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懐妊

 シャロはこの世界を堪能しているようだった。

 両親や妹が時たまデパートやショッピングモールに連れていき、そのたび上機嫌で帰って来た。

 特に、映画は興奮したようで、映画という映画を見て回った。

 一馬もたまに、そんな映画巡りに付き合わされた。


「凄いことだわ。あんなでかいスクリーンに音楽。あっちの世界でも再現できないかな」


「簡易的なものなら再現できるだろうけどどうだろうな」


 フードコートで、蕎麦を食べながら言う。

 ふと思う。幸せというのは不幸せを味あわなければ実感できないのだ。


 シャロと共に過酷で不便な環境で暮らしていたからこそ、この世界の平和をより強く味わえる。

 シャロはコカコーラゼロをストローで吸って、むせた。


「なにこれ! チクチクする!」


「そういう飲み物なの。毒はないよ」


 シャロはしばらくカップを眺めていたが、覚悟を決めたらしく、飲み始めた。


「美味しい」


「だろ?」


 一馬は、思わず微笑んだ。


「それにしてもお前、服増えたなあ」


「双葉ちゃんもお義父さんもお義母さんも沢山買ってくれるんだよ。申し訳ないぐらい」


「……三人共、すっかりこっちで落ち着くものだと思ってるな」


 一馬は、頭を抑えて言う。


「けど、それが平和なのかも」


 シャロが、呟くように言う。


「この世界じゃ、短剣の携帯すら許されない。平和な世界だ。子供も、この世界なら安全に暮らせる気がする」


「ハンバーガーはそんなに美味いか」


「そういう話じゃなくって」


「わかってるよ」


 一馬は、ハンバーガーを一口かじる。


「あっちの世界は、物騒だからな」


 シャロは苦笑して、頷く。


「ある程度修練を積める歳になるまでこっちで育てるとして、そうするとしたらその子はこちらの世界を選ぶかもしれない。子供の判断次第だなあ」


「まあ、まだ気が早い話だよね」


「それに、俺はシャロともっといちゃいちゃしていたい」


「……この前のキス、双葉ちゃん見てたよ」


「勉強になっただろうよ」


 シャロは深々と溜め息を吐いた。



+++



 家に帰ると、二人の部屋に先に行った。

 庭に干している布団を家の中に入れる。


 スマートフォンに反応があった。


『あの子のどこがいいの?』


 幼馴染である泰子からのメッセージだ。


『全部』


 返すと、返信は途絶えた。

 こうして一つ、一つ、縁を断っていくのかもしれないな、と思う。

 けど、自分はシャロを選んだのだ。浮気なんて考えることもできない。


 シャロが駆け寄ってきた。


「一馬、一馬、一馬!」


「なんだ?」


「子供、できてた!」


 一馬は目を丸くした。

 そして、シャロを抱き上げると、その場で回った。


「そうか。これで俺もお父さんだ」


「私は、お母さんだ」


「ありがとう、シャロ。これも全部、お前とパートナーになったあの時から始まった」


「こっちの台詞だよ」


 シャロを下ろす。


「けど、安定期までよくわからないらしいの。産婦人科でちょっと見てもらってくる」


「おう、わかった。母さん呼んでくるからちょっと待ってて」


 そう言って、一馬は歩いて行く。

 胸が弾むような思いがあった。



第百五話 完



次回『復讐』

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