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スタート地点

「地図によればこの辺りのはずなんですよね」


 御者が呟くように言う。

 一馬が馬車から身を乗り出すと、大きな柵に囲まれた広々とした土地が見えていた。


「ここが俺達の土地かぁ」


 遥と静流も、身を乗り出す。


「宿にも困ったスタート地点からよくぞここまで来たものだわさ」


 静流が感慨深げに言う。


「まったくだな。一つ成し遂げた感がある」


 遥も感動しているようだ。しかし、冷静に言葉を付け加えた。


「それにしても畑もないし建物も二つだけだな。大工待ちなのか?」


「それは実際に会って聞いてみよう」


「一馬、あんたの人選大丈夫なんだわさ?」


「言い忘れてたがな。俺は組織のトップに立った経験は一度きりだ。それも周囲から持ち上げられただけでな」


「悪の秘密結社でも率いてたんだわさ?」


 静流が滑稽そうに言う。


「結城さんに敵対するような怖い真似は俺にはできかねるね」


 そう言って、一馬は肩を竦めた。

 そのうち、門が見えてきて、一同はその前で立ち止まった。

 門は巨大な閂で閉じられている。


「俺だー、開けてくれ!」


 一馬が言うと、中から人が近づいてきた。

 一人は、背が低く、肩幅が広い男。名前を大々という。

 一人は、細身で眼鏡の男。名前を徹という。

 すぐに閂が抜かれた。

 門が開く。


「いやあ、今度は遊具公撃破とは。いよいよ次は十剣か?」


 そう言って、大々が一馬の肩を叩く。


「第一席とも良い勝負をしたという噂は徐々に国中に広がっているようですよ。あなたの名前を出せば町に魔物が出ても追い払えるかもしれません」


「それはいいんだけどさ」


 一馬が、周囲を見回しながら言う。

 建物が二軒しかない。


「村は……?」


 沈黙が漂った。


「大工がいねえんだよなあ」


 大々が嘆くように言う。


「地元の大工は公共事業に従事しているし、かと言って王都にツテもない」


「寝所と木材置き場は作ってもらえたのですが、まあ私達二人で家を建てられるわけもなくというわけでしてね」


「つまり全くのスタート地点だと」


 大々と徹は顔を見合わせると、申し訳無さげに一つ頷いた。


「どうしたものかな」


「それならいい手があるよ」


 そう言ったのはあやめだ。


「手があるんですか?」


「第三席は生まれつきのいいとこのボンボンだ。お付きの大工ぐらい持ってるだろうさ」


 そう言うと、あやめは馬車に置いてあった荷物から紙とペンを取り出し、ペンを氷の上を踊るスケート選手のように走らせた。


「これ、足の速い人持ってってくれる?」


「それじゃあそれは俺の役目かな」


 一馬が言う。


「ボスはどんとしてなさいよ」


 そう言って、シャロがあやめの手紙を受け取った。


「ちょっとひとっ走り行ってくる」


 そう言うと、シャロは風のように駆けていった。


「いいなあ。自分の町で老後を過ごす。穏やかな風が髪を撫で、しわがれた体を日光が暖める」


 一馬はそんな未来を想像して、わくわくしてきた。


「家の裏には桜の木。春になるたびに綺麗な花が咲く」


 あやめは一馬の手を取った。


「横に孫やお子さんは?」


 一馬は、そこで気がついた。

 自分に、子供ができる可能性をいつの間にか考えていないことを。


「いないな。代わりに、シャロがいる」


「そっか」


 手を握られても、違和感はなかった。

 彼女は、どこまでも、幼馴染に似ていた。


「いつまで手繋いでるの?」


 遥が冷たい声で言う。

 一馬は慌てて、手を離した。

 あやめは愉快げな表情になる。


「君は私を見ると懐かしげな表情になる。君の心の中には、誰かがいるね」


 反論ができずに、黙り込む。

 かつて住んでいた世界にいた彼女のことを、愛してはいなかった。けれども、彼女は恩人だった。


「二十年近く生きてると色々あるのさ」


 そう、一馬はぼやくように言った。


「ふうん。興味深いね」


「喋らないぞ」


「喋らせるのが私」


 サキュバスの血がそうさせるのだろうか。あやめは自信満々だった。



第五十四話 完

次回『平和な日常』

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