何十年も続く平和はまだ程遠く
王宮のテラスで、正装をした一馬は一人黄昏れていた。
覇者の剣も毛革の鎧も今は装備していない。
それが心細い気持ちを強める。
背後の舞踏場からは賑やかな声と華麗な音楽が響いている。
その光の中に入る術を一馬は知らない。
踊れないのだ、一馬は。
こちらの世界の事情にも疎いし、やけに持ち上げてくる人間ばかりで精神的に疲れる。
「こんなとこにいたんだ」
スカートの裾が揺れる。
遥が、やって来ていた。
「不良だったもんでね。どうにもこういう場は苦手だ」
「ダンス、踊れないの?」
遥は確信をついた。
「ああ、いや、まあ……」
「教えてあげるわよ。私もスピカ師匠から叩き込まれたから」
「へえ、お前がダンスを」
そう言って、つま先から髪の毛まで遥を見る。
女は化けるというが、それは本当なんだなと思う。
正装に身を整えた彼女は、美しかった。
「そうしていれば貴族の令嬢に見えるぜ」
「刹那さん達もそうでしょ。朝さんは悔しがってたわ。混戦で矢のうちようがなかったって」
「それは仕方あるまいな」
「さ」
遥が手を差し出してくる。
「踊るわよ、勇者様。皆があなたの武勇伝を心待ちにしているんだから」
一馬は苦笑してその手を取った。
舞踏会場に入る。
ざわめきが起こった。
「本当にリードしてくれるんだろうな? これだけ目立っててミスったら恥かきだぜ俺」
「安心なさい。私と歩調を合わせて」
そして、一馬は遥の動きに合わせ始めた。
一、二、三。一、二、三。
ゆったりとしたテンポで二人は踊る。
「思ったより簡単だな」
「あれだけ剣の腕があれば器用に順応するだろうね」
「静流も踊ってるのか?」
「静流は魔界へ行ってるわ」
「魔界へ?」
「魔力の使い方、抑え方をシアンさんに訊くんだって。実際のところ……今の静流の気配は、魔物に近い」
一馬は黙り込む。
それは、それが事実だからだ。
魔族公の心臓を食べた静流。その放つ気配は人間の剣気ではなく、魔物の妖気に近い。
「そのシアンだが」
「うん」
「この会場にいるんだが」
「は?」
静流は大声を上げた。場が一瞬静寂に包まれる。しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように曲が流れていた。
シアンは肉を大皿からよそって美味しそうに食べている。
食事を楽しみにして来たらしい。
「本当だ。肝が座っているっていうかなんというか……」
「ちょっと話してくるか」
手と手が、指の部分でぶつかりあった。
遥は、子供のように一馬の手の先を掴んでいる。
しかし、我に返ったように離すと、一馬と共に歩き始めた。
彼女は、あの一瞬、怯えたような表情をしていた。
(なんだったんだろう……)
戸惑いながらも、一馬はシアンの近くに行く。
「おうい」
「ああ、一馬じゃん」
シアンは口に入れていた食べ物を飲み込むと、悪戯っぽく微笑んでみせた。
「勇者様にしては連れが少ないわね」
「生憎十剣以外の貴族の知り合いが少なくてね。結城さんなら上手くやるんだろうけど」
「そう自分を卑下する必要はないさ」
「で、話なんだけどさ」
「うん」
「静流はわかるか?」
「うん、わかる」
シアンは頷く。
犬のように人懐っこい表情だな、と一馬は思う。
「あいつが龍公領に旅に出ている。魔力の使い方抑え方をお前に訊くために」
「あー……」
シアンはしばし考え込んだ。
「まずいな」
シアンは呟くように言う。
「まずいとは?」
「うちの部下が何体死ぬかわかったもんじゃない。正式に出迎えるわ」
そう言って、シアンは皿の上の沢山の肉を一気に食べきった。
異変が起きたのはその時だった。
屋根を突き破り、舞踏場に一体の敵が現れていた。
魔物、にしては見覚えがないし、小柄だ。
黒い体には尻尾があり、長い耳は折れていた。
一馬は即座に覇者の剣を呼び出す。
そして、腰に帯びると鞘から抜いた。
シアンも竜人モードになり、尻尾が生え、腕と足には鱗が生える。
謎の生物は周囲を見渡すと、小さく微笑んだ。
「これが醜悪な人間族の祭りか」
シアンの鱗が体から剥がれ、謎の生物に襲いかかる。
それを、彼は魔力のバリアで防いだ。
「高濃度の魔力? 魔界の住人だと言うの?」
シアンは戸惑うように言う。
「ここで貴様らが死ねば人間界は混乱に包まれるだろう!」
そう言った途端、彼の纏う魔力から幾百の針が伸びた。
一馬は、断界でそれを阻んだ。
断界はまるごと彼を包み込んでおり、針も全て消滅させている。
「勇者か……」
彼は疎ましげに言うと、手を振った。
それだけで、断界に穴が空いた。
そこから、シアンの鱗と結城が襲いかかる。
「これは竜の……? 何故、竜が人に味方している」
呟くように彼は言う。
その体は、結城の剣で縦に真っ二つに断たれた。
終わった。誰もがそう思っただろう。
彼は、両手で自分の体をくっつけると、再生を始めた。
「退いて!」
そう言ってスカートを翻して飛び込んでいったのは、夕だ。剣を抜いて、その構えを取っている。
必殺技が、発動する。
「万本桜!」
万の突きが一気に放たれ、血が桜の木のように、肉片が花びらのように宙を舞う。
そして、彼の体は、最初からいなかったかのように、その場から見えなくなってしまった。
「まだ、生きている」
結城は、呟くように言う。
「炎のエレメンタルマスターを呼んでくれ! 完全に焼き尽くす!」
我に返ったように、舞踏会場から人は逃げていった。
結城は淡々と、炎で絨毯の上の破片を焼く。
「なんだったんでしょう、今のは」
シアンが、怯えるように言う。
「魔物の君にわからないならお手上げだ、龍公殿。しかし」
結城は顎に手を当てる。
「あの小兵でこの魔力。同類がいるとしたら危険だな」
その場にいる全員が、実感としてその言葉を聞いていた。
「ありがとな、遥」
「ん?」
「ダンス、ちょっとは覚えた。お前のおかげだ」
「別に、あんたのために習ったわけじゃないわよ」
そう言って、遥は照れ臭そうにそっぽを向いた。
「あら、そうだったんですか?」
背後から声がして、一馬と遥は飛び跳ねた。
「ああ、驚かせてしまったようで失礼」
「師匠。気配消して近付かないでくださいよ」
ぼんやりとした表情と、丁寧な口調。帝都十剣のスピカだ。
「ダンスは必修科目ではないのに習いたがったからどこかに想い人でもいるのかと思っていました」
「礼儀を知りたかっただけです、変なこと言わないでください!」
「なら、そういうことにしておきましょう」
スピカは、薄っすらと笑った。
「何十年も続く平和はまだ程遠く、といった感じですかね」
スピカはそう言うと、結城の手伝いに歩いていった。遥も、その後に続く。
断界が呆気なく破られた。
あの生物に囲まれたらどうなるか。想像するだけで怖気を感じた一馬だった。
第百五十一話 完
次回『第二席、龍公領に踏み入る』
18時頃投稿予定
今回の更新は三人のパワーアップと世界の卵に関する説明が課題です。




