第1話 魔王、勇者に討たれ転生す
「があああああ!」
鋭い痛みが一瞬で全身を駆け巡る。これまで一度も感じたことのない激痛だが、それきりなにも感じなくなった。
「……そうか、我は負けたのだな」
胸に突き刺さった光り輝く聖剣が的確に我の魔核を貫いている。両の指先から徐々に我の身体が崩れ落ちていく。
「はあ……はあ……魔王、俺たちの勝ちだ!」
目の前にいる男が高らかに声を上げる。
この男は魔王たる我の天敵であり、人族の中で選ばれし存在である勇者。我の攻撃をひたすらその身に受け続け、自ら傷付くことを厭わずに突き進んできたその男の瞳の奥には揺るぎない覚悟と光が宿っている。
「敵ながら見事である」
人族と魔族との争いはここに終結した。この世界のすべてを手中に収めるという野望は叶うことなく、我はここで潰えるであろう。
「だが我は必ず蘇り、今度こそ世界を手に入れてみせる!」
「たとえ貴様が蘇ろうとも人は決して負けない! その時に俺たちがいなくとも、俺たちの意志を継いだ者が必ず貴様を討ち滅ぼす!」
勇者の赤き瞳が真っすぐに我の目を見つめる。
ふっ、そうでなければな。
「フハハハハ、我を倒した褒美だ。せいぜい束の間の平和を味わうといい!」
我が身体が崩れ落ち、ゆっくりと意識が消失していく。
されど我は高らかに笑う。
我こそが魔王。朽ちて滅びようとも必ずや復活しようぞ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はっ……!?」
一瞬とも永遠とも感じられる時間が経過し、突如意識が覚醒する。
視界がクリアになっていき、開かれた瞳には石造りの天井が見えた。どうやら我は仰向けになっているらしい。転生の秘術はうまくいったようであるな。
「ぐっ!?」
意識が戻ると同時に全身に鋭い痛みが走る。
転生してもなお勇者の聖剣による傷が残っているのかと思い、自らの腹をさするが腹に剣などは刺さっていない。
全身の激しい痛みにより起き上がることができないが、腹をさすっていた手を上にかざしたところでようやく違和感に気付く。
「ひ、人族だと……がっ!」
あまりの衝撃に声を出すとさらに全身に痛みが走った。
この手はまさに人族のもの……。そしてこの程度の傷ならばすぐに治癒するはずの我の身体が一向に治らない。まさか、我が人族に転生しただと!
「ふんっ、急におかしなことを言い始めたな。ついに気でもふれたのか?」
仰向けとなっている我の視界へ人族の男が入ってくる。でっぷりと肥えたオークのような横長い身体に醜悪な顔だ。
この醜悪な男を見た瞬間、魔王である我の記憶の中にこの身体の者の記憶の一部が流れ込んできた。
「ちっ、この私に恥をかかせおって! せっかくここまで育ててやったのに、よりにもよって得た祝福が『闇魔法』だと。この恥晒しめ!」
この身体の持ち主の名はゼノン=カルヴァドス。ダレアス=カルヴァドスという目の前にいる男の実の息子である。
「くそっ、祝福の儀に立ちあった神官の口はすでに封じたからよいが、貴様が闇魔法の祝福を得たことは誰にも知られてはならない。このままこの牢屋の中で朽ちて死ね!」
実の息子であるはずのゼノンの姿をした我に対してそう言い残すと、男は牢屋から出ていった。
祝福の儀――我の前世でもあった人族の儀式だ。人族の子が10歳となった際に神殿で行われるこの儀により、ひとつだけ祝福という神より与えられし、特別な力を授かることとなる。生まれながらにして圧倒的な身体能力と魔力を誇る魔族に対して、人族が唯一対抗しうる力だ。我を討ち取りし『勇者』も祝福のひとつである。
それに対してこの身体、ゼノンが授かった祝福は『闇魔法』。魔王である我が最も得意としていた魔法であるため、人族の中では忌み嫌われている魔法らしい。だが、たったそれだけのことで実の息子を殺そうとするとは親子の情に薄い魔族以下の存在であるな。
……いや、このゼノンという男自身も父親であるダレアスの権威を散々かさに着て、周囲の者に対して傲慢な態度をとっていたから自業自得ではあるか。
「ぐっ……身体が動かんし、魔法が使えん……」
ダレアスが牢屋から去ってからしばらく経った。
あの男に散々痛めつけられた身体がまったく動かない。魔法を使える感覚はあるのだが、それ以前に体力が尽きている。人族の身体とはこれほど脆弱なのか。
魔王たる我がなんとも無様な姿であるな……。
「魔王様!」
「むっ?」
さすがのこの状況では我も諦めようとしていた。だが、突如我を呼ぶ声が牢屋の中に響く。
「魔王様、魔王様でございますね!」
「……貴様は誰だ?」
その者は牢屋の壁を魔法により破壊して我の身体を抱き上げた。
だが、我を魔王と呼ぶこの人族の女のことを我は知らぬ。この身体の持ち主であるゼノンの記憶にも見当たらない。
「このような身体ですが、私は四天王のミラでございます! 魔王様……ようやく巡り遭えました!」
「ミラだと! ヴァンパイアロードのミラか!?」
「はい、その通りです! まずはお身体を……『ヒール』!」
「むっ」
ミラが両手を我にかざすと身体中の痛みが引いていった。
これは人族の魔法か?
「痛みが消えた。助かったぞ、ミラ」
「勿体ないお言葉です! ああ、魔王様。再びこの世に顕現することを待ち焦がれておりました!」
「……その姿、本当にミラでなのか? それによくこの場所がわかったな?」
「はい! すべては愛の力でございます!」
「………………」
答えになっていない……。そういえばミラはこういう者だった。
目の前にいるミラは金色の長い髪をしていて背もまだ子供である我よりも高い。前世では艶やかな銀色の髪をしていた少女だったミラの姿とは似ても似つかない。そして服も以前いつも着ていた赤いドレスではなく、我の敵であった神官や修道女が着ているような修道服を着ている。
「私も転生の秘術に成功したのですが、人族の身体に転生してしまったようです。それにしても以前のお姿も大きくて凛々しくありましたが、今のお身体もとても可愛らしいですね! はあ……はあ……」
「………………」
我が魔王であった頃にミラの命を救ったこともあり、とても懐かれてしまった。ただその頃とは異なり、身長や体の大きさが逆転してしまっているため、妙な威圧感がある。
「ミラ、一体どうなっているのだ?」
「は、はい。魔王様亡きあと、すでに五十年の時が過ぎております」
「むっ、それほどの時が経過したのか……」
「魔王様、落ち着いて聞いてください。現在魔族はほぼ全滅しております」
「なんだとっ!!」
「も、申し訳ございません! すべては四天王である我々の責任でございます! いかようにも責任を取るつもりでございます」
ミラが人の姿で我の前に跪く。先ほどとは異なり真剣な表情だ。
「……いや、すべては勇者に敗れた我の責任である。先を続けよ」
「は、はい! 魔王様亡きあと、人族は全戦力を投入して魔族を殲滅しようとしてきました。我らは魔王様が転生の秘術により再び顕現される日まで耐えるつもりだったのですが、敵も決死の覚悟で攻めてきたため、我らは敗れました」
「やつらは個々の力は弱いが、我ら魔族とは異なり戦略を練り連携をして時に強力な力を発する。だが、全滅か……。我を討ち取りし勇者は多少情のありそうな者だったのだがな……」
「この国の歴史を調べたのですが、どうやらそれを主導で行ったのは勇者ではないようですね。むしろ勇者はそれに反対して、後ほど国家への反逆罪で処刑されたようですね」
「処刑!? 我を倒したあの者をか?」
「はい。勇者は対魔族に特化した戦闘能力でしたし、妙に甘いところがありましたからね」
「………………」
ミラの言うことも確かにわかるが、それにしても我を打ち倒すほどの勇者を人族らで処刑するとは、本当に愚かであるな。
「今では魔族の生き残りがいるのかすらも疑わしい状況です。もしかすると魔王様が人族の身体に転生されたのも、魔王様の器に足りうる魔族がいなかったからかもしれませんね」
「なるほど、その可能性は高そうであるな」
「私だけは魔王様と共に研究していた転生の秘術が成功したようで、死して記憶を持ったままこの人族の身体に転生したようです」
膨大な魔力を必要とする転生の秘術。成功したのは我とヴァンパイアロードのミラだけであったか。ミラの転生先が人族だったのは我が人族に転生したのと同じ理由だったのかもしれぬ。
「魔王様が転生される予兆を感じてこの街で待機をしていたのですが、ここに来るまで遅くなってしまい誠に申し訳ございません!」
「……いや、ミラのおかげで助かった。死してなお我に尽くすその忠義、実に大儀である」
「勿体ないお言葉でございます! 魔王様に同族の命を救われましたご恩に報いることができてミラは恐悦至極に存じます! どうかこの命、ご自由にお使いくださいませ!」
「うむ」
ミラとこの者の身体の記憶により状況が理解できた。
しかし、まさか魔王である我が敵である人族に転生するとはな。さて、これからどうしたものか?
「ひとまず同胞たちの行方が気になる。生き残っている者は誰もいないのか?」
「申し訳ございません。私が転生し、魔王様が転生するまでの間に情報を集めてきたのですが、なにぶん魔族の情報を集めることさえ禁忌とされている状況でして……。この身体では私が得意としていた魔法が使えず、聖魔法しか使えないのです」
「ヴァンパイアロードであったはずのミラが聖魔法しか使えぬとは皮肉なものだ。……むっ、我も闇魔法以外の魔法は使えぬ。しかも強力な魔法を使うには今のこの身体ではできないようだ」
闇魔法を使うと我の手の平に黒い闇の球体が現れた。
この身体でも闇魔法は使用できるようだが、闇魔法以外の魔法は一切使えず、身体も脆弱な人のものとなってしまった。
「ですが、転生してすぐに魔法が使用できるとはさすが魔王様ですね!」
「どこまで闇魔法を使えるのか試さねばなるまい。それにしてもこれが人族の身体か。ふっ、前世では成しえずに終わったが、この身体で世界を我が手中に収めるというのも悪くないかもしれぬな」
「魔王様、ミラはどこまでもついていきます!」
「うむ、期待しているぞ。どうにかして生き残った同胞たちがいないか知りたいものだが……。むっ、どうやら我の立場が使えそうであるな」
「確かこの屋敷は街の領主であるカルヴァドス子爵家の屋敷でしたはず。そういえばどうして魔王様はこちらの牢屋であれだけの傷を負っていたのでしょうか?」
「それについては後ほど説明する。そうだな、まずはゴミ掃除から始めるとしよう」




