第21話
異変をラナに知らせようと大声で叫ぼうとすると、相手の手に口を塞がれてしまう。
手足を動かして抵抗するものの、男性の力には敵わない。あまりにも突然のことだったので、私はパニックに陥っていた。
「そう警戒するなシュゼット。強盗だったら名前を知らないし、話しかける前に刃を背中に突き立て金を出せと脅している」
相手の主張は一理ある。そしてその声の主が誰なのか見当がついた私はすぐに冷静さを取り戻した。
大人しくなったことを確認した相手は、私の口からそっと手を離す。
すぐに後ろを振り返ると、頭にすっぽりとフードを被り、目立たないよう灰色の外套を纏った人物が立っていた。
男性がゆっくりとフードを取り払うと予想通りの顔が現れた。
さらりとした赤髪は襟足部分が長く、それ以外は短く整えられている。肌は白く鼻筋はスッと伸びていて、唇は薄い。つり目がちの瞳は琥珀色をしていて、芯の強そうな光が宿っている。全体的に精悍な顔立ちだが、微笑みを絶やさないことで幾分か柔らかな印象を与えていた。
目の前の人物は私の知っている人だった。
「エードリヒ様!!」
私は慌ててカーテシーをする。
彼はエードリヒ・メルゼス。この国唯一の王子で未来の国王となる人物だ。
年齢は私より二つ上の二十二歳。幼馴染みで小さい頃からよく面倒を見てもらっている。こんなこと口にするのは憚られるけれど、私にとってエードリヒ様は優しい頼れるお兄様みたいな存在だ。
「久しぶりだなシュゼット。元気にしていたか?」
「ええ、元気にしておりました。エードリヒ様も変わらずお元気そうで何よりです」
「婚約破棄の話は侯爵から話を聞いている。……今回のことは残念だったな」
エードリヒ様が眉尻を下げて沈痛な表情を浮かべてくるので、申し訳ない気持ちになった。私の中でフィリップ様との婚約破棄は消化できているから悲しまないで欲しい。
「お心を痛めないでください。いろいろとありましたが今は恙なく過ごしておりますわ」
私はこれ以上エードリヒ様が悲しい気持ちにならないよう、別の話題へと話を進めた。
「ところで、いつ首都に戻られたのですか?」
エードリヒ様は一年ほど前から王宮では暮らしておらず、国内視察で地方を回っている。
王子として国民の平和と安全を守るために、そして国民がより豊かな生活ができるよう、彼は臣下を使わず身分を隠してその足で問題のある現場を回っているのだ。
国民の生活向上を第一に掲げて行動しているエードリヒ様を見ていると、メルゼス国の未来は明るいように思う。現に彼が打ち出した政策は次々と成功を収めている。
まだ王子だというのにその手腕は現国王陛下を凌ぐほどで、将来を有望視されている。
そんなエードリヒ様が突然地方を巡行すると言いだしたのは一年前のことだった。
王位を継いだら簡単に王宮の外へは出られなくなるから、王子であるうちに自分の目で国の現状を確かめ、国政に活かしたいと国王陛下に申し出た。
国王陛下は最初こそ彼の申し出に難色を示した。
理由は国王陛下と王妃殿下の間に生まれた子供はエードリヒ様しかいないからだ。
刺客に襲われて命を落とすようなことがあったら跡継ぎはいなくなってしまう。
そのことを危惧して陛下は送り出すことを頑なに渋っていた。しかし最終的にはエードリヒ様の熱意と視察へ行くための根拠、臣下たちの説得によって折れた。
かくしてエードリヒ様は大手を振って国内視察のために王宮を離れたのだった。
――だけど、首都に戻ってくるのは当分先だったはず。どうして戻ってきたのかしら?
私の疑問に答えるようにエードリヒ様は口を開いた。
「父上から秘宝が盗まれたという連絡が入り、捜査に協力するために帰ってきた。本当はまだ見聞きしたいことがたくさんあったが、秘宝の方が大事だ。あれはメルゼス国にとってなくてはならない品なんだ。……だが、王宮に戻る前にシュゼットの顔が見たくなって。屋敷を訪ねたら執事からここにいると言われて来たんだ」
「長旅でお疲れでしょうに。ご足労をおかけいたしました」
私がお詫びの言葉を口にすると、エードリヒ様は表情を曇らせた。
「シュゼット、私と二人きりの時は仰々しい態度は取らないでくれ。昔のように気軽に接してくれた方が私は嬉しい」
社交界デビューしてからは公の場でしかエードリヒ様と会う機会がなかった。お互い大人になったし、彼は王子殿下だから子供の頃とは違って敬わなくてはいけない。
周りの貴族に倣って、私も言葉を慎むようにしていたのだけど。……エードリヒ様はそれが気に食わないらしい。
「そうは仰いましても」
「頼む、シュゼット。私と君との仲じゃないか」
「……分かりま、分かったわ」
観念したように私が肩を竦めてみせると、エードリヒ様はぱっと表情を輝かせる。
「ありがとう。実はずっと気になっていたし、二人きりで話せるのも久々だからいろいろと嬉しい。これで秘宝の件に専念できる」
「秘宝の件は早く解決して欲しいわ。お父様が過労で倒れてしまうかもしれなくて……心配しているの」
「一刻も早く事件解決へ導こう。それと侯爵には一度屋敷に帰って休むように言い聞かせておく。娘にこれ以上心配を掛けさせるなと小言も加えてな」
「ふふっ。必ずそうしてね」
私がくすくすと笑っているとエードリヒ様は懐かしむように目を細める。
それから流れるように、私の右手を掬い取って甲にキスを落とす。
小さい頃からエードリヒ様は二人きりになると私のことをお姫様として扱ってくれていた。昔はキスの挨拶と一緒に『私だけの可愛い姫』なんて気取った言葉を口にしてくれたものだ。
当時の私は塔に閉じ込められたお姫様が王子様に助け出されるお話にはまっていて、王子様が初めてお姫様に会って、彼女の手の甲にキスをするシーンをとても気にいっていた。
エードリヒ様に会う度にその話をしていたものだから、彼は私に手の甲にキスをして挨拶をしてくれるようになった。
――社交界デビューしてからはフィリップ様との婚約もあったし、顔を合わせても普通の挨拶を交わすだけになった。昔みたいに挨拶をされるのは童心に帰った気がするわ。
エードリヒ様が昔と変わらず私に親しみを持ってくれていることに喜んでいると、横から声が聞こえてきた。
「…………一体、何をしているんです?」




