33 勇者は、禁忌を目のあたりにする
――おかしい。
エルシアは、はっきりとそう思っていた。
(さっきまで……)
戦況は、完全にこちらのものだったはずだ。
距離は保っている。
魔法の詠唱も通る。
千眼の魔獣による干渉も、確実に効いていた。
勇者は確かに強い。
だが、対処できないほどではない。
(なのに――)
今は、状況が逆転している。
索敵魔法が、定まらない。
視界に映る勇者の位置が、数秒ごとに揺らぐ。
「……千眼、どうなってるの」
問いかけに応じるように、蛇が低く唸る。
無数の魔眼が、同時に情報を送り返してくる。
だが、それは“情報”とは呼べない代物だった。
右にいる。
いや、左だ。
背後。
正面。
すべてが、同時に“正しい”。
「……認識阻害?」
エルシアは歯噛みする。
魔力遮断でも、完全不可視でもない。
感覚そのものを壊すタイプ。
(厄介ね……)
大概の認識阻害ならそのまま突破できる自信はある。
だが、この謎の技は普通にやっていても突破できない。
彼女は即座に切り替える。
「距離を取るわ。範囲型に切り替え」
詠唱。
「《殲滅円陣・展開》」
周囲一帯に、魔力が走る。
位置を問わず、範囲内の存在をまとめて薙ぐ魔法。
(これなら――)
だが。
魔法は、空を切った。
「……外れ?」
あり得ない。
勇者は、確実に範囲内にいたはずだ。
次の瞬間、蛇が大きく身をよじる。
胴体の一部が、深く斬り裂かれていた。
「っ……!」
(読まれてる……!?)
いや、違う。
(見えてないのは……こっち?)
エルシアは、背筋が冷えるのを感じた。
不可視領域。
範囲内では、感知も索敵も信用できない。
(範囲限定?もしそうなら、外に出れば効果は消える?)
「千眼、後退!」
蛇が距離を取ろうとする。
だが、その動きが、明らかに遅い。
判断が、遅れる。
どの方向が安全か、確信できない。
「……っ、鬱陶しい!」
エルシアは舌打ちし、次の手を打つ。
「《魔力干渉解除》」
対象指定。
強制的に異常効果を剥がす魔法。
――しかし、効果は薄い。
世界の“歪み”は、残ったままだ。
「……そんな」
額に、汗が滲む。
(即席で使えるレベルのスキルじゃない)
魔力消費も、異常なはず。
だが、それでも勇者は攻め続けてくる。
蛇の悲鳴が、また一つ。
「千眼……!」
魔獣はまだ戦える。
だが、確実に追い詰められている。
(まずい)
エルシアは、初めて明確な焦りを覚えた。
(このままじゃ……私が、負ける)
勇者は、勇者スキルすら使っていない。
それでも、この圧力。
(勇者スキルを使わないのは、四天王を舐めてたから……?)
否。
舐めていたのは、こちらの方だったか。
勇者の“底”を把握していなかった。
エルシアは、一瞬だけ目を伏せる。
脳裏に浮かぶのは、決して使うつもりのなかった術式。
――禁忌魔法。
(……でも)
ここで退けば、終わりだ。
四天王の名も、魔王軍の威信も。
何より。
(このまま負けるなんて……つまらないじゃない)
エルシアは、ゆっくりと息を吸う。
「千眼」
蛇が、わずかに首をもたげる。
「少し、付き合ってもらうわ」
魔力が、膨れ上がる。
明らかに、これまでとは質が違う。
恒一が、違和感に気づいた瞬間。
「――禁忌魔法・《融合》」
世界が、軋んだ。
エルシアの身体が、光に包まれる。
同時に、蛇の巨体が崩れ、魔力の奔流となって吸い込まれていく。
「……なっ」
次の瞬間。
そこに立っていたのは――
人の姿を保ちながらも、背後に蛇の影を纏う存在。
銀髪の間から覗く瞳は、赤く、無数の魔眼のように輝いている。
腕には、鱗。
背には、魔力で形成された蛇の胴。
「はぁ……はぁ……」
エルシアは荒く息を吐き、口元を歪めた。
「やっぱり……これ、疲れるわね」
だが、その表情は。
恐怖ではなく――愉悦。
「でも、これで対等……いえ」
彼女は、勇者を見据える。
「ようやく、“遊べる”かしら」
禁忌によって生まれた、新たな四天王。
戦場の空気が、完全に変わった。




