
[ごめんね、ついつかんじゃった。服平気?]
「ゆっくり歩くか。これから宿に行くからな。あ、もちろん部屋は別にする! 心配しなくてもいいから!」
なんなの。ギルドでおじいちゃんたちになに言われたの。いや、おじいちゃんと話してるときは頭をぽんぽんしてきたりと、別に変わった感じはしなかったし、あの双子からなにか言われたのか。
あからさまに態度がおかしくなったカイに、わたしはどういった態度を取ればいいかわからなくなった。行きは手をつないできたのに、帰りは手を離す。うーん、かといって自分から手をつなぐのもちょっと恥ずかしい気もする。
[頑張って追いつくので、多少ゆっくり歩いてください!]
とりあえず宣言してみた。伝わらないけれど。そうだ、ここはボディランゲージで!……と思ったけど、その瞬間人とぶつかった。夜なのにお店が多いこの道は、意外と道行く人が多くて、いきなり立ち止まったわたしたちは邪魔になっていたらしい。
「行くぞ」
カイはなぜか深呼吸を一度すると、わたしの肩をトントンと叩いた。見れば前を指差す。多分「行くぞ」と言うことなのだろう。わたしは心の単語帳に書き留めた。わかりやすいジェスチャーをありがとう!
「行くぞ!」
お返しにポンとその腕を叩いて、わたしは横に並んだ。
しばらく速度を落としてくれたカイについて歩くと、一軒のお店にたどり着いた。ギルドのように看板がついている。ただ、看板は飾り文字だけなので、それを見てもなんのお店か推測できない。
「宿だ。や、ど」
「宿」
ギルドとは違い、入口に扉があった。カイは扉を開けると、迷わず中に入る。
中は十畳ほどのホールがあり、奥に質素な作りのカウンターがあった。ホールにはソファがひとつあるだけで、他にはなにもない。扉がみっつと、左手に階段がひとつあるきりだ。
「姐さん!」
「あいよー」
カイが声を張り上げると、カウンターの奥の扉が開いて、ふくよかなおばさまが現れた。若草色のシンプルなワンピースを着て、茶色い髪は編み込んで、くるりと頭に巻きつけている。
「カイのぼうやかい。おんや、珍しく女連れとはね! こんな小さな女の子、どうしたのさ?」
「ギルマスからの依頼先で拾った。彼女はナギって言って……むこうの大陸の子なんだが、こっちの言葉が話せなくて、生活様式も違うみたいで困ってるんだ。姐さん助けてやってくれないか?」
「イセルルートの? はー、そりゃ珍しいお客様だね。言葉が通じないなんて難儀だろうよ。バルルークさんも、サジぼうやにラズぼうやがいるあの家じゃ預かれなかったんだろうね。ナギちゃんって言ったかね、あたしゃ黒猫亭のメルルだよ」
おばさまは早口にカイと話すと、こちらを向いた。カイがおばさまを指差して名前を教えてくれる。毎度すみません。
「メルル、だ。ナギ。メルルさん」
「メルルさん」
このおばさまはメルルさんって名前らしい。
メルルさんは人好きのする笑顔を浮かべると、わたしの顔を覗き込んでゆっくりしゃべってくれた。さっきの早口と段違いのスピードに、ようやくホッと息をつく。リスニングもなかなか疲れるのだ。
「メルルさん、[川浪凪沙です。よろしくお願いします]」
「はいよ。ナギちゃん、食事はしたのかい? まだなら食堂へお行き。ほら、あっちのドアのむこうだ。終わったら声かけておくれ。お湯を用意するよ」
メルルさんはお腹をポンポンと叩くと、階段とは逆側にある扉を指差した。そちらの扉からはいい匂いがするので、多分食堂を案内してくれているのだろう。てことはここは宿屋?
「カイ、部屋はひとつでいいんだろ?」
「な、いやふたつで! ふたつ必要なんだ!」
カイが突然ものすごい勢いでおばさんに反論しだした。さっきから不審で困る。
「なんでだい、ナギちゃんは生活様式に疎いんだろ? アンタがサポートしてやらないでどうする!」
「部屋が分かれててもサポートはする。こう見えてナギは成人してるらしいんだ」
「成人?」
メルルさんはカイがそう言うと目を丸くした。まじまじとわたしを観察する。
「成人……ねぇ。そうは見えないけど、たしかにそれが本当だとしたら部屋は分けたほうがいいかもしれないね」
「ぜひとも分けてくれ」
真顔でそう言うカイに、メルルさんは弾けるように笑った。




