間違っていても筋書きをゴリ推すタイプの探偵だよ
町田紅葉は自信満ち溢れた表情で、私――一条院楓を殺した犯人を桜崎小春だと断言した。それに対して小春が瞳を爛々と輝かせているのは彼女の追い込まれているほうが私って可愛い的思考によるものなのか逃げおおせる自信があるのか。
とはいえ、私としては私の消えてしまった死体のほうが重要である。一刻も早く、明らかにしてもらわなければならない。
「えっ? 私がどうやってですか?」
「方法を尋ねるんですね。こういうときはどうしてですか? って動機を問うもんじゃないですか?」
「ええ、そうなんですか。私、あまりミステリーとか好きじゃないので知りませんでした」
心の底から初めて知ったとばかりに目を丸くさせる小春だが、口の端が笑いをこらえるかのようにわずかに上がっているのは彼女がひどく愉しくなっているのに違いない。生粋のヒロイン体質。どんな過酷ないびりにも耐えられるタフなメンタル。私は彼女ほどヒロインに向いた人間を知らない。
「人間は人の死が好き。誰かの秘密も大好き。つまり、他の誰かのことが気になって仕方がない。だから、ミステリーという娯楽があると私は思っています。それが好きじゃないというあなたはきっと外にあるものではなく内にあるもの。例えばあなた自身のことが好きなんでしょう。そんなあなたに相応しい動機があるとすれば襲われたといういかにも被害者じみたものが良いのでしょうね」
紅葉は自分の胸元で重ねた手を小春のほうにくるりとひっくり返す。まるでため込んだ水を与えるような優しげな仕草だが言葉には悪意しか感じられない。それでも彼女が穏やかに見えるのは表情や語気が乱れないからだろう。
「襲われたと、いうことは私が楓さんにということですか?」
「そうです。おそらく正当防衛が認められるでしょう。良かったですね。人を殺しても許されますよ」
私が小春を襲った? そんな記憶は私にはない。それに私を殺しておいて正当防衛で無実というのはあまりにも小春が有利すぎる。
「……? なら、楓さん殺人事件は解決ですか?」
いきなり罪を許されて小春が理解が及ばないのか目を白黒させる。
「ええ、結末だけを述べれば解決。ねっ、簡単でしょ?」
「委員長ちゃん。それは省略しすぎじゃないかな。もっとちゃんと説明しないと」
大沢から物言いが入ると紅葉は非常に不本意という顔で「私、先生の依頼でここにいるのに。先生が物言いってひどくないですか?」と不満を口にしたが、コホンと一息をつくとまた表情をすましたものへと戻した。
「では、仕方ありません。省エネはやめて真面目にやりましょう。まず、事件の起こりは婚約破棄をされた一条院楓の部屋に小春が向かうところから始まります。小春は扉越しに言います。『私のせいで婚約破棄になってしまってすいません。私、そんなつもりじゃなかったんです。でも話が進んでしまって』なんて感じでしょう。これを聞いて普通の女性だと思いますよね。『悲劇のヒロインかましてるんじゃねーぞ』って。楓も例に漏れず。小春の発言に怒って彼女を部屋に招き入れます。そこで彼女は脅しか嫌がらせか小春に刃物を向けます。少なからず殺意はあったでしょう。でも、殺されたのは楓でした。きっと刃物を持ったままもつれ合って小春に刺されたのです。動かなくなった楓を目の前にして、小春はこのままだと死体が見つかると思って楓の部屋のルームキーを持ち出して鍵をかけます。こうして楓が発見される朝まで部屋は密室になったのです」
見てきたような展開だが、私自身の記憶とは全く合致しない。私は眠りについたまま死んだはずである。
「では、翌日の朝に桜崎が一条院の部屋の前で騒いでいたのは?」
「持ち出してしまったルームキーを戻すためと死体を発見させるためです」
「じゃー俺はまんまと桜崎の誘導されて、光岡さんからマスターキーを借りて一条院の死体を見つけてしまったわけか?」
紅葉はいかにも馬鹿にしたニマニマとした表情で大沢を見つめる。
「ええ全くそうです。先生があのとき小春を構わなければ、ルームキーは戻されることなどなかったのです」
「そんななんてことだ」
ひどく慌てたような言葉だったが、大沢の表情も口調もなにか作り物めいて本当にそう思っているのか疑問がある。なによりも私の部屋のキーが発見されたという話はない。まだ見つかっていないはずである。
「これが一条院楓殺人事件の全容です。小春、反論はある?」
「……ありません。そうです。私が楓さんを……殺しました。そして、鍵を戻すためにわざと騒ぎを……」
嗚呼、と涙を両目にためながら小春が床に崩れ落ちる。その姿はまさに悲劇のヒロインと言った様子ではあったがそれを眺める人間たちの目は冷ややかであった。
「一体、君たちは何の話をしているんだ? 一条院の部屋の鍵はまだ見つかっていない。それにそれだと一条院の死体が消えた理由も分からない。そもそも、一条院が部屋に籠ったのは俺が婚約破棄をしたあとじゃない。安達が殺されて「犯人がいるような場所にいれない」とか言って引き籠ったんだ。お前の言う話と現実はまったく違う」
上川は宇宙人でも見るように紅葉、大沢、小春を順番に視線を動かした。その様子は怒りなどよりも動揺や恐怖というのが正しい。自分が知っている事実とまったく違う事実が語られているのである。どんなに信用していた人間でも疑うほかにないだろう。
「まるでパラレルワールドから来た人間がなにかを語っている。世界線が知らないうちに分岐していた。そんな感覚に陥っているならそれは正しい感想ですよ。なぜならいま話したのは本来起こるべき殺人事件の真相なのですから」
紅葉が私と同じ顔で上川を肯定する。
「本来起こるべき殺人事件? どういう意味だ?」
「予定されていた未来ではあなたは婚約者を殺され、愛した女性は殺人犯となってあなたの前から消える。そういうシナリオだったんです。この悲しくも愛に満ちた事件であなたは青春の一ページに二人の女性を秤にかけてはいけない。一途に誰かを愛するという人生の教訓を得るはずだったのです」
確かに婚約者を裏切り、新しい恋人が婚約者を殺したとなれば、生涯の教訓を得るだろう。青春の一部というにはやや大きな傷。だが、そこから得られることは多い。とくに上川のような巨大な財閥の跡取りとなればなおさらだ。
「……本来? 教訓? どういうことだ? お前たちは一体?」
「考えたことありませんでしたか。親が決めた婚約者。婚約者に苛められても健気に微笑むヒロイン。まるで小説やドラマのような境遇だと」
「……それは、まさか……」
「大きな権力や財力を持った人間が考えることはだいたい一緒です。自分の力を子供にも伝えたい。そのためにもスキャンダルだけは何としても避けたい。なら、どうすればいいか。すべてを用意してやればいい。美しいが気の強い婚約者。婚約者にはない優しさをくれる彼女。そして、それらは青春の終わりと同時に綺麗な終わりであったり、心に傷として残り教訓となる場合もある。ここまで言えば簡単ですよね」
「嘘だ。そんなことが……」
「あるんですよ。そのための一条院楓であり、桜崎小春だったのです。両手に花の青春なんて普通ならできませんよ。そして、それらを演出したのが大沢先生です。悪い人ですよね。青春をいじることにかけてはプロなんですから」
「人聞きが悪いことを言うねぇ。俺は依頼を受けてやってるだけ。お仕事だよ。それに作り物ではあってもいい青春だと思うよ」
大沢はうんうんと一人で納得して見せるが上川は事態を正確に把握しきれない様子であった。疑心暗鬼のような表情で結城や御堂の顔を窺った。
「安心しなよ。結城や御堂。そして安達は君のちゃんとした友達だ。彼らは用意した者じゃないさ。正真正銘の偽物は俺や一条院、桜崎だけだ」
安い言葉で大沢は彼らの友情に太鼓判を押したが、それが響くかは疑問が残る。
「というわけで今回の旅行であなたの高校生活は少し苦い思い出を残して終わる予定だったんです。ですが、私たちにも予想外のことが起きた。それが安達が殺されたことです。まさか、本当の殺人事件が起きるとは私たちでさえ考えていませんでした」
紅葉はこの場にいる全員の顔をぐるりと見渡した。
「ただ、分かるのは犯人はこの場にいる誰かということです。なので私たちは本来の予定を一部変更しました。一条院楓は殺す。この点は変えないで彼女の身体には消えてもらう。そうすることで本来いない人間をこの屋敷から一人を脱出させることができるからです」
なぜ、私の記憶が眠りの中で死を迎えたのか。
そして、なぜ死んだ者が幽霊のように語るのか。作り物だからである。
一条院楓という人間が配役の一つであったからだ。実にズルい答えであるが、最初から私は『悪役令嬢』であると名乗ってきた。
そもそも物語に登場する『悪役令嬢』がなぜ性悪令嬢と言われないのか。
それは簡単なことだ。悪役としての役割を与えられているからだ。そして、役割とは配置されるものだ。私――一条院楓は最初から『悪役令嬢』として配役されていた。それが死後になって語り部として再配置された。それが私である。
「新しい予定はこうだ。一条院楓はやはり桜崎小春に小春に殺された。しかし、朝になって桜崎にうながされて一条院の死体を発見した俺は、桜崎の仕業だと気づいて部屋を再度、密室にして桜崎に一条院の死体を解体させて隠させた。動機は生徒を人殺しにさせないため。俺の教師としての優しさを示す良いエピソードだろ?」
大沢は自信有り気に微笑むが、誰一人として同意はしなかった。
「事実は、一条院楓を演じていた私が屋敷を出て救援を呼ぶためです。発見直後に部屋に鍵をかけたのは私が消えることを隠すため。そして、私が部屋を出た際に鍵をかけなかったのは、部屋にあるはずの一条院楓の死体が誰かに解体され、持ち出されたと認識してもらうためです。その結果、一条院のルームキーは見つからないままになった。架空の一条院が消え、いないはずの町田紅葉が現れたことを隠すための虚構の殺人事件。これが真実です」
「……救援?! それは本当でございますか?」
黙って聞いていた光岡がはっと我に返る。
「はい。来ますよ。いまからきっちり一時間後に」
「一時間後? どうしてそんな……」
「それはそれまでに事件を解決してほしいと依頼があったからです」
「まさか……父さんが?」
「そうです。あなたのお父様からはスキャンダルにならないようにカバーストーリーを含めてあなたを巻き込まないように事件を解決せよと依頼を受けております。お優しいお父様を持たれて良かったですね」
紅葉はそれを笑顔で伝えたが、語調はややきついものだった。
「事件を解決できるというのか?」
上川が震える瞳のまま訊ねる。彼からすればもう何が真実で嘘か分からなくなっているに違いない。そもそもここで起きた殺人事件のすべてが嘘だと良いとさえ思っているに違いない。だが、私をのぞいた二人は虚構の産物ではない。
「できますよ。そのために私はここに来たのです。では、次は安達がどうやって殺されたのかを考えてみましょう。と、言っても難しいところは一つだけなんですけどね」
紅葉は人差し指を一本立てると片目を器用に閉じて見せた。
それはこんな場面でなければ多くの人を魅了させたかもしれないが、この場ではあまりの場違いだった。




