一人の部屋
亜人公キシャラは、部屋に戻って眠りの床につこうとしていた。
雑務に疲れた顔をしていた。
第七公妃は、通路でその人を待っていた。
「お疲れ様です、キシャラ様」
キシャラは相好を崩す。
「なんだ、どうした?」
「今日こそは、私の部屋で寝ていただけないでしょうか」
緊張と恐怖と好奇心と憧れが心の中でミックスされた。
キシャラは苦笑する。
「お前はまだ幼い」
「そう言われて五年になります」
キシャラは顎に手を当てて考え込んだ。
「なあ」
「なんでしょう」
「政略結婚だ。普通の結婚生活に憧れることはないのか」
「そう気を使ってくれるキシャラ様に私は惹かれるのです」
俯いて、顔を赤くしながら言う。
「……また後日、話をしよう」
苦笑交じりにそう言うと、キシャラは第七公妃の横を通り過ぎていった。
第七公妃は、その背中を、見えなくなるまでずっと眺め続けていた。
+++
意識を取り戻した神楽に案内され、一馬と詩乃はマンションの一室に来ていた。
七階の部屋。見晴らしの良い部屋だ。と言っても、見えるのは閑散とした田舎の風景だが。
部屋も負けずと閑散としていた。
生活臭がしない。
一人暮らしをしているのだというのがなんとなくわかった。
彼女は毎日、こんな家に帰っていたのだろうか。
「そもそも、あんた達は話の前提が間違っていると思うのよね」
そう言って、神楽は一馬と詩乃に茶を出す。
そして、二人の向かいに座った。
「私が亜人公から受けた命令は一つ。美雪を守れ」
「……確かにそれは話の前提が違ってくるな」
「けど肝心の美雪が何処にいるのか警察にかけあっても教えてくれなくて難儀してたわけ」
「個人情報だからねえ……」
詩乃が無感情に言う。
「今、美雪には龍公がついている」
「龍公が?」
神楽は目を丸くする。
「そりゃ護衛としては贅沢すぎるわね」
「成り行きでそうなった。龍公とは個人的な付き合いがあるでな」
「個人的な付き合いって?」
パチンコ、とはまさか言えない。
「まあ遊び仲間みたいなもんだよ」
「へー。七公って緩いのね。人間と遊んでる奴が一員だなんて」
「オフレコで頼む」
「わあってるわよ」
「で、私にも美雪の場所を教えてくれるんでしょ?」
一馬は茶を飲むと、頷いた。
「ただし、護衛は龍公だ。変な真似をしたら……」
「どうも信用が足りないらしいわね。私は美雪のガーディアンだよ」
信じて良いものだろうか。
彼女は過去に、帝国民の期待を一度裏切っているのだ。
+++
詩乃に車の運転を任せ、三人は美雪の病室へと向かっていた。
「あの黒い剣、なんだ?」
一馬が神楽に問う。
「邪法の剣。人間界の覇者の剣の魔界版って思ってくれればいいわ」
「お前って覇者の剣も使ってたしなんでも使えるんだな。そういう装備って呪いついてそうだが」
「呪いはついているけれど私が無効化している。私にはそういう才があるらしい」
ソードマスター。剣の形をしたものならばなんでも扱える才能。
もしも神器と呼ばれるような武器を持つと手のつけられない化物となるだろう。
病院のカウンターで前回と同じやりとりをして、三人は美雪の病室に入った。
「やあ」
シアンが気の抜けた挨拶をする。
神楽は部屋の中に入っていくと、美雪の体を抱きしめた。
「ごめん、遅れた」
「生きてるからオーライよ」
そう言って、美雪は神楽の背を軽く二回叩いた。
「うちの学校に編入してほしい。親が都合を効かせてくれると思う」
「そうね。神楽と時間を過ごしていた方が安心そうだ」
「犯人について思い当たる節はないか?」
一馬の台詞に、美雪は考え込んだ。
「仮面」
「仮面?」
「亜人公の領土で伝統工芸品として使われている仮面をかぶっていた」
「なるほどねえ。それはどんな仮面だ?」
「渦が描かれた仮面。警察にスケッチを渡したからそれを見た方が楽だと思う」
一馬は詩乃を見る。
詩乃はしばし考えていたが、お手上げだとばかりに一つ頷いた。
「それじゃ、私は行くね」
そう言ってシアンは椅子から立ち上がる。
「あっちの世界の同行も少し調べなければならない。亜人公とも話す絶好のチャンスだし」
「そうだな、お前は七公だもんな。すまなかった、休暇を使わせて」
「次は遊ぼう」
そう言うと、シアンは初めからその場にいなかったように消えてしまった。
異世界へ行ったのだろう。
ふと詩乃の表情を見ると、完全に表情が強張っていた。
「少しは俺達の話、信じる気になってきました?」
「……にわかには信じ難いけど、剣が無から現れたり人が消えたり悪い夢でも見てる気分だわ……」
そう言って、詩乃は三人に背を向ける。
「煙草吸ってくる。適当に話でもしてて」
「はーい」
「わかったよ」
「了解です」
美雪に護衛がついて、一先ずは安心といったところだろう。
第百三十三話 完
次回『亜人公キシャラ』
今日の更新はここまでとなります。




