師は教えてくれなかった
目が覚める。コンディションは悪い。まだ布団の中に入っていたい。
呆れたように、シャロが布団をはいだ。
「なにやってるのよ」
「いや、何軒も梯子させられて。修行の話とか訊かれて。気がついたら朝日が見えてて」
「刹那は厄介な誘いの断り方までは教えてくれなかったようね」
「ああ、そうだ。師は教えてくれなかった」
「もうその歳になれば自分の問題だわ」
呆れたようにシャロは言う。
尤もなので返す言葉もない。
「ほら、目を覚ましなさい」
そう言って、刀を手渡される。
その時、散漫だった注意力が一箇所に集中するような感覚があった。
意識の靄が消えて透き通っていく。
刀を持った瞬間、一馬は剣士になっていた。
「スイッチの切り替えは教えてもらったみたいね。じゃ、朝食と洒落込みましょう」
そう言って、シャロは赤色のロングスカートを翻して歩いて行く。
最初に着ていた黒のワンピースはともかく、尻尾を隠す必要があるシャロは基本的にはロングスカートだ。
「なあ」
一馬は問う。
「なあに?」
「寝てる俺の横で着替えたのか?」
無言で殴られた。
第一印象のせいかシャロはこういうからかいに当たりが強い。
(迂闊なこと言っちまったなあ……)
悔いても遅かった。
+++
シャロとの朝食選びは、ちょっとしたデート気分だった。
あの店が良さそうだ、この店のサンドイッチを一度食べてみたい、言い合いながら歩く。
そして、結局シャロの輝く瞳に耐えられずに、サンドイッチで食べたいという意見に押し切られ、二人でサンドイッチを片手に町の中央の公園へ行く。
そして、木陰にならんで座ってサンドイッチを食べた。
こんな思い出でも、将来は忘れられないものになる。そんな予感があった。
シャロは猫だ。
一馬は人間だ。
それぞれの家庭を作らなくてはならない。
例え、一馬達が相棒だとしても。
「どうしたの? 口止まってるけど」
「ちょっと考え事してた」
苦笑して、サンドイッチをかじる。パンは少し硬いが、ベーコンとサラダの美味しいサンドイッチだった。
ただ、異世界人の身として言わせてもらえば、調味料が足りない。
(調味料のレシピ持ってきてたら一攫千金できてたなあ)
そんなことを思う。
「ところで千万リギンってどれぐらいの額なんだ?」
「王都に家が建つわね」
一馬は天を仰いで、後頭部を木にぶつけて痛い思いをした。
「ふっかけたなあ」
「一馬。あなたの命の価値はこんなもんじゃないのよ。私はそれをわからせたいだけ」
「……うん」
予想外の一言に、戸惑う。
「案外俺を評価してるんだな、お前」
シャロはそっぽを向いた。
「デリカシーがないとこ以外は信頼してるわよ、相棒」
なんだか一馬はたまらなくなってしまって、空いた片方の手でシャロの手を握った。
シャロは、意外と抵抗しなかった。
手をつなぎながら、二人でサンドイッチを食べる。
「こっちの味、見てみる?」
シャロがそう言って、自分の歯型のついたサンドイッチを差し出してくる。
「じゃあ、こっちはお前に」
そう言って、一馬は自分の食べていたサンドイッチをシャロに渡す。
交換は終わった。
二人で咀嚼する。
「仲睦まじいことだわさ」
からかうような声がした。
キジトラの猫を肩に乗せた少女が、腕を組んで二人を見ていた。
キジトラ。
刹那の情報によれば、攻撃スキルに特化した猫。
昨日、一馬達を建物の二階からからかった少女だった。
「私もギルドから正式に依頼された身。そして、正式な依頼を受けたのは私達二人だけ。仲良くやりましょう」
「あんたもあなたにしか頼めないとか言われて抱き込まれたクチか?」
「私は隣町から来てるからね。この町の受付嬢は無実だわさ」
「そうか」
一馬の返事を聞きながら、少女は一馬の隣りに座る。
「デート中失礼するだわさ」
「デートじゃありません」
シャロが冷たい声で言う。
「その繋いだ手はなに?」
少女は心底楽しそうだ。
「一馬が勝手に繋いだだけ」
そう言って、シャロの手は逃げようとする。それを、勢い良く掴んだ。
本気のシャロなら逃げ出せたはずだ。
けど、シャロはそれをしなかった。
そして、諦めたように溜め息を吐いて、手に篭める力を緩めた。
「私の名前は神堂静流。静流でいいだわさ」
「俺は一馬。一馬でいい。こっちはシャロ」
「……猫?」
「ども」
シャロはそう言ってサンドイッチを持った片手を上げる。
「種類を隠すような帽子にロングスカート、意味深だわね」
静流はからかうように言う。
もしくは、事情は筒抜けなのかもしれない。
「ねえ。やってみない? 最強の矛が勝つか、最強の盾が勝つか」
「君っていつもそんな好戦的なの?」
「契約者を持った黒猫と会ったのが初めてだからよ」
「どっちが良い働きをするかで勝負しようぜ。戦いの前に消耗するのは馬鹿のすることだ」
「それじゃあ戦いの前日に飲み歩いてたあんたは相当馬鹿だわさ」
ぐうの音も言わずに一馬は黙り込んだ。
静流は大きな声で笑った。子供みたいに無邪気に。
いや、実際子供なのだろう。
第七話 完
次回『その瞳に輝きはなく』




