一馬と最後の竜神
「メニューの品全部持ってきてください」
「ばっ」
シアンの言葉に、一馬は思わず身を乗り出した。
パチンコ帰りの焼肉屋での出来事だった。
「お前、物事には限度があるだろ。食えねえぞ絶対」
「食べられるよ。私大食いだもん」
「お前の家の食費はどうなってるんだ」
「我慢することもできる。今は我慢しなくてもいい時」
「絶対食えなくなるぞ」
「一馬もいるから大丈夫だよ」
そう言って、シアンは無邪気に微笑む。
「ああ、ったく、もう」
一馬は座り込む。
「そう言われたら弱いんだ」
「それではお客様……本当にメニューの品全てを?」
「ああ、お願いします」
「かしこまりました。しばしお待ち下さい」
出された水を飲み干す。
「ぜってー食いきれないからな」
「へへ、食べちゃうよ」
そして、シアンは結局メニュー全制覇を成し遂げたのだった。
その時の記念写真は今も店に残っている。
ほんの数ヶ月前。
シアンと一馬が、まだ敵対していなかった頃。
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「シアン。退く気はないか」
「ないね。龍公の勅命だ」
「そうか。龍公を倒せばお前も自由になるのか」
「それは無理な相談だね。私を倒さない限り、龍公には会えない」
「そうか……」
そう言って、一馬は剣を構える。
「空中戦は正直苦手でな」
「言い訳?」
「ややこしすぎるんだ。考えることが多すぎる。その分、最善の一手を見つけた時は嬉しいものだが」
一馬は、剣でシアンを指す。
「俺の本領は、地上戦で発揮される。そうと予告しておこう」
「そんなみっともない言い訳にすがっているようじゃ駄目さね」
一馬は苦笑して、頭部をかいた。
「そうさな」
そして、一馬は覇者の剣を構えて突進した。
シアンは拳に力を篭めて待ち受ける。
一馬は覇者の剣を振り上げた。
シアンはそれを片腕でいなす。
もう片方の腕は自由だ。
それを、相手の腹へと直進させる。
しかし、その時一馬の体はシアンの背後にあった。
シアンの腕から、鮮血がほとばしった。
「どうやらハッタリじゃないみたいねえ」
「残念ながら、な」
「なんであんたが残念がるのさ」
「……できるなら、負けてやりたかった。けど、俺にも子供がいる。もう、帰れない場所へは行けない」
「安い同情心で勝敗を譲るな!」
シアンの拳が光を放ちながら一馬に突き出される。
それは軽々と回避され、シアンの腕が下から上へと切り上げられる。
また、鮮血が散った。
シアンは後方へ飛び、再び拳に光を灯して突進する。
剣と拳の激しい突きが流星のように走りあった。
「シアン。お前達は三竜神のうち二体を失った。兵も多く失っただろう。講和というわけにはいかぬだろうか」
「残念ながら、龍公は戦闘の続行をお望みだ」
「お前は龍公の駒か?」
シアンは思わず黙り込む。
「逆らってみせろよ。可能なら勝ってみせろ。手伝いなら俺がいるし、やれるだけやれば最小限の犠牲で戦争が終わる」
「なにを……」
「俺と、お前で、戦争を終わらせるんだ」
「終わらせる……?」
戦争の終わりも始まりも龍公の意向次第だと考えていたのだろう。シアンが戸惑うような表情になる。
「だって、俺達友達になれただろ?」
シアンは唖然とした表情になった後、目に涙を浮かべ、表情を歪めた。
「そうは上手くいかないんだよ!」
「わからずや!」
一馬は覇者の剣を振り上げた。
それは、致命的な隙に見えただろう。
現に、シアンは一馬の心臓部目掛けて拳を進めつつある。
しかし、剣が振り下ろされる速度はそれより上だ。
刹那の太刀の応用。
不条理の力の一点集中による攻撃。
その一撃を受けて、シアンは地面に崩れ落ちた。
空中を荒れ狂っていた鱗の刃がシアンの腕へと戻って行く。
「斬ったのか?」
新十郎の背中の鞘に剣が八本収まる。
「いえ」
そう言って、一馬は覇者の剣を持ち上げてみせた。
その刀身に刃はなく、形は鈍器のようになっている。
「これが覇者の剣が岩から引き抜けなかった、そして一条神楽が結城さんを襲っても初見で見破れなかったトリックです」
あやめが顎に手を当てて感心したような表情になる。
「なるほど。岩から抜けないのは突起があったから。剣の形を変えることができた、剣が認めた主人だけが覇者の剣の使い手となる」
「そういうことです。今回はイレギュラーな方法で持ち出されましたが。あやめさん。シアンの治癒をお願いしていいですか? 内出血でもしていたらことだ」
「……それはできかねるわ。それは、脅威よ」
一馬は、シアンの周囲に結界を張った。
「あやめさん、攻撃してみてください。魔術も無効化する封印の結界です」
「……わかった」
あやめはそう言って、腰を落とす。
「居合九閃……」
あやめの刀が鞘から走り出す。
「斬華!」
鉄と鉄がぶつかりあうような音がして、結界は微動だにしなかった。
「俺が責任を持って捕らえます。正直、彼女なら和解に納得してくれると思うんです」
あやめはしばらく考え込んでいたが、溜息を吐いた。
「あんたの掴んだ勝利だからね。あんたがそう言うなら従うわよ」
「違いますよ」
一馬は、あやめの目を真っ直ぐに見て言う。
「三人で得た勝利です」
あやめは頬を染めて、目をそらした。
「わかった。一旦結界の魔術無力化を消して」
「はい!」
そして、あやめはシアンを治療し始める。
「凄い魔力……不条理の力の跡がどんどん吸い取られているみたい」
そして、シアンの頭部の傷は完全に治癒した。
シアンが立ち上がろうとして、結界に頭を打ってしゃがみこむ。
一馬は、素早く結界の魔術無力化効果を復活させた。
「これは……?」
「結界だ」
一馬は、その場に座り込む。
「幾夜でも話をしよう。何度夜が明けても必ず君を説得してみせる」
「ほう」
新十郎が感心したように言う。
その頬を、あやめはつねった。
「あんた、今の台詞使えるなって思ったでしょ」
「思ってない思ってない」
「あんたって相変わらず女の敵ね」
「誤解だ誤解」
シアンはしばらく結界を触っていたが、そのうち苦笑して座り込んだ。
「捕らえられたか」
シアンは苦笑した。清々しい表情で。その瞳からは涙が流れていた。
「なら、仕方あるまい。私は戦線から離脱する」
一馬は、元の形に戻った覇者の剣を肩に担ぐと、苦笑してしゃがみ込んだ。
「今後のことについて話そう。戦争を、終わらせないといけない」
「ああ、そうだな」
「龍族の勝利、と結果は決まっている」
それは、一馬の声でなければ、その場にいる三人と一体の誰の声でもなかった。
土の割れ目から男が出てくる。背中には翼が生え、頭には羊のような角が生え、爪は尖り、顔色は悪かった。
それが、黄金の光を放ちながら地上に進出しつつある。
「ああ……」
シアンが、悲鳴のような声を上げる。
「ゼラード様、龍の姿を捨てられたのですか?」
「ゼラード?」
あやめが、眉間にしわをよせる。
「龍公じゃねーか」
新十郎が再び鞘から剣を射出する。
「人の姿にならなければ結界は通過できなかった。これからの数千年、私は人の姿で過ごすのだろう……」
ゼラードは空を見る。
そこには、見渡す限りの星が輝いている。
「だが、これ以上の戦力の消耗は避けねばならん。いや、なに」
ゼラードの顔に、笑みが浮かんだ。
「私が出てきた時点で人間族の絶滅は決まっているのだがな」
一馬は、覇者の剣を構えた。
「させるものか! 俺が、俺達が、必ずお前を止める!」
あやめが、刀を鞘に収めた。
龍公ゼラードとの戦いが、始まろうとしていた。
第百二十四話 完
次回『龍公ゼラード』




