第二十一話
こちら側の近道も、他の道と同じく変わり映えしない景色だった。
が、それも五分ほどで終わり、すぐにわかれ道の合流地点に出る。何時間か前、オオカミが待ち伏せしていた場所だ。
(あの時は、まさかこんな事件が起こるとは思わなかった。ただ、念願の主人公役を全うしようと意気込んでいただけで、よもや自分に殺人容疑がかけられるなんて……)
なんだかずいぶんと昔のことのように思いつつ、私はまっすぐ森の入り口を目指す。
さらに五分とかからずに、私はそこ──「新約赤ずきんちゃん」のスタート地点──に辿り着いた。
すぐ目の前には近くの村へと続くあぜ道が伸びている。だが、実際には見えない結界に阻まれているのだ。
私は手頃な大きさの石を拾い上げて、前方へと放り投げた。すると、石が結界に触れたことにより、そこから透明の波紋が何もない空間に広がる。石は無生物だから結界の向こう側に行くことができたが、私が触れようものならば、たちまち弾き返されるだろう。
(けど、ここでじっとしてるわけにもいかないし……。やるしかないんだ)
意を決して、私は拳を握り締めた。
そして、軽く助走をつけながら、それを振りかぶる。
「はあっ!」
かけ声と共に、私は見えない壁を殴りつけた。
瞬間、再び空間が揺らめき、かと思うと火花が散った。そして、右手から強烈な熱と痛みが伝わり、私は小さく悲鳴を上げる。
とっさに手を引っ込めたが、結界に触れた場所はそれだけで火傷を負ってしまった。肉が焦げる匂いを嗅ぎながら、私は痛みに歯を食い縛る。
(くそっ、やっぱり結界を破るのは無理だ。いったいどうしたら……)
その時、私はようやくある物の存在を思い出した。
(そうだ、携帯。今度こそ叔父さんに電話して助けに来てもらえば)
もう、なり振り構っていられなかった。
私は半ズボンのポケットから、左手でスマホを取り出す。
それから、すぐに電話をかけようとホームボタンを押してみたが、何故か画面は暗く沈黙したままだ。うんともすんとも言わない。
(もしかして、湖に飛び込んだから? だから、水に濡れて壊れんじゃ……)
全身くまなく水に浸かったのだから、当たり前だ。
そう思った時、私は力なく左腕を下ろした。そのまま、膝から地面に崩れ落ちてしまう。
未練がましくスマホを握ったまま、私は下を向いた。
「……はは、どうしよう……どうしたらいいの?」
思わず自分で笑っちゃうほど、どうにもならない。どこまで私は間抜けなんだろう。そんな思いが湧いて来て、視界がぼやけた。
後もう少しなのに、すぐ目の前に見えるのに、そこへ行けない。まさに、いつもの私の状況と同じだ。
(……迎えに、来てよ)
不意にグランマのくれた言葉を思い出し、私は声にせず呟く。
彼女曰く「あなたはもう出会ってるはずでしゅよ。舞台袖にいるあなたのことも、しっかり見てくれる人に」だ。
(だったら……私のことちゃんと見てるなら、なんで迎えに来てくれないのよ!)
苛立ちのままに、私はスマホを地面に投げつけた。
そして、ただ涙を零す。今までと同じように、私は何もできずに泣いていた。
「──お待たせ、トウカちゃん」
「……え?」
聞き覚えのある声に、私は声を漏らす。
それから、涙も拭わぬまま背後を振り返った。
すると、そこには──
彼の姿が。
「ごめんね、遅くなってしまって。さあ、迎えに来たよ」
申し訳なさそうな形に眉毛を曲げて、叔父さんはそう言った。
私は彼がいることを信じられず、目元を擦ってからもう一度確かめる。
間違いない。曇りの取れた視界には、やっぱり叔父さんの姿があった。
「叔父、さん……なんで?」
「ちょっと、まあ、仕事の関係でね。本当はもっと早く来るつもりだったんだけど、思いの外情報収集に手間取っちゃって」
照れ隠しでもするみたいに、彼はボリボリと頭を掻く。叔父さんは強そうな蓬髪を後ろで一つに括っており、くたくたになったシャツや色あせたジーンズを履いている様は、正直あまり清潔な感じではない。
けれども、無精髭の生えた彼の顔を見ると、途端に安心感を覚えるのだから不思議だ。
そんなことを思っていると、叔父さんは私の元に歩み寄り、同じようにしゃがんで視線を合わせてくれた。
「怖い思いをしたみたいだね。けど、もう大丈夫だよ。……だから、僕に話を聞かせてくれるかい?」
子供の頃と同じように、彼は優しい声で言う。
私は眼鏡の奥の叔父さんの目を見返してから、こくりと頷いた。
「うん。実は──」
それから、私は今日童話が始まってから会ったこと、体験したことを全て話した。オオカミを昏倒させてしまったことや、それを隠そうとしたことも含めて。
──その後、一通りここに至るまでの経緯を説明した私は、先ほど気づいた違和感について報告する。
「それで、一人だけおかしなことを言ってる人がいて……」
私が話し終えるまで、叔父さんは無言のまま耳を傾けてくれていた。
「っていうわけなんだけど、これって変だよね?」
私が尋ねると、彼は答える代わりに私の頭に手を乗せる。そして、優しく撫でてくれた。
「叔父さん?」
「うん、そうだね。トウカちゃんの言うとおり、それは重要な証拠だよ」
「そうなの? 私には何を指してるのかわからなかったんだけど……」
すると、叔父さんは私の頭を撫でる手を止めて、立ち上がる。
「ありがとう、トウカちゃん。君のお陰で、今回も無事解決できそうだ」
「え、それじゃあ」
彼は少しだけ屈みながら、こちらに右手を差し出した。
「うん、これで全てわかったよ。この事件は『二重の一方通行』のせいで複雑になっていただけで、実際はとても単純な物だったんだ」
二重の一方通行。それが意味するのは、おそらく森を包み込む結界と、一本道のような塔の構造だろう。
「だから、僕と一緒に着いて来てくれるかい?」
「え? もしかして、みんなのところに?」
「ああ」
叔父さんは自信に満ちた表情でこう続けた。
「解答編をしなくてはならないからね」
〈『新約赤ずきんちゃん』出題編──了〉
というわけで、「出題編」終了です。
なんか、中途半端な文量になってしまい申し訳ございません。
叔父さんも言っていたとおり、次回から「解答編」に入ります。
まあ、「読書への挑戦」もないので、明確に区別することもないかも知れませんが(そもそも、挑戦できるようなクオリティじゃなかった……)。
ともあれ、ここから折り返しです。
最後までお付き合いいただけましたら、幸いです。




