27 勇者は、影を見る
覚醒したと言っても、魔族領の空気が変わったわけではない。
相変わらず空は重く、地面は荒れ、魔物の気配はそこかしこに満ちている。
――変わったのは、俺のほうだ。
(……魔力の流れが、はっきり見える)
以前は「感じている」だけだったものが、今はまるで地図のように頭の中に浮かぶ。自分の魔力、周囲の魔力、そして敵の魔力。その境界線が、驚くほど明確だった。
そんな中で、魔力の反応が一つ、正面から近づいてくる。
「来たか」
姿を現したのは魔族だった。人型で、黒い外套を纏い、手には歪な刃を持っている。魔力の質から見て、前に戦った者たちよりも一段上――だが、ヴァルゼインほどではない。
「単独で魔族領を進む勇者……噂通りだな」
魔族が嗤う。
「たった一人。覚悟はできているか?」
「そっちこそ」
言葉と同時に踏み込む。
剣を振るった瞬間、魔族の目がわずかに見開かれた。
――速い。
以前よりも、明確に。
自分でも分かる。無駄が削ぎ落とされ、動きが直線的になっている。剣聖補正に頼っていた頃とは違う。今は、自分の判断で、自分の身体を動かしている感覚があった。
魔族は防御魔法を展開するが、斬撃はそれを押し潰すように突き抜ける。
「なっ……!」
(間に合わない)
魔族がそう理解した瞬間には、もう遅い。
肩口を斬り裂かれ、距離を取ろうと後退するが、逃がさない。追撃。連撃。剣が空気を裂き、魔族の魔力が乱れる。
反撃はあった。闇属性の魔法、刃のような魔力弾。だが――
(見える)
軌道が。発動の兆しが。
身体が勝手に動く。避け、弾き、踏み込む。
数合も打ち合わないうちに、勝負は決した。
魔族は膝をつき、荒い息を吐く。
「……ばかな。情報では……」
「情報は、更新しとかないと困るよ」
最後の一撃を叩き込み、魔族の気配が消える。
――圧勝だった。
(……これは)
ヴァルゼインと戦った時のような、拮抗や消耗はない。
同格以下の魔族相手なら、もう長引くことはなさそうだ。
そう思った、その時だった。
ぞわり、と背筋を撫でる感覚。
(……何だ?)
魔力探知に、ノイズのような反応が混じる。魔物でも魔族でもない、曖昧な輪郭。
次の瞬間、闇が“立ち上がった”。
影が、形を持ったかのような存在。
四足獣のようでもあり、人型のようでもある。輪郭は揺らぎ、黒一色で、目に当たる部分だけが鈍く光っている。
「……魔物?」
答えは返らない。
影は跳ねるように距離を詰め、爪のような何かを振るってきた。
剣で受ける。――受けた、はずだった。
(軽い?)
衝撃はあるが、手応えが薄い。斬り返すと、確かに当たった感触はあるのに、血は出ない。
「……妙だな」
魔法を放つ。光属性。影は焼かれ、形を崩すが、完全には消えない。まるで煙を払っているような感覚。
(実体が……不安定?)
ならば、と踏み込み、全力の斬撃を叩き込む。
影は大きく裂け――
次の瞬間、霧散した。
黒い煙のように広がり、風に溶けるように消えていく。
そこには、死体も、核も、何も残らなかった。
「……なんだったんだ、今の」
自然魔物でも、使役魔物でもない。
ましてや、魔族でもない。
嫌な予感だけが、胸に残る。
――視線を、感じた。
遠く。とても遠く。
だが、確かに“見られている”。
それがなんなのかまでは、俺にはわからなかった
※※
魔族領のさらに奥。
影に包まれた空間で、一つの存在が静かに観測していた。
「ほう……」
低く、感情の読めない声。
「“影”を斬るか。まだ未熟だが……十分だな」
視線の先には、勇者――相川恒一の姿。
「やはり、勇者という存在は――」
愉しげな気配が、わずかに滲む。
「――面白い」
その言葉と共に、影は完全に溶け、世界から消えた。
恒一は、まだ知らない。
自分がすでに、四天王最強――『影の者』に認識されたということを。




