智紀自身の瘡
大きさは10センチほど。髪はなく、顔面だけだが、間違いなく僕だ。色白の太ももに浮き出ていた。目を閉じて、眠っているようにも見える。
吸い寄せられるように、僕は黒田さんに近付く。人面瘡から視線を逸らすことができない。いきなり、パッと目が開いた。僕はびくっと肩を震わせる。
「ひっ」
人面瘡はぎょろっと僕を見ると、空気が震えるほどの大声で、
「あと三年! あと三年! ――」
狂ったように叫び出した。あ。ああ。嫌だ。三年後。僕は。
16歳になる。
黒田さんはそんな僕をいとおしそうに見つめ、頬を寄せてきた。
「ねえ、智紀。さっき君はもう一つの人格って言ったけど、ちょっと不正確だね。本当は、もう分かっているんでしょ? 私の顔に見覚えがあるはずよ」
鏡の中から、黒田さんは囁きかけてくる。鏡の中から?
僕は、いつの間にか手鏡を握っている。その中に、黒田さんが映っていて……。
ああ。僕は黒田さんの正体を悟った。いつか、考えたことがある。自分がこのまま大きくなった時。どんな大人になっているのだろうか。
「私は、智紀が思い描く、智紀の十年後の姿。大人の女になった、あなた」
鏡に映っていたのは、黒田さんではなかった。もっと幼い、髪の長い少女。腰まで届く黒髪。
それは僕の姿だった。だってこの手鏡も、僕のものだ。
ずっと、違和感を感じていた。
どうして僕はこんな外見なのか。冒険物語の主人公とは違う見た目なのか。ヒロインの方なのか。
僕は比較的早い段階で、自分が世間一般とは違うことに気付いていた。性自認が男であること。自分の当たり前が、周囲のそれとは違う。自分の不自然は、世界の自然だった。
それなのに母さんは、髪の長い僕の姿を喜んだ。可愛らしい格好が似合う美少女であることを祝福した。僕は母さんを悲しませたくはなかったけれど、徐々に、自分の正体を認めてもらう方法を探っていった。
最初に変えたのは一人称だった。私、という言葉を使うのをやめた。それからはずっと僕と言っている。服装も、男っぽいものを選ぶようにした。遊び相手はもっぱら謙信だった。
母さんも気付いた。そして、気を病んだ。
『どうして可愛い顔に生まれたのに、台無しにするの!?』
『おかしいわ。気持ち悪い』
『ねえ智紀、私がいけなかったの?』
『ちゃんと産んであげられなくてゴメンね――』
父さんは母さんほど僕を拒絶することはなかったが、理解を示すこともなかった。こうして入院することになっても、母さんの相手の方が大事なのだ。僕の味方になることはなかった。
僕の容姿がますます磨かれていくにつれ、周りが放っておかなくなった。女子からは嫉妬の視線を向けられ、男子からは変人扱いを受けた。僕が自然に振る舞おうとすればするほど、居場所はなくなっていった。
変わらないと思っていた関係性さえ。桑島謙信は、昔から兄弟のように接してくれた。彼は僕の歪さに気付いた上で、変わらぬ付き合いを続けてくれた。僕は、謙信の優しさに甘えていた。
その報いなのだ。この状況は。
謙信も、ただ自分の気持ちに正直になっただけなのに。僕は自分が嫌になった。だからといって、謙信がきっかけになったわけではない。周りの人たちは誰も悪くなくて、ただ僕は、ずっとそういう不安定さを抱えていただけだ。僕は、歪な現状に疲れて、終わらせたくて、教室の窓から飛び降りた。その時、僕の心は分裂してしまった。
黒田さんという、人面瘡を生んでしまった。
『ねえ少年』
彼女は初めて会ったにも関わらず、僕の本質を見抜いた。だから驚いた。
だけど深く考えることはなかった。それはこの数日間、ずっとだ。自分で、その可能性を考えないようにしていた。自分が黒田さんとして行動していた記憶を改変していた。あたかも、隣に大人のお姉さんがいるかのように。
『おねえちゃん!』
美月ちゃんが僕にヘアピンを渡しに来てくれた時も。僕もクロダだと知って、「おともだち」だと思ったんだろうか。
『わあ、嬉しい。ありがとう』
僕はそう言って、彼女の頭を撫でていたのだ。




