帰りたい(320回目) それは遠雷のように
拠点を出た私達は、入り口で待機していたララさんのところへ向かう。
「お待ちしていました」
「私とこの2名の転移魔術をお願いします。23班エリアまで行くので、場所は第3ララさん付近へ」
「了解しました、魔力の用意をします。しばしお待ちを」
ララさんやセルマ曰く、転移魔術というのは同じ模様の魔方陣の間にパスのようなものを延ばし、それぞれの地点を移動する魔術だという。
本来ならそのパスを繋ぐのに莫大な魔力がいるけれど、【アウト・リーチ】の能力で自身が複数いるララさんは、両地点からパスを延ばせるため魔力の節約が出きるらしい。
結局ララさん全体の魔力量の減りはおなじなのだけど。
「なぜ23エリアだと分かるんですの?」
「さっき本部から、わずかに鳴き声が聞こえてきました。そして通信機での連絡で正確な場所が特定できたんです」
「器用なことなさりますね!?」
去年までの私なら、できなかった芸当だろう。けれど今の私なら、そこまでの特定なら何とか可能だった。
ボスウルフェス自体が、森全体を指揮するように大声を出しているのも大きい。
この能力でこれだけ多くの人の役に立てるなら、それに越したことはない。
「準備が出来ました、術式を起動します!」
ララさんの声で、私は生まれて初めての転移魔法を体験した。
※ ※ ※
「あ、あんまり気分のいいものではありませんでしたね……」
「エリーさん大丈夫?」
少しフラフラする気がする。平衡感覚を乱された気分だ。
「クレアが使ったら、酔って大惨事、ですね」
「うーん、距離が長いと、なりやすいって聞いたけど……
こんな距離、普通は移動しないし……」
そうか、森の入り口から半ばまで、かなり離れていた。
そんな芸当は、使用者の魔力が持たないらしい。それこそララさんでもない限り。
しかしそれこそ、長距離の移動にも関わらず、アダラさんもスピカちゃんも平気そうだった。
「お2人は、強いですね」
「スピカたちは、多少慣れてるから……」
「転移魔術は王族では当たり前でしてよ! さすがにこの距離は初めてですが!」
なるほど、目的地まで要人警護するならご丁寧に道を歩かなくても、短距離ならこの転移魔法で良いわけだ。
そりゃ私なんかより、王女様達の方が慣れてるのは当然だ。
「エリーさん、立てる……?」
「もう大丈夫です、“精霊天衣”!」
「私達も行きますわよ、パサパサ! “精霊天衣”!」
私は初めて見る、“シャイン・バタフリー”のパサパサとアダラさんの“精霊天衣”だ。
どうやらセルマと街での戦いになったときは控えてくれたみたいだけれど、その見た目は背中に張り付いた時とあまり変わらなかった。
て言うか一見綺麗な蝶々だけれど、この大きさのだと顔が虫すぎて普通にちょっと怖い。
複眼とかめっちゃでかいし。
「何かありまして!?」
「いえ、別に……」
それぞれが飛行手段を持つ私たちは、上空から23隊の付近を探索する。
本当は彼らとも合流できれば良かったのだけれど、あいにくウルフェスや敵との交戦中だった。
「加勢できないのが、歯痒いですわね!」
「私達は成すべきことをしましょう。うん、と────」
私は耳を澄まして、辺りの音と気配に気を配る。
羽根、翼、羽の音に混じって、僅かに聞こえる甲高い声。
「スピカちゃん。向こう側の崖、あそこで見下ろしてる個体が見えますか?」
「見え、る、かも? 一匹だけ、銀色の毛をしたやつだよね……?」
「えぇそうです」
個体は違うけれど、間違いない。鳴き声、習性、気配に至るまであの時のボスウルフェスと同じだ。
「どうですか?」
「ここからじゃやっぱり無理そう……」
スピカちゃんは銃を試しに向けたけれど、その銃口をすぐに外してしまった。
ボスウルフェスは崖の先に立ってはいるが、上空からでは流石に手元がぶれるし、弾が風に煽られやすい。狙うことは難しいようだ。
「でも、あの個体さえ撃ち抜けば、“ウルフェス”もばらばらに……!」
「えぇ、そのはずです」
ノースコルの人間が“ウルフェス”と契約する最大のメリットは、その群体性だ。
通常魔物を戦わせる場合、契約する魔物が多い程、契約者はその分の命令も、それぞれに下さなければならない。
対して“ウルフェス”等は群れのボスに命令を下せば、ある程度はその指示に従い動いてくれるのだ。
それこそ【翠玉の魔人】ほどにもなれば、ボスウルフェスを通じて森全体を一斉に攻撃という芸当も出きるんだろう。
逆に個々は昔の私でも何とか対処できるほどの強さだった。
少なくともボスウルフェスを攻略すれば、戦況は大きく変わるはずだ。
「あの個体がボスウルフェスねぇ。近づいてぶっ殺せばいいんでないんですの?」
「もちろんそれが出来ればそうしたいんですけど、そうもいかないんですよ。
ボスウルフェスは警戒心激強で、近付けば一瞬で逃げられちゃいます」
「ほ~ん、うまく行かないものですわね!!」
一年前ここでボスウルフェスを倒した時も、実際私が頼った方法は矢による狙撃だった。
毛が硬化していて弾き飛ばされなければ、有効な方法ではあったはずだ。
それを今回はスピカちゃんのライフルで、より遠くからより高火力で撃ち抜くのだ。
「この辺、どうですかスピカちゃん」
私達は風下の見通しのいい場所に降り立つと、辺りを探った。
スピカちゃんは糖分補給用の飲料を飲みつつ、一本の木を見つけた。
「うん、この木の上からなら、撃てそう……!」
そう言って、スピカちゃんはするすると木を登って行き、ポーチからライフルを取り出す。結構おてんばな王女様だ。
今回の作戦は、私達3人がそれぞれの役割を分担し、ボスウルフェスを撃つことになっていた。
先ずは当然、狙撃手のスピカちゃんがライフルで敵を狙う。
「ここでいい、ここがいい……」
そして観測手の私が風速などの情報を使い隣でサポート。
「何かあったら言ってくださいね」
側衛手のアダラさんは周りの敵を散らしてもらう。
「露払いはお任せします」
「了解ですわ!」
ふと下を見ると、アダラさんは既に2,3体の“ウルフェス”を音もなく仕留めていた。
スピカちゃんの邪魔にならないようにできるだけ静かに仕留めたようだけれど、それにしてもなにも聞こえなかった。
「すごい……」
普段からこれだけ静かで真面目に働く人なら、レスターさんに殴られることもないだろうに────
「アダラ姉、いつになく真面目で静か。これで嵐が来ても驚かない……」
「晴れてるのにンなわけないじゃないですか」
「じゃあエリーさん、よろしく……」
そう言って、スピカちゃんはゴーグルを渡してきた。
「点検は済ませたけど、微調整はお願い……」
「了解です」
代わりに彼女は髪をかきあげ額にバンドをかけてから、ギャップを深めに被った。
額から流れる汗を吸収し、彼女の鮮やかな桃色の髪色を、森の中で目立たないようにする役割がある。
さらにスピカちゃんは、髪の一部を部分を、この時期の幹に近いオリーブグリーンに染めていた。
【コマ・ベレニケ】の能力で拡張した髪でライフルの反動を抑制るため、どうしても桃色の髪は森の中などでは目立ってしまう。
けれど髪を染めることで、敵から場所を察知されにくくしているのだ。
彼女は染めた部分を伸ばして身体を補助しつつ、ライフルのスコープを覗き込んだ。
「行ける、よろしく……」
そういえば、スピカちゃんの狙撃を作戦の主体とするのは、初めてだと思った。
練習や任務内では幾度もその様子を見てきたけれど、実践で入念に用意できる状況なら、ここまでするのか────
私はスピカちゃんから渡されたゴーグルをかける。
本来はスピカちゃん本人が使うために作られたものだけれど、今度は観測手である私に正確性が求められる。
起動させると、彼方前方にいるボスウルフェスの姿が、くっきりと浮かび上がる。
風向きは風属性の魔法を使えるからかなりの制度が出せるとして、距離や角度を入念に計算する。
「対象ボスウルフェスを12時の方角に確認。距離831、風の向きはち南南西から北北東の、速さ1.5。現在対称は、木の影に隠れてしまっています」
「ありがと、あの杉木の間に出てきたら撃つ。変化はその都度教えて……」
そう言うと、スピカちゃんの呼吸が全く聞こえなくなった。
ただ息を殺し、獲物が目標の位置に来るのを待っている。
良く見ると、スピカちゃんはスコープを覗く方の目だけではなく、両目が開いていることに気づいた。
これは片目を開き続けることで眼が疲労してしまうことを防いでいるらしい。
かなりの長期戦になることを、踏んでいるのだ。
前方から爆発音と土煙が上がった。アルフレッドさんたちか、接敵した仲間の部隊だろう。
それに対してスピカちゃんは目線ひとつ動かさない、流石の胆力だ。
目線と意識が完全に、遥か彼方のボスウルフェスに向いている。
「風向きがやや南から北に変化しました、他は変わりません」
「うん……」
スピカちゃんは僅かに、銃身を右にずらす。
そして彼女はその体勢を一切変えることのないまま10分、20分とガラスを覗き続けた。
呼吸も、瞬きも、流れる汗でさえも一切を最小限に留め、その瞬間をただ粛々と待っている。
崖下の喧騒から隔絶されたような静かな空間に、風でざわめく森の音だけが過ぎ去る。
そして幾ばくかの時間がながれた時、突如ホスウルフェスが、顔を覗かせた!!!
「“しょっと”!」
勝負は一瞬だった。森の中を、一筋の弾丸が貫く。
音よりも早く到達したその鉄の塊が、確かにボスウルフェスに直撃する!
獣は、特に反応することもなく、地面に硬直して倒れ込んだ。
そして銃弾の音と共に時間が一瞬と待ったあと、再び辺りに静寂が戻る。
「対象、沈黙を確認! 狙撃成功です!」
残った硝煙の香りを感じながら、私はスピカちゃんのゴーグルで、ボスウルフェスの生体情報の消失を確認した。
首の付け根、鉄のような毛で出来た鎧の接合部。
スピカちゃんは、ボスウルフェスに存在するその数少ない弱点を正確に撃ち抜かれていた。
「もうダメ……!」
スピカちゃんは気力を全て使い果たしたのか、その場でへなへなと脱力して、危うく木から落ちそうになる。
「おっと」
「あ、ありがとう、エリーさん……」
私が支えると、スピカちゃんは疲れたようすは見せながらも、こちらに笑いかけてきた。
崖下を見ると、“ウルフェス”も散り散りになり、統制を失っているようだった。
「お疲れ様です、最高の働きぶりでしたよ」
「ううん、エリーさんたちが弱点を教えてくれたおかげ」
去年倒したボスウルフェス、その死体を研究し、今回の弱点を解析するに至ったのだ。
前回の私の奮闘が、多少スピカちゃんの役に立ったのなら何よりだ。
まだまだこの森は敵の魔物の気配が残るが、まずは厄介な敵を倒したと言うのは間違いないだろう。
〈連絡します! ボスウルフェス討伐により、戦況が変わりました。護魔兵含む敵の、大多数制圧を確認! 依然盛りに潜む魔物との戦いは続いています!〉
「了解です」
本部からも通達があって、私もひと安心だった。
木の下に何とかスピカちゃんと降り、アダラさんとも合流できた。
「アダラ姉もありがと……」
「成功したようですわね、スピカ。よくやりましたわ! もう妹の成長に感動を隠せませんわ!!」
「むぎゅうっ!?」
アダラさんは思わず感極まったのか、泣きながらへろへろのスピカちゃんを抱き上げた。
されるがままの人形のように、スピカちゃんはぶるんぶるんと振り回される。
「あの、アダラさん? その、まだ戦いは……」
「あ、エリーさん! まだ戦争は終わってませんわ! 気を抜かないように!」
「えっ」
何という理不尽か。まぁ、今回はアダラさんもかなり貢献してくれたし、深く追求するのはよそう。
「他の隊の撤退も始まりました。私たちも早く戻りましょう」
ここからはアルフレッドさんたちの戦いや魔物の攻撃に巻き込まれないように、兵士たちは一部を除き捕虜を連れて撤退することになっている。
私たちもさっさと待避しないと、巻き込まれかねない。
「あとは……」
私は空中でぶつかり合う2つの影に、眼を向けた。




