第25話 二人の恋人
「さっき、渡瀬さんとなに話してたの?」
図書館の二階の談話室で勉強をしていたら、陽太君にふいの質問を投げられて、ドキンとする。
「んーと……」
陽太君となにかあったんじゃないかって追及されていたなんて言いにくいけど、隠し事をするのはフェアじゃないと思って、私は思い切ってさっきの結衣との会話を話した。
「そっか、芹香さんに迷惑かけちゃったね」
「そんな、迷惑だなんて……」
そこで言葉を濁した私は、押さえようと思ってもどんどん顔が赤くなってしまって困る。
だってさ、普通に名前で呼ばれるだけなら慣れてるのに……
「芹香さん?」
横に並んで座っている陽太君が顔を傾けて私に澄んだ眼差しを向けるから、ますます顔が赤くなってしまう。
呼び捨てとか、ちゃん付けなら、そう呼ぶ人もいるからいいけど、“さん”付けはなんだかくすぐったい。
「えーっとさ、なんでさん付けなのかな……と思って?」
そう尋ねると、ふんわりと春の日差しのような微笑みを向けられて、その眩しさに目を細める。
「なんとなく」
返ってきた答えがなんともあっさりしていて、カクンと肩を落とす。なんとなく……ってなんですか……
「ダメだった?」
心なしか潤んだ瞳で見つめられて、下から顔を覗きこまれて尋ねられたら、ダメなんて言えないよ。
「ううん……なんか慣れなくて」
そう言ったら。陽太君はニコって笑って。
「大丈夫、すぐに慣れるよ」
なんて言うの。
澄んだ瞳の中に、言い知れぬ熱が宿っていてドキドキしてしまう。
「うん、そうだね……」
これ以上見つめられているのが耐えられなくて、やりかけの問題集に手をつけようとしたんだけど――
移動した視界の中に、いま一番見たくない二人の姿を見てしまって、急激に鼓動が速くなる。
「美咲ちゃん。ま、つ……」
階段を上がりきったところで二人は立ち止まって誰かを探すように視線を巡らせている。
学園祭が終わってからも、松と美咲ちゃんの週二回の中庭ランチタイムは相変わらず続いていた。まあ、二人は付き合っているんだから当たり前だろうけど。でも私は、そこには同席しない。なんだかんだと理由をつけて逃げてきた。
私に構わないでって言った手前、私からは松に話しかけることも出来ないし、松もそのことを気にしてか、私には話しかけてこなくなった。気まずい雰囲気のまま、お互いになるべく距離をとるようにして、松を学校で見かけることはほとんどなかった。
時々、うちのクラスに来て美咲ちゃんと話す松の姿を見て、じくじく胸が痛んだ。
片思いでいいと言いながら、松が美咲ちゃんに笑いかける姿を見れば、心がかき乱される。
そうして、その辛い気持から目を背けるように、どんどん松から距離を取っていく。
気持ちを隠してまで守ろうとした松との友達という関係が――ぼろぼろと音をたてながら崩れはじめていることに、私は気づかないふりをして。
好きでいるだけでいいなんて、やっぱり嘘。二人が一緒にいるところを見るのは辛い。
決して自分には振り向いてもらえないということを見せつけられて、苦しくて、切なくて、心が壊れてしまいそうだった。
私は、二人を見た瞬間ざわつき始めた心を、動揺を、悟られないようにぎゅっと唇を噛みしめる。
視線の先、松と美咲ちゃんが私に気づいて、美咲ちゃんが私に笑顔を見せて手を振る。
手を振り返そうとして、冷たくなって指先が上手く動かなくて、笑い返すだけで精一杯だった。
二人は何か話して、美咲ちゃんだけが階段を下りていってしまった。
私は意識的に二人を視界の外に追い出して、問題集に集中する。しようとして、こっちに近づいてくる松の気配に、ドクン、ドクンって鼓動が早鐘を打つ。
ちらっと視線を上げて、松がまっすぐと私の方へと歩いてくるのを確信してしまって、慌てて顔を下ろす。松があまりにも思いつめたような硬い表情でいるから、言い知れない不安が襲ってくる。
なっ、なんでこっちに来るの……
違うよ、私に用事があるわけじゃないよ。きっと、他の誰かに……
そう思うのに、耳に沁み入る低音が降ってきて、胸がきゅっと締めつけられる。
「芹」
だけど顔が上げられなくて黙っていると、陽太君が松に話しかけた。
「四組の松岡、だよね? 芹香さんからいつも話は聞いてるよ」
爽やかなのに、どことなく含みを持った陽太君の言い方にドキンっとする。
私は俯いてて、松の顔も陽太君の顔も見えないけど、陽太君がどんな顔しているのかは、なんとなく分かった。
きっと、ふんわりと微笑んでいるに違いない。松は、どんな表情をしているのだろうか――
直前に見た険しい表情を思い出して、ツキンっと胸が痛む。
「ああ、あんたは……」
「芹香さんと同じクラスの七海だよ。芹香さんに用事? じゃあ、少しどこか行ってようか?」
言いながら立ち上がろうとした陽太君の腕を慌てて掴む。
「陽太君……っ、帰ろう?」
「えっ、だけど……」
うつむいたまま言った私に、陽太君が戸惑いがちに声をかける。
私はきゅっと唇をかみしめて、それから精一杯平静を装って松に顔を向けた。
「芹、話があるんだ」
そう言った松は眉根を寄せて、陽太君の腕を掴んだ私の手に視線を向けていた。
「ごめん、もう帰るから、またね」
またって言いながら、とにかく逃げることしか考えていなかった。今、立ち止まって松の話を聞いてはいけないと――頭の中に警鐘が鳴り響いた。




