王都十剣第九席 雲野朝
刹那は刀を屋根の上に突き立て、息を吸って、吐いた。
そして、桃色の唇を動かして唱える。
「リカバリー」
その瞬間、広範囲を光が覆った。
霧が薄れていく町の中を、光が照らしている。
さっきからあったざわめきが強くなる。
そして、刹那は一つ吐息を吐くと、屋根から刀を抜いて鞘に収めた。
「これで吸血鬼になった人間も元に戻ったでしょう。よく頑張りましたね、一馬」
「俺一人じゃとても無理だった……七公が十剣でしか対応できないってのがよくわかりましたよ」
「事情説明は私がしておきます。今日のところは寝て疲れを取りなさい」
「ありがとうございます。では」
そう言って、一馬は跳躍しようとして、膝から崩れ落ちた。
屋根から滑り落ちていく。
その間際で、シャロが一馬の腕を掴んだ。
シャロはそのまま、一馬を背負う。
「集中力使ったもんね。不条理の力を使えなくても仕方ない」
「いや、悪い」
シャロの髪はいい匂いがした。
太陽を存分に浴びた布団のような。
そういやこいつ猫だったな、なんてことをあらためて思う。
その日は、そのまま寝て終わった。
+++
翌日の夕方、一馬は目を覚ました。
七公ブラドと戦った。そんなこと、信じられない。
しかし、体の疲労がそれを物語っていた。
夕食をとりに行こうとシャロとともに宿の外に出る。
「おう、ヒーロー!」
背丈の低く肩幅の広い男がそう言って一馬の背を叩いた。
「ドラゴン撃破に続き七公撃破。どこまで強くなるんだお前は!」
「無我夢中にやっただけっすよ」
「お前の武勇伝をまた残さなくちゃな。飯奢るから戦いの話をしてくれよ」
「かまいませんが……」
「他でもない私も吸血鬼にやられたクチでしてね」
眼鏡の男がそう言って、首元を示す。
そこには、牙を突き立てられた跡があった。
「君達と刹那さんがいなかったらどうなっていたかと思うと、ゾッとします。奢らせてください」
「ありがとう」
一馬は素直に奢ってもらうことにした。こうして、賑やかな夜は更けていく。
ちなみに、静流は集中力を使いすぎたとかでその日から三日三晩寝込んだ。
+++
しばらく、一馬達には待機の時間が生まれた。
七公撃破の話は広く王都まで伝わったらしく、卵の護衛をする十剣と共に王都まで来るようにとのお達しがあったのだ。
その十剣を待つのが今の一馬の仕事だった。
「あの時ほどの凄みはないな」
一馬と木刀を打ち合わせて、遥は言う。
「どうも、窮地にならないと出せないらしい」
「ふむ」
遥は後方に飛び、木刀を構える。
「お前、それさえ使いこなせれば十剣クラスなのではないか?」
「使いこなせなければ意味ないよ。十剣は基本ゾーンの中で戦うというしな」
「やはり壁は厚い、か」
「正味、今回の戦いも刹那さんがいなければ際どかった。俺もお前もまだ腕の向上の余地がある」
「まあ、だからこうして修練してるわけだけど。腕が近い人間がいるのはありがたいな」
そうして、二人は再び木刀をぶつけ合わせる。
「せいがでますね」
そう言って、刹那が近づいてくる。
「ええ、修練は欠かしていません」
一馬は、頭を下げつつそう言う。
「卵の護衛には、十剣の第九席がつくことになりました」
「師匠よりは弱い、ということですか」
一馬は、頭を上げてそう言う。
刹那は、複雑気な表情をしていた。
「いえ、それ以前に人格に難があるというかなんというか……」
「私の話?」
そう言って、会話に混ざってくる者があった。彼女は、刹那に背後から抱きついた。
「刹那ちゃん! 久しぶり!」
小柄な女性だ。背中に弓と矢、腰に竪琴と剣と、なにが本職なんだかわからない格好をしている。
「朝ですね」
「いえ、夕方ですよ」
一馬は戸惑いつつ言う。
「彼女の名前が朝なのですよ」
刹那は、苦い顔で言う。それは、朝と会ったことによるものらしかった。
朝は刹那に隠れるようにして、一馬達を見つめる。
「あなた達がブラドとやりあったっていう冒険者ですか?」
「ええ、まあ」
「心強いですね。正味、私一人じゃ対処しきれないと思ってたんです。強盗団にドラゴン。一人で相手にするのは恐いわ」
身震いしながら朝は言う。
一馬は呆気にとられた。
これが、十剣?
刹那のような威厳もなければプライドもない。
不安に押し潰されそうになっている一人の少女。
「俺達がついているから、安心してください」
朝は最初は呆気にとられたような表情をしていたが、悪戯っぽく微笑んだ。
「うん、期待してます」
「一馬」
「はい、なんですか師匠」
「朝が剣を握った時は……正確には朝ではないのですが……近くから離れなさい。これは私の忠告です」
不思議な話もあったものだ。十剣が剣を使うのは当たり前なのに、それを使う時に離れろと言う。
「私はしばし、この地にとどまります。吸血鬼の報復があるかもしれない。なにかあれば、相談しに来なさい」
そう言って、刹那は一馬に近づいてきた。そして、一馬の頭を撫でる。
「あなたは私の自慢の一番弟子です」
一馬は天にも昇る心地となった。
認められることがこんなにも嬉しいことだなんて、知らなかった。
「はい、ありがとうございます!」
「では」
そう言うと、刹那は去ろうとした。
「ええ、刹那ちゃん、もう行っちゃうの」
「朝。今のうちに一馬に挨拶をしておきなさい。あなたはもう一人前だ。私に頼られても困ります」
「ええ……うん、まあ、そうなんだけどね」
「人見知り、克服できるといいですね」
そう言って、刹那は屋根の上へと跳躍して去っていった。
朝が、もじもじしながら一馬を見る。
それだけ見ていると、ボブカットの可愛らしい小動物系の少女だ。
「あのね、私、雲野朝っていいます。ちょっと癖が強い人間なんだけど、仲良くしてくれたらなーって」
「師匠の友達は俺の友達です。仲良くしましょう」
少し強気に出て、手を差し出す。
朝はしばし躊躇っていたが、そのうち意を決してその手を握った。
朝の手は、硬く、何度も剣を振るった感触がした。
「よろしくね?」
「はい!」
この少女を、自分が守ろう。
そんなことを、一馬は思った。
癖が強い人間。剣を握ったら離れろ。色々と不安な言葉を聞いた気がするが、一馬にとっては朝は小動物のような可愛らしい女性だった。
「朝さん。稽古をつけてくれませんか」
遥が、そう言って木刀を朝に差し出す。
朝は一馬から手を離すと、両手を振って木刀を拒否した。
「私の専門は弓矢だから……」
遥は、しばらく疑わしげに朝を見ていたが、そのうち口を開いた。
「あなた、本当に十剣ですか?」
「一応、十剣です。けど、私は本当に剣が使えないの」
そう言って、朝は剣の柄に手を置いた。
そして、そんな自分の動作に驚くように、慌てて手を離した。
なんだか妙だ。
一馬も、遥も、そんな表情をしていたように思う。
第十六話 完
今週の更新はここまでです。




