どうぞよろしく、ナギサ・ディルスクェアです!
旅の間のカイは常に鈍色の鎧を身にまとっていて、わたしのカイのイメージはその姿をしている。機能的な鎧はよく似合っていたけれど、そこに貴族っぽさはどこにもなく、手練の傭兵というのが頷ける姿だ。
だから、わたしと同じ生地の長衣に濃紺の詰襟のインナーシャツ、それに濃い暁色のマントをゆるく肩にかけているその姿は、結構衝撃的だった。ああ、この人貴族なんだな、とぼんやり思う。
なんなの、なんでそんなかっこいいの。年齢や経験に裏打ちされた自信のせいなのか、鍛え上げられた肉体のせいなのか、とにかく服に着られていなくてかっこいいのだ。馬子にも衣装的なわたしと雲泥の差だ。
「ナギ」
派手な衣装に身を包んだカイは、わたしの姿を認めると、幸せそうに微笑んだ。ヤバイ、晴れの舞台で鼻血なんか出したら一生の不覚だ。耐えろわたし!
「おいで」
差し出された手を取るのが、こんなに緊張するなんて!
わたしはバルルークさんとシャリルさんに軽く一礼すると、そっとカイの掌に手を重ねた。きゅ、と握られるだけで心臓が跳ね上がる。
「カイ、必ず幸せにするんじゃぞ」
「ナギちゃんは私たちの娘よ。哀しませたりしたら全力で潰すからそのつもりでね!」
バルルークさんとシャリルさんはニコニコと笑ったまま、カイに圧力をかける。こちらの世界のお父さんとお母さんは、どこまでもわたしに優しかった。
「さ、行きましょ!」
「はい」
シャリルさんの号令に従い、わたしたちはそのままバルルークさんのお家で一番広いホールへ移動した。そこで宣誓の儀とお披露目パーティーをするということだった。
「そのドレス、よく似合ってるな」
歩きながらカイが耳元で囁く。普通に話してくれればいいのに! 更にわたしの緊張感を煽ってどうするの!
照れ隠しにわたしは着ているドレスを繋いでいない方の手で撫でた。
光沢のある薄紫色のドレスはAラインで、優雅なドレープを見せるオーバースカートの下から、とても細かい刺繍が施された生地が見えていてすごく可愛い。上半身もオフショルダーにパコダスリーブと、肉付きの悪いわたしの身体でも綺麗に見せてくれる。
本当に、これを作ってくれたメルルさんには頭が上がらない。これがわたしに似合っているというなら、それはすべてメルルさんのお手柄だ。
「あ、ありがとう……。あのね、メルルさんのおかげなの」
裁縫上手なメルルさんに習えば、わたしも少しは上手くなるかな。正直、わたしはボタン付けくらいしかできない。こっちはミシンなんかないから全部手作業だし、服は簡単に買えるものじゃない。子ども服なんかは自分で縫ったほうがよさそうだと思う。
うーん、色々頑張らなきゃいけないことが多そうだ。
そんなことを考えているうちにホールにたどり着く。
扉を開けると、拍手で迎えられた。
「ナギちゃん、綺麗よぉ〜」
「うんうん、お兄ちゃん感動だよ!」
サジさんが涙ぐみながら、ラズさんが満面の笑みで声をかけてくれる。
「さあ、アンタたち主役はあっちだよ!」
「おっぱじめるとするか!」
メルルさんと黒猫さんは、ホールの奥へ案内してくれる。
「おめでとうございます」
「カイ、おまえさん上手くやったなあ! 随分可愛らしい幼妻じゃないか!」
「Sランクの傭兵もかたなしですね! お幸せに!」
メセドさんはじめ、ギルドの人たちからも祝福を受ける。
「さあ、はじめよう」
「ナギちゃん、気楽にね」
最後に、バルルークさんとシャリルさんが背中を押してくれた。
そうして、わたしたちは皆の間を通り抜けた先に待っていた神官のおじさんの前にたどり着いた。
窓を背にした神官のおじさんは、背に光を負って神々しい。
「ナギサ」
「はい」
カイと真正面から向き合う。両手を取られる。うひゃー、緊張するよ!
「私、カイアザール・ディルスクェアは、ナギサ・ゼウェカを妻とし、太陽神、蒼月神、紅月神、闇神に誓って人生を捧げ、守り慈しむことを宣誓します」
金の瞳がまっすぐわたしを射抜く。
よし、頑張るぞ! わたしは憶えたばかりの宣誓文を口にする。
「わたし、ナギサ・カワナミ・ゼウェカは、カイアザール・ディルスクェアを夫とし、太陽神、蒼月神、紅月神、闇神に誓って人生を捧げ、支え愛することを宣誓します」
身分証ではわたしの名前は“ナギ・ゼウェカ”となっているけれど、本名は違うということで、この宣誓文と誓約書だけは“ナギサ・カワナミ・ゼウェカ”とさせてもらっている。
カイは練習してくれたんだけど、こちらの人に“カワナミ”の発音はどうしても難しいらしくて、彼の宣誓文からは“カワナミ”の一言は消されている。けれど、それでも“川浪凪沙”として誓いを立てられるのはとても幸せなことだと思う。
「では、誓約書にサインを」
神官さんが誓約書とペンを差し出してきた。これに自分の意志でサインできることは幸せだ。本当にあの誓約が無効にできてよかった。
わたしは感慨深い気持ちで、カイの名前の下に丁寧にサインをした。次いで指先に針を刺してぷっくり膨らんだ血の玉を朱肉代わりに拇印をつける。ちょっと痛い。
サインと拇印が終わると、誓約書はふわりと銀色の光を放った。
「神の威光の下に、二人の婚姻の誓約を認めます。これからの人生に神の祝福がありますように」
神官さんは誓約書を押し戴くように軽く頭上に掲げると、穏やかな微笑みとともに祝福の言葉をくれた。
「愛と信頼をおまえに。ナギサ、愛している」
カイが額にキスを落とした。
「愛と信頼をあなたに。カイ、ずっと側にいさせてください」
わたしは手にしていた金の指輪を二つ、カイの掌に乗せた。カイは一つを自分の指に、もう一つをわたしの婚約指輪の上に重ねた。
これで、宣誓の儀はすべて終わりだった。ホッと力を抜いたわたしの耳に、バルルークさんの乾杯の声が聞こえる。見れば、皆手に木のカップを持っている。
「若き二人の門出を祝って!」
ああ、わたし、ようやくカイと家族になれたんだ。そう思うと、感激で胸がいっぱいになった。
これから先、平坦な人生ではいられない可能性はある。家のこと。子どものこと。わたしの力のこと。色々あるだろう。
けれど、この繋いだ手が側にある限り、わたしは頑張れる。
名前のように凪いだ人生もいいけれど、凪とは風が止まると書く。風が止まり進まない人生より、風を受けて前に進んでいく人生がわたしにはきっとあっている。
わたしはカイを見上げた。柔らかい微笑みを浮かべて、カイがわたしを見つめてくれる。
誰かが開け放った窓から、芽月の少し暖かい風が吹き込んできた。かすかに花の香りもする。
今日は結婚式に相応しい快晴だ。窓の外にはどこまでも青い空と、美しい街並みが望める。日本と違うその景色を、懐かしいと思えるくらいにはわたしはこの世界に馴染んでいた。
「これからもよろしくね、カイ!」
「ああ、ともに生きよう」
わたしたちは顔を見合わせて笑った。
この新しい故郷で、わたしはあなたと生きていく。




