解答編第六話
「……知りませんよ、そんなこと。
だいたい、証拠がない。あなたが言った方法は、フェザーズさんやスケイルさんにだって可能なはずだ。それに、グランマさんにしても、あの女の子さえどうにか誤魔化せば、充分パッサーさんを殺すことができた。……いや、むしろだからこそ口封じの為に殺させたのかも知れない。
いずれにせよ、僕がやったという証拠はありません」
「まあ確かに、物的証拠は見つかっていませんね」
「当然ですよ。僕は犯人ではないんですから。
それに、僕にはアリバイがあります。僕は十五時頃に村のバス停に到着したのですが、その後、うっかり通行人とぶつかってしまったんです。たぶん、調べてもらえばわかると思いますよ」
そう言うと、彼は嗤った。表情は死んでいるのに口許だけを歪めるその様は、まるで別の仮面につけ替えたかのようだ。
「そう言えば、確かにそんな情報があったな。そのぶつかった人が、交番に電話してくれたんだったか」
「よかった、これでアリバイ成立ですね」
ワイルドボアの言葉に、ウサギは安堵の声を漏らす。もちろん、ゴムマスクの顔のままで。
「僕は十五時頃、バス停の近くにいたんです。つまり、言い換えれば十五時までは『結界の外』にいたことになる。もちろん、一度森に入って犯行を終えてからバス停に向かう、ということも不可能ですよね? 生きている限り、結界から外へ出ることはできないんですから」
「ふむ。仰るとおりですね。──そのアリバイが本当なら」
「なに?」
「言ったはずですよ、『あなたの牙城は崩れている』と。そもそも、あなたを守る最後の砦は、ただ『通行人とぶつかった』という脆弱な物です。これくらい崩せないようであれば、私立探偵なんてやってられません」
よほど自信があるのか、彼はキッパリと言い切った。これを受け、イナバは鼻白むような表情の仮面を被る。
「そうですか。なら、教えてくれませんか? もし僕がパッサーさんを襲っていたとして、どうすれば結界から外へ出て、村のバス停まで戻ることができたのかを」
「ええ、もちろん構いません。
しかし、ただ私が答えるのでは面白味に欠けますねぇ」
そんな物誰も求めてないと思うけど、とは言わないでおいた。
当然ながら叔父さんの返事は予想外の物だったらしく、ゴムマスクの奥の瞳が見開かれる。
しかし、彼はそんな反応などお構いなしに、ある意味こちらも仮面のような表情の少年に、顔を向けた。
「というわけだから、ここはアトキンスくんに代わってもらおうかな。私立探偵を目指しているのであれば、これくらい解けて当たり前だからね」
「……わかりました」
恭しくお辞儀までしてから、アトキンスは先生の出した課題に応じる。
「僕が思うにイナバさんは結界から外へは出ていません。しかし、替え玉を使ってアリバイを確保したということも考え辛いでしょう。となれば、考えられる答えは一つだけです」
彼の水色の瞳は、直立するイナバの姿をまっすぐ捉えた。
「アリバイに関する証言その物が、嘘だった。つまり、交番にイナバさんのアリバイが成立するような情報を提供したのは、イナバさん自身だったのではないでしょうか?」
「そ、それじゃあ、通行人とぶつかったというのは……」
「ええ、全て彼がでっち上げた物です。
ご存知のとおり、結界の中にいようと外へ電話をかけることは問題なくできます。イナバさんは隙を見て、隠し持っていた携帯電話──おそらく、仲間への緊急連絡用か何かです──から、村の交番へ電話したのでしょう」
これもまた、意外すぎるくらい単純な方法だ。イナバは結界から外へ出るどころか、塔の中にいながらアリバイを手にしていたのである。
「実は、エクゥス刑事からの報告で交番に寄せられた情報を聞いた際、僕はこのことを思いつきました。その時はまだイナバさんが犯人だとは考えていなかったので、単に『こういうことも可能だろう』くらいにしか思っていませんでしたが」
「なるほど、それで『全くなくはない』と答えたのか。
しかし、そうすると何かおかしいような……」
顎の肉を摘み考え込む彼の言葉を、部下であるウマが引き続ぐ。
「そう言えば、村の交番に協力を要請するとみなさんに伝えたのは、確か捜査の途中じゃなかったですか? イナバさんの犯行が計画的な物だったとしたら、どうやってこれを予想していたんでしょう……?」
「違いますよ、エクゥス刑事。イナバさんは予想していたのではなく、警部からの報告を聞いた後、このアリバイ工作を思いついたんです。恐るべき咄嗟の機転で、我々の捜査を逆手に取ろうとしたのですよ」
アトキンスが答えると、童話警察の二人は息を呑む。自分たちの行動が犯人に利用されていただなんて、思いもしなかったのだろう。
「……どうでしょうか、先生」
「うん、正解だよ。
ただし、さっきも言ったとおりこれは解けて当然だ。修行はまだこれからだから、精進を怠らないように」
「はい。肝に銘じます」
妙な言い回しをし、彼はダークスーツの左胸を抑えた。表情はないけれど、それでいて気合いを燃え上がらせているらしい。
叔父さんは若干呆れたように苦笑しつつ、改めて青年に向き直り、
「え〜、とにかくそんなわけですから、あなたのアリバイは崩れました。ダメ元で聞きますが、犯行を認めてくださりますか?」
「はい、わかりました──なんて、言うと思いますか?」
「いいえ、思いません」
「……当たり前です。さっきも言ったように、何も証拠がない。
それとも、凶器か何かに僕の指紋でも残っていましたか? もしくは、本物のパッサーさんが、ダイイングメッセージで僕の名前を残していたとでも? あるわけないですよね、そんな物」
「ふむ、仰るとおりです。そんな証拠があるのなら、たちどころに事件解決ですし。
しかし、物的証拠はなくとも、ある矛盾が、あなたが犯行に関わっていることを示している」
そうだ。あの時気づいた「違和感」は、叔父さんも言っていたとおり重大な証拠だったのだ。
いったい何故あれだけのことで、彼が犯人だとわかるのか。私もまだ全て教えられていなかったのだが、ここへ来る途中叔父さんはこう言っていた。
「あなたは嘘を吐き通そうとして、墓穴を掘ったんですよ」
つまり、イナバの吐いた嘘が重要になって来るらしい。
そして、これまでの推理を聞いた私には、今やはっきりと、彼の掘った「墓穴」の正体が見えるようになっていた。
「何を言い出すかと思ったら。僕は嘘なんて言ってませんよ。それこそ、証拠はあるんですか?」
「もちろん、ありますとも。他ならぬ、あなた自身の口から飛び出したことです。
時に、イナバさん。あなたは、初めにお婆さんの家であった事情聴取の際、こんなことを言っていたそうですね」
あの時、イナバは警部に対し「僕は十五時二十分頃に入り口の方から森に入って、近道を通ってここに来ました」と答えていた。
「ええ、それが何か? 僕のタグが起動した時間と照らし合わせても、なんらおかしくはないと思いますけど」
「そうですね。
しかし、あなたのした証言は大嘘だったんです。だって、本当はそれよりも一時間早く森に入り、人を殺していたんですから」
臆面もなく言ってのけた彼に、青年は侮蔑するような表情の仮面をつける。のみならず何か反論したそうだったが、叔父さんはそれをさせなかった。
「そのことを証明する為に、みなさんにある物を見てもらいましょう。
エクゥス刑事、お願いします」
「あ、はい」
刑事はこれまで隠すように後手に持っていた物を、自身の胸の前に掲げる。
それは、童話の小道具であるバスケットだった。
「実は、この塔に来る前に彼に頼んでおいたんです。私がみなさんを集めて推理を披露する運びになったら、バスケットを取って来るようにと」
「ほう、となると、あれに何か証拠が残っているんだな?」
「はい。といっても、バスケットその物は関係ありません。問題は、中に入っている物です」
言いながら彼が目で合図すると、エクゥスはかけてあったハンカチを少しどけて、中に手を入れる。
ほどなくして現れた彼の右手は、一輪の花を握っていた。
「この花こそが、あなたの嘘を見破るきっかけとなりました。イナバさん、あなたはこれを見た時、トウカちゃんに言ったそうですね」
──ああ、確かにそうでしたね。綺麗に咲いていたので、よく覚えています。
「……だから、何ですか? 僕は別におかしなことは言っていません」
「いいえ、とっても変ですよ。何故なら……あなたがこの花を目にする機会など、本来はなかったんですから」
「なに?」
「そもそもですね、あなたが通ったと仰ったルートに咲いていたのは──」
叔父さんの言葉を引き取ったのは、他ならぬ私だった。
私は声がくぐもってしまわぬよう注意しながら、素早く息を整え、
「タンポポなんです。わかれ道のところに生えていたのはタンポポだけで、その紫色の花は咲いていなかったんです」
ゴムマスクの顔を見据えたまま、私は告げる。
彼は何を言っているのかわからない様子だったが、やがて白いばかりの仮面の中に、焦りの色が広がって行った。
「……な、何を言っている? シナリオにも、しっかり『花を摘んでバスケットに入れる』と書いてあったはずだ」
「はい。ですから、私はタンポポを摘んでバスケットに入れてから、お婆さんの家に向かいました」
「じ、じゃあ、その花は」
「あれは、お婆さんの家の花瓶に活けてあった物です。私はあなたを出迎えようとした時、この花の存在を見落としていたことに気づきました。それで、咄嗟にバスケットの中に入れて隠すことにしたんです」
あの時は、本当にぞっとした。花瓶もないのに花だけ転がっていたら、凶器が何か言っているような物だろう。
ちなみに、私がこの矛盾に気づいたきっかけは、ユズが天ぷらにしようとしていた山菜だった。彼女の用意していたトレイにはヨモギなんかの野草に混じり、タンポポの花も乗っていたのだ。それを見た私は、森に咲いている花はタンポポしかないということを思い出したのである。
「そう、この花──苧環──は、本来は森の中に自生している物ではなかったんです。それなのに、あなたは『咲いていたのを覚えている』と言った。これは、明らかにおかしい。
では、何故あなたは生えていないはずの花の存在を覚えていたのか。どうして、そんな奇妙な嘘を吐いたのか」
探偵は自問し、自答する。犯人を追い詰める為に。
「……本当は、通っていなかったからではないですか? 赤ずきんちゃんが通るのと同じ、森の入り口からの道を。シナリオを読んでいれば、赤ずきんちゃんが花を摘んで来ることはわかります。そして、あなたは自らの嘘を補強する為に自分も苧環の花を覚えている──すなわちそこを通って来たとアピールしようとしたんだ」
「……だ、だったら、何だと言うんですか? あちら側から森に入っていないというだけで、どうして僕が犯人だと言えるんです?」
「あり得ないからですよ。あなたが、あの時間にお婆さんの家を訪れたことがね」
そこで、ようやく青年は気づいたらしい。一際目を見開き、あっと口を開ける。
「赤ずきんちゃんと同じ道を通っていないとすれば、あなたが入って来たのは必然的に岩場の方の森の入り口ということになる。そちらからお婆さんの家に向かう場合、まず塔の辺りまでで五分ほど。
そして、この時近道はすでに塞がっており、そこにいたユズさんが作業着の男しか目撃していないことから、あなたが通ったのはやはり遠回りの道です。となると、かかる時間は二十分。どんなに急いでも、十五分以上はかかるでしょう。
もし、あなたが本当に十五時二十分に森に入ったのだとしたら、どう考えても十五時半前にお婆さんの家を訪れることは、不可能だ」
「……いや、でも」
最後の抵抗を試みたのか何かを言いかけたが、結局イナバは口を噤んだ。
その隙を見逃すようなことはせず、叔父さんはさらに畳みかける。
「何度も言われているように、あなたの持つ『ウサギ役』のタグが起動した時間は十五時二十分。しかしこれでは間に合わないのだから、必然的にあなたは別のタグを使い、もっと早くから森に入っていたことになります。
では、その別のタグとは、いったい誰の物なのか。今この場にいる人の物ではないとすると、考えられるのは『悪い魔法使い役』か『狩人役』のどちらかです。先に説明した方法を使えば犯行が可能だという点を踏まえ、あなたがフローズヴィトニルソンさんの共犯者である可能性は、極めて高いと言えますね」
言い終えた彼は、笑顔のまま相手の返事を待っていた。
対して、イナバは剥がれ落ちそうになった仮面を抑えるように、右手を顔に当てている。
やがて、関係者たちが固唾を飲んで見守る中、彼は目許を隠したまま溜息を吐いた。
「……はぁ、まさか、この程度のことでバレるなんてね。我ながらつまらないミスをしたものだ」
「おや、それではついに認めてくださるんですね?」
「はい。こうなってはもう、仕方ありませんから」
顔から手を離した彼は、妙に明るい笑みを湛えていた。剥がれかけた仮面を見事に修復したようであり、言いようのない不安が足元から涌いて来る。
「だそうですので、後のことはお願いしますね」
「あ、ああ、わかった。
エクゥス」
「は、はい!」
刑事は足元にバスケットを置き、スーツの内ポケットから手錠を取り出した。
そして、特に抵抗する素振りもなく立ち尽くす被疑者に近づいて行く。
すると、イナバは徐にズボンのポケットに右手を入れた。
「動くな! 何をするつもりだ!」
「別に、なんでもないですよ。ただ、時間が気になったものですから」
「時間?」
警部の声に答えるように、彼は銀色の懐中時計を取り出してみせる。イナバは片手でその蓋を開けると、文字盤に目を落としながら、
「ところで、探偵さん。あなたの推理には、一つ大事なことが抜けていませんか?」
「大事なこと? なんでしょう?」
「動機ですよ。僕たちが今回の事件を計画した理由が、まだ明かされていません」
時計から顔を上げ、青年は嗤う。
その時、私はやうやく理解した。このゴムマスクのような顔こそが彼の本性であり、決して脱ぐことはできないのだと。この男の顔の皮膚は、すっかりマスクと融合してしまい、人間としての血の気が通うことなんて、あり得ないのだ。
そう思った時、私は不安の影が急激に膨れ上がるのを感じた。




