第十七話
「ふん、奥歯に物の引っかかったような言い方だな」
苛立たしげにワイルドボアは毒づく。理不尽とも取れる言動だが、アトキンスは別段気にしていないようだった。
彼は死体を見つめたまま、こんな提案をする。
「……警部。彼のマスクを脱がせてみたいのですが」
「なに?」
「一応、素顔を確かめておくべきかと」
「ふむ。確かに顔を知らないまま、というわけにもいかないか」
一理あると思ったらしく、言いながら彼は頷いた。
と、そこへエクゥスが戻って来る。振り返り部下の姿を見たワイルドボアは、「いいところに来た」と声をかけた。
「何がです?」
「いや、なに、ちょうど今被害者の顔のマスクを脱がせてみよう、という話になっていてな。さっそく頼む」
「……げっ、僕がやるんですか⁉︎」
「もちろんだとも。大役だな」
「はぁ、わかりましたよ」
ため息を吐いた彼は、渋々パッサーに近づく。アトキンスが立っている反対側に回り込んで、片膝をついた。
「失礼しまーす」
一応両手を合わせてから、エクゥスはゴムマスクに手をかける。顎の下の辺りを掴み、恐る恐る捲って行った。
やがて、露わになった物を見て、三人は息を飲む。パッサーはどうやら顔に酷い火傷を負っていたらしく、皮膚が赤黒く爛れているではないか。
「酷い火傷ですね」
「み、見ればわかる」
徐々にマスクが捲れ口許までが露わになった。
そして、三人はさらに恐ろしい物を目の当たりにする。なんと、死体の口の両端が切り裂かれているのだ。
それも、昨日今日にできた傷ではないらしく、耳に向かって引き裂かれた状態で皮膚が塞がっている。そして、閉じることのない唇の間からは、本来ならば見えないはずの歯と歯茎が剥き出しとなっていた。
まるで、口角を吊り上げて笑っているかのように。
エクゥスは思わず手を止め、青ざめた顔で上司を見上げた。
「……これ、まだ捲らなきゃダメですか?」
「え、ああ、当然だ。こうなった以上、余計に彼の素顔を拝まなくては」
言葉とは裏腹に、ワイルドボアの声は震えている。
「ですよね……」
諦めるように呟いてから、泣く泣く彼は作業を再開した。
口の次は鼻が露わになる。パッサーの顔の火傷は広範囲に及んでいるらしく、こちらも惨い状態だった。
のみならず、彼の鼻は強引に削られたかのように、不自然なほど低くなっている。まるで、髑髏の鼻のようになっており、刑事はそれこそ泣き出したくなったようだ。
しかしやめることもできず、エクゥスは顔を逸らしながら被害者の後頭部に片手を回す。重い頭を持ち上げ、さらに手を動かした。
そして、今度は両目の辺りに差しかかる。すると、こちらも口と同じように、目尻が引き裂かれているではないか。しかも、傷口は若干下向きにカーブを描いており、これまた不気味な笑顔を浮かべているようである。
いや、無理矢理浮かべさせられているのだ。
「……これは、どういうことなのでしょうか?」
アトキンスの発した問いに答えられる者など、誰もいない。
「さ、さあな。ただ……パッサーの顔は何者かによって、その、改造されていた、ということか」
「そのようですね。よく見ると、目や口の傷には縫合されたような跡があります。つまり、誰かが切り裂いてから、断面をそれぞれ縫い合わせて閉じないようにしたのでしょう」
「……お前はどうしてそう」
「なんでしょうか?」
本当は「冷静なんだ」と続けるつもりだったが、彼はそれを飲み込んだ。まともに取り合うべきではない、と判断したのだろう。
「まあいい。
それより、エクゥス」
「は、はい。わかってます」
上司の言葉で我に返った彼は、そのまま一思いにマスクを脱がせた。もう何が出て来たとしても、これ以上不気味な物などないだろう。そう考えたらしい。
勢いよくエクゥスが腕を引くと、被害者の素顔が全て晒し出された。彼の頭にはほとんど髪の毛が残っておらず、こちらにも二箇所縫い合わされたような跡が見て取れる。
と、その時ワイルドボアが突然声を上げた。
「こ、このタトゥーは!」
彼が言っているのは、パッサーの額から頭頂部にかけて刻まれて、気味の悪いタトゥーのことだろう。
タトゥーは開いた本の上に浮かぶ髑髏と、その目や鼻や口から無数に這い出している虱の大群を描いた物だった。
ただならぬ様子のワイルドボアに、アトキンスは顔を向ける。
「どうしたのですか?」
「……奴らだ。このタトゥーは、奴らの」
怒りと恐怖がない交ぜになったような表情で、彼は続けた。
「『ワンダーランド』のシンボルマークだ!」
その声に、室内を飛び回っていた妖精たちもワイルドボアの方に顔を向ける。エクゥスもそのことに気づいていたらしく、目を白黒させながらタトゥーに釘づけとなっていた。
「……それでは、モーブ・パッサーさんは」
「間違いない。奴はレジスタンスの、しかも『ワンダーランド』のメンバーだったんだ!」
断定的な口調で警部は声を荒げる。もし彼の言ったとおりなら、事件の様相も変わって来るはずだ。
「じ、じゃあ、今回の事件も『ワンダーランド』の仕業なんですか⁉︎」
「可能性は高いだろう。少なくとも、何らかの形で関わっているはずだ」
「そ、そんなぁ……」
エクゥスは完全に震え上がってしまっていた。
「とにかく、このことを本部に報告して応援を要請するんだ。奴らが関与している可能性があるとすれば、さすがに連中も腰をあげるだろう」
「は、はい、わかりました!」
刑事は持ったままだったマスクを置き、慌てて立ち上がる。足をもつれさせながら部屋を出て行く彼を見送ってから、ワイルドボアは探偵に声をかけた。
「我々は、ひとまず関係者たちの話を聞きに行くぞ」
「……はい」
二人は連れ立って空き部屋を出ると、出演者らの待つ二階へ向かった。
*
大部屋の中にいたのは、先ほどの顔触れとほとんど同じだった。ただ、ケープとトウカがいない代わりに、今はフェザーズが壁に寄りかかって立っている。
彼の姿を見たワイルドボアは、一番に気になっていたことを尋ねた。
「失礼ですが、フェザーズさん。あなた今までどちらに?」
この問いに、フェザーズは決まりの悪そうな顔をして答える。
「いや、少し、急用を思い出したものだからね。もしかしたら、もう結界はなくなっているんじゃないかと思って、確かめに行っていたのだよ」
「はぁ、急用ですか。ちなみにそれはどのような……」
「なんというか、その、かなりプライベートなことなんだ。申し訳ないが、この場では言えないよ」
明らかに動揺しているように、ワイルドボアの目には映った。それから、彼が右手を負傷していることに気づく。結界に触れた為だろう、指先や手のひらに所々火傷を負っていた。
「……わかりました。とにかく、今は非常事態ですから、勝手な行動は慎むように」
「ああ、もちろんだとも。以後気をつけよう」
さりげなく右手をもう一方の手で隠しながら、フェザーズは頷く。本当は何かやましいことがあるのではないか、と問い詰めたくなるのを堪え、彼はひとまず関係者たちの話を聞くことにした。
「では、みなさんにいくつか質問をさせてもらおうかと思います。
まず、ケープ・ロットさんと共に亡くなっていたモーブ・パッサーさんについて。最後に彼の姿を見たのは、いつ頃かわかりますか?」
彼が過激派テログループの一員である可能性が高い、ということは敢えて伏せながら、ワイルドボアは尋ねる。
「そうねぇ……たぶん、あの三人が三階に引っ込んだ少し後だったと思うわ。いきなりそこのドアから出て行ったのよ」
スケイルは椅子に腰下ろしたまま、警部らの後ろにある扉を指差した。上の階へ向かう方のドアだ。
「なるほど、そうでしたか。
他の方も、間違いありませんね?」
ウサギとワシに尋ねるも、異論はないらしい。
「ああ、私たちもその姿を見たよ。
……そう言えば、彼が出て行く時私が『どこへ行くんだ?』と声をかけたんだが、結局無視されてしまったな」
「ほう、それはまたなんとも……怪しいですなぁ」
彼はやはり思ったことをそのまま口にする。それから、他の関係者たちの動きを聞いてみることにした。
「ところで、他のみなさんはどのように過ごされていたのか、教えてもらっていいですか?」
「私は別に、何もしてなかったわよ。一回お花を摘みに行っただけで、後はここに座ってぼおーっとしてたわね。スマホの電池なくなっちゃったし」
「ふむふむ。席を外していた時間は、だいたいどれくらいでしょう?」
「さあ、たぶん五分程度だと思うけど。
ちなみに、私がお手洗いに行ったのは、あの覆面が出て行った少し後よ」
「ということは、彼に続いて二番目にこの部屋を出たのは、スケイルさんなんですね?」
「そうよ。……まさか、それだけで犯人扱いするんじゃないでしょうね?」
「さすがにそんなことはしませんので、ご安心を」
ワイルドボアが苦笑気味に答えると、彼女は信用できないと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「ふん、まあいいわ。どのみち私には犯行は無理だしね。
で、その後私がここへ戻って来た時には、もうそこのワシさんはいなくなってたわ」
嫌味っぽく言うスケイルに対し、フェザーズは肩を竦めてみせた。
「彼女の言うとおりだ。二人が出て行った後、私も下に向かった。さっきも言ったとおり急用を思い出したのでね」
「……つまり、みなさんのお話をまとめると、まず最初にパッサーさんが部屋を出て行き、その次にスケイルさんが手洗いへ。そして彼女が戻って来るまでの間に、フェザーズさんが塔の外へ出た、ということですな」
彼が声に出して確認した時、しばらく無言で一向を見渡していたアトキンスが、徐に口を開く。
「……イナバさん。あなたは、ずっとこの大部屋に?」
「え、あ、はい。
ああ、でも、ずっとではないです。その、スケイルさんが戻って来てから何分か経った後、僕もトイレに行きましたから」
「でしたら、その際に彼女らの会話を聞いたのですね?」
「は、はい」
イナバは顔色を伺うように、椅子に腰かけるグランマの方を盗み見た。しかし、彼女は心ここに在らずといった様子で、さっきからずっと虚空を見つめている。どうやら他の者たちの会話も届いていないらしく、年相応、いやそれ以上に老け込んで見えた。
「トイレから戻る時に部屋の前を通りがかったら、偶然話し声が聞こえて来て……。よくないとは思ったんですが、気になって盗み聞きをしました」
「すると、赤ずきんちゃんさんの本当の種族は鬼だ、という話をしていたと」
「はい。それで、一応警察の方にも報告した方がいいんじゃないかと思っていたら、あの、ケープって子にバレてしまいまして。慌ててここまで、逃げて来たんです。
そしたら、もうみなさんがいて……」
「うむ、私たちはイナバさんと入れ替わりでこの部屋に入った形ですな。
そして、どうしてスケイルさんしかいないのかと尋ねようとした時に、イナバさんが血相を変えて戻って来た。何事かとあなたの話を聞いていると、今度はグランマさんたち三人が戻って来る。……そこから先は、フェザーズさん以外はご存知のとおり、ですね」
そこまで言うと、ワイルドボアは息継ぎをするように言葉を切った。
これで、一応全員の動きは把握できた形になる。
「そう言えば、あんた鬼のこともよくわかってなかったわよね? 童話についての知識もあまりないみたいだし、もしかして、よっぽど温室育ちなの?」
意地悪そうな笑みを浮かべ、スケイルが探偵に尋ねた。
「温室育ち、ですか……ある意味ではそうかも知れません。
しかし、先ほどはありがとうございました。お陰で、ずっとわからなかったことが解消できました」
「わからなかったこと?」
「はい。彼女がどのようにして、童話内におけるゲッシュの効力を掻い潜ったのかです」
「ああ〜。確かに、普通はタグをつけたままじゃ、赤ずきん役がオオカミ役を殴り倒すなんて無理だものね」
アトキンスは無言で頷く。
彼らのやり取りをワイルドボアが横目で見でいると、バタバタと階段を駆け上がる足音が聞こえて来た。
かと思うと、戸口に現れたのは馬面の刑事である。どうやら、本部への連絡を終え戻って来たらしい。




