二神一馬
「私の眼鏡を助けるためにわざわざ人混みを止めたんですか?」
馬車で出発する際、愛はやはり嫌味のように訊いてしまう。
「迷惑だったかな」
一馬は側頭部をかきながら言う。
「恩着せがましいとは思いませんか」
「そうかもしれない」
一馬は素直だった。しょげてしまっている。
二人が馬車に乗ると、御者が手綱を掴んで馬を歩き出させた。
「王都では噂の十剣見習いも、メンタル面はそんなに強くないようですね」
いけないと思いながらも嫌味を続けてしまう。
「噂になってるか」
一馬は苦笑交じりの表情で言う。
「ええ。結城くんと互角でやりあう人間なんて向こう数十年は出ないと言われていましたからね」
「結城さんは強いよ。あのまま戦いが続いていたならば、膝を折ったのは俺だっただろう」
なんだか調子が狂う。
十剣なんて、自信家の集まりだと思っていた。
勿論それは自分の肩書きに対する誇りの裏返しなのだろうが。
しかし、この青年にはそれがない。
愛は少し、この青年に対して好印象を抱いた。
「変な人ですね。だから十剣入れ替え試験にも出ないんですか?」
「いや、俺は十剣に興味が無いんだ」
それも予想外の台詞だったので、愛は思わず身を乗り出した。
「十剣に興味がない? 様々な便宜がはかられるのに?」
「ああ。なんというか、そういう立場はもうこりごりなんだ」
こんな人間もいるのか。
愛は感心するような思いでいた。
名声に興味を持たず、在野で無名のまま朽ちていくことを望む。
この男は、十剣とは違うかもしれない。
そんな思いが、愛の胸に湧いた。
「変な人ですねえ」
愛は思わず苦笑していた。
一馬の表情が緩んだ。
「やっと笑顔を見せてくれた」
愛は慌てて真顔になる。
「口説いているつもりですか」
「滅相もない」
そう言って、一馬は肩をすくめた。
「この辺りは不死公の領土だった場所です。夜までには抜けたい。少し速度を上げますよ」
御者が言う。
「お願いします」
そう一馬が言う。
馬車が勢い良く揺れ始めた。
その時、眼鏡が落ちた。
手を伸ばすが、掴めない。運動神経の良い方ではないのだ。
たくましい腕が、眼鏡を掴んでいた。
一馬だ。
「バンドをつけたほうが良さそうだな」
一馬はそう言って、布を裂き始める。
そして、眼鏡に縛り付け始めた。
「両方の弦に紐をつけたから、これを後ろで縛るといい。もう落ちないだろう」
「……ありがとう」
眼鏡を掛けると、一馬は安堵したような表情になっていた。
「なんでそんな安心したような顔をしているの?」
「いや。また嫌味を言われるかと」
「人をクレーマーみたいに言わないでよ」
そう言いながらも、後ろで眼鏡の紐を縛る。
鼻に眼鏡がぴったりフィットするような感触があった。
これはいいかもしれない。
そんなことを思う。
一馬は微笑んで外の景色に目を細めている。
「気温が高くなってきたなあ」
「春もそろそろ終わりね」
「暑さにうだる夏の始まりだ」
「そうね。日に焼けるのは苦手だわ」
「てっきり室内で研究しているものだと思っていた」
「治水工事に駆り出される毎日よ」
「大変なんだな」
「だから私は本を持って移動するの。新しい論文を読む時なんてわくわくが止まらないわ」
なんで自分は初対面の人間にこんなに饒舌になっているのだろう。
話すのは苦手なのに。
そう思いつつも、愛は喋った。
「やっぱ研究家なんだなあ。まあ、俺も剣術の研究家といえば研究家だが」
剣術の研究家。その発想はなかった。
少し、十剣に親近感を覚えている自分がいた。
「君は不思議な人だね」
愛は膝を抱え、素直な気持ちを伝える。
「よく言われるけどなんでかな」
「君は素直だから、心の中の先入観が次々にこぼれ落ちていく気がするよ」
「結構ひねくれ者だと思うけどな」
愛は思わず笑った。
「それはないね」
「ないか」
「ない」
愛は愉快な気分になっていた。
なんで十剣見習いと話していて愉快な気分になっているのか、自分でもわからなかった。
その時のことだった。
「道を阻むように、人が立ってる」
御者が戸惑うように言う。
確かに、道を塞ぐように一人の旅人が立っていた。
背中に二本、腰に二本、鞘に収まった剣を装備している。
旅人は、剣を一本鞘から抜くと、静かに構えた。
「止めてくれ」
一馬が言い、馬車が止まる。
そして、一馬は刀を掴むと、馬車の外に出ていった。
素人の自分でもわかった。
旅人の剣の構えは、綺麗だと。
第四十五話 完
次回『王都十剣第三席 来須新十郎』




