弟子
「冷たい、死ぬ……」
滝壺で、神楽が凍えながら言う。
「回復のスキルは八葉が覚えているから心配するな」
一馬は適当に返す。
「そもそも無理なのよ。スキルもなにも使わずに滝を真っ二つにするなんて。八葉もそう思うでしょう?」
一馬は滝壺に入っていき、居合抜きをした。
滝が一瞬、二つに割れた。
「ほら、できるだろ?」
「なんで? なんでできるの?」
「そうやって自分の中の常識を覆すのが不条理の力の第一歩だ」
そう言って、一馬は滝壺を出ていく。
一馬は、神楽の修行を押し付けられていた。
魔界では、どうやら吸血公領の諍いが酷く、他の六公はそれに手を焼いているそうなのだ。
修行をさせる暇もない。そんな状況らしい。
それに、自分の実力が足りないと考えている八葉が乗っかってきた。
「斬れるよ、半分ぐらいなら」
八葉はそう言って、剣を振る。
確かに、滝の半分は斬れていた。
「ああ、もう、なに? ここにいるのは化物ばっか?」
そう言いつつも、神楽は抜刀する。
滝は少しも斬れていなかった。
「一度自分の条理を疑うんだ。不条理の力はそこから芽を出してくる」
「不条理の力、ねえ……」
「不条理の力を覚えたら、不条理の力を一箇所に集中する段階に移るよ」
八葉の言葉に、神楽はげんなりしたような表情になる。
「私は人間でいいです。化物にはなりたくありません」
「キシャラにチクるぞ」
そう言われた瞬間、神楽は項垂れて、再び滝に向かった。
一馬自身も、不条理の力の習得に手間取った人間だ。神楽の気持はよくわかる。
しかし、こればっかりは有効な教え方が思いつかない。
だから、滝斬りをやらせてみるかということになったのだった。
二神一馬。師としてはまだまだ未熟であった。
「ちょっと俺は出てくるから、二人で頑張っててくれい」
そう言って、覇者の剣に手をかざす。
「はーい、わかりました」
「凍傷になる前に帰ってきてね」
神楽が恨みがましい声で言う。
そして、一馬は現実世界に帰ってきていた。
ポケットの中には、自動車学校に入金するはずだった金がある。
それで一馬は、ある店に行った。
+++
帰ってくると、神楽が鬼気迫る表情で滝を乱れ斬りしていた。
ただ斬っているわけではない。小さな跡だが、滝に切れ目ができている。
「上達したじゃないか」
一馬は上機嫌で言う。
しかし、神楽は返事をせず斬り続ける。
「……意識、失ってるみたいです」
神楽から距離を取っている八葉が、恐る恐る言う。
「……こいつはこいつでとんでもねー奴だからなあ」
一馬は呆れ混じりに言うと、結界を使って神楽の動きを拘束した。
まだ未完成の不条理の力。
押さえ込むのは簡単だった。
そして、神楽は我に帰ったように首だけを後ろに向けようとする。
「そんなに寒かったか?」
一馬は呆れ混じりに言う。
「そりゃ、雪こそ降ってないけど、冬は寒いものよ」
「まだそんなに寒い時期ではないと思うけどな」
「あんたが季節の変化に鈍感なのよ」
「さいで」
結界を解く。
「帰るぞ」
そう言って、不条理の力で使った見えないブロックに、両足で着地する。
八葉は神楽を抱き上げようとしたが、拒否された。
「いつ落ちるかわかったもんじゃないじゃない。私は歩いて帰るわ」
「まあ体力を鍛えるにはいいかもしれんが……お前、一人で邪法の剣を守れるか?」
神楽はぐっと黙り込む。
「さ、行きましょうね」
そう言って、八葉は神楽を抱き上げる。
「ちなみに、意識を失ってる間のことだがな」
「うん」
「お前、少し滝斬れてたぞ」
神楽の表情が明るくなる。
「ホント?」
「感覚は体の中に残ってるはずだ。それを必死にすくいだすんだな。行くぞ」
そう言うと、一馬は空中を駆け始めた。
遅れて、八葉がついてくる。
八葉もついてこれるように速度をやや落とす。
すると、即座に隣に並ばれた。
まったく、できが良いのか悪いのかわからない、そんな弟子達だった。
「その包み、なんですか? 一馬さんの世界から持ってきたようですが」
「ああ」
一馬はしばし考え込んで、溜息を吐いた。
「女房の機嫌取りだ」
「なるほど?」
八葉は愉快げに微笑んだ。
家に辿り着く。
一馬は家の扉を開けた。
「シャロー、いるかー?」
「そりゃいるわよ。子供を守らなきゃいけないもの」
シャロは呆れたように言う。
そして、包みを見て、怪訝な表情になる。
「なに? それ」
「寿司だ」
「にゃ!」
包みを広げてテーブルの上に置く。
色とりどりの寿司が中には入っていた。
「食べていいの?」
「ああ、いいぞ」
「なに、今日、なんかの記念日?」
「あーそうだな、結婚記念日だ」
「私達が結婚したの、冬じゃないのぐらい覚えてるわよ」
シャロは疑わしげに一馬を見る。
「毎日が君と結ばれた記念日だ」
「上手いこと言って。騙されないわよ」
そう言って、シャロは思い切り一馬の脇腹を叩いた。
一馬は吹っ飛んで、家の壁に思い切り激突した。
「八葉。治療を頼む」
「は、はい!」
「……ごめん、一馬。寿司でちょっと浮かれてた」
「わかってるならいいよ。子供にはそれやるなよ。別居するぞ」
「肝に銘じます」
シャロはすっかり小さくなってしまった。
しかし、その目は、獲物を見つけた猛禽類のように輝いていた。
第百八十三話 完
次回『邂逅』次々回『師として』
明日投稿予定




