第45話 側妃ミーナという人間
扉を開けると案の定、既に側妃ミーナは部屋の中にいた。
どうやら彼女は他人の部屋を、隅から隅まで事細かく観察する趣味でもあるようだ。
私に気が付き「あらエリス様」と、勝ち誇ったような笑みを向けてくる。
「王妃様ともあろう方の応接室が、これほどまでに簡素だとは」
……らしくないと思っていた側妃の来訪が、急にらしいように思えてきた。
一応言い返す選択肢もあったけど、敢えて相手にせず先にソファーに腰を掛け、「おかけになったら?」と彼女に促す。
別に他意はなかったのだけど、彼女があからさまにムッとしたのを見て少し考え「あぁ、本来着席の許可は、通常目上が目下に対して行うものだったな」と思い出した。
プライドの高い彼女にとって、指示されたのが余程屈辱的だったらしい。
そもそも私が彼女より目上なのは、正妃と側妃という立場からしても、生家の家格からしても、今のところ覆しようはない事なので、正当なのだけど……。
そんなに嫌なら、言われる前に大人しく座っておけばいいのに。
妙な嫌がらせをしようとするからだ、と内心で密かに独り言ちる。
それでも言葉にしないだけ、随分と優しいと思うのだけど、ソファーにボスッと腰を下ろした彼女は、何か言い返したくてたまらなかったらしい。
私がリリアを抱いているのを見て、「突きどころを見つけた」とでも言わんばかりにニヤリと笑った。
そして、分かりやすく打ちのめされたふりをする。
「陛下の子を、これ見よがしに見せびらかすなんて……」
「よよよっ」という泣き真似声が、今にも聞こえてきそうだと思った。
そのような事をしたところで、ここにいるのは私と彼女だけ。
悲劇のヒロインにはなれないだろうに、一体何がしたいのか。
「ミーナさんとは違い、私付きのメイドは二人しかいません。一人はロディスに付き添っていて、もう一人は今ここにいますから」
「人手のなさを誇るなんて、そんな恥知らずお止めになったら?」
「人手のなさを誇った覚えは、ないのですが……」
一体どう聞いたら、今の話がそう聞こえるのか。
……分かっている。
彼女だってそこまで馬鹿ではない。
分かっていて、敢えてそう言っているのだという事は。
実に貴族らしい、面倒臭い会話の応酬だ。
しかしお陰で彼女が何をしたいのか、分かった。
彼女はこの場の会話の主導権を握りたいのだ。
私が彼女の《《勘違い》》にオロオロとし、罪悪感を抱き会話の受け身に回る。
そういう状況にしたいのだ。
もしくは私がオロオロとするのを見る事自体が、目的か。
たしかに時戻り前の私なら、事を荒立ててそれが陛下に伝わり、陛下からの「側妃と仲良くしてくれ」というお願いに反する事をしたとして失望される事を懸念したかもしれない。
しかし生憎と今の私は、そのような些事に興味はない。
だから彼女の意図的な被害妄想を、「被害妄想だ」と指摘した。
何なら、さも「そんな妄想をしてしまう程に、何かに追い詰められているのね。お可哀想に」と言わんばかりの声色で。
それは、彼女からすれば想定外だったのだろう。
酷く気分を害したように、眉間に皺をギュッと寄せる。
そんな彼女の向かい側で、私は「うー」と唸ったリリアを腕の中で揺らし、喜ぶ彼女から癒しを得る。
片やストレスを抱える身。
片や溜まったストレスを、溜まった傍から解消する身。
どちらが幸せかは、言うまでもないだろう。
そんな私を羨んでか、彼女は懸命に笑顔を作りながら「……ねえ王妃様、そんな幼子を大人同士の話し合いの場に連れているのは、少し不躾なのではない?」などと食い下がってくる。
頑張って笑っても、不愉快が口角をひくつきに出てしまっているあたり、詰めが甘い。
ついでにだけど、おそらく実際にこの場から排したいのは、リリアではなくルリゼなのだろう。
彼女の視線が先程から、チラチラと私の後ろで静かに控えているルリゼに向かっているのだから。
何故ルリゼを遠ざけたいのかはよく分からないけれど、彼女は何を言われても、自分の存在意義を果たすためにここから動く気はないだろう。
私としても、突然やってきて何をしに来たのかも分からない相手の不都合を排除してあげる程、優しくはない。
「もし今日ミーナさんが会いにいらっしゃらなければ、私は今頃子どもたちとの穏やかな時間を堪能できていたのです。突然の予定変更なのですから、我が子をこの腕に抱く自由くらい、尊重されていいと私は思いますわ」
暗に「二人だけで話がしたいのならば、あらかじめ伺いを立てておくなり、先触れを出すなり、こちらに対して相応の配慮をしてから言ってほしいものだ」と意見する。
――もしミーナさんがこの辺の事を匂わせなければ、少しはルリゼにリリアを預ける可能性もあったかもしれないのに。
墓穴を掘ったも同然の彼女の、浅はかさに少し呆れながら。
この人、こんな感じだったっけ?
少なくとも時戻り前の記憶の中の彼女は、もっと狡猾で抜け目がなく、相手の心を折るのが上手な人だったと思ったのだけど。
理由は分からないけれど、今の彼女からは不思議と一切、そういう圧を感じない。
私が言い返す度に顔を歪ませる彼女から、今にもゴリゴリという音が聞こえてきそうな程に、余裕が削られていっているのが分かる。
時が経てば経つ程に、私の記憶の中にいる高慢で傲慢で余裕で私を見下してきていた彼女から、かけ離れた人間に見えてくるけど……あぁ、そうか。
何故彼女の印象が、記憶の中の彼女からズレるのか。
今やっと分かった気がする。
――もしかしたらこの人は、自分が優位ではない世界への耐性がないのかもしれない。
もし彼女が、自分の思い通りに事が進んでいる時にこそ、その真価を発揮するのだとしたら。
自分が優位に立っているという余裕がある時こそ、頭が回り、強者としての風格が出て、あの圧倒的強者であるかのような空気を醸し出せるのだとしたら。
時戻り前の彼女とは違い夜会で失敗した彼女は、今優位性を失っている。
私はあの夜会を「自身の足元が崩れるキッカケの事件」だと思っていたけれど、彼女にとって「成功する事が前提」だったのだとすれば、その前提が崩された今、自分の理想から外れてしまった今、焦る理由はよく分かる。
焦るから、あの頃の自信や威厳はなりを潜めた。
そんな自分をどうにかするために、今彼女は必死に自分優位を取り戻そうとしている。
何をしに来たのか測りかねて、それが少し不気味だったけど、何という事はない。
もし「自分優位な状況を取り戻す事」が彼女がここに来た目的だったなら、彼女はずっと目的を達成するために、あれやこれやとやっていたのだ。
それこそ部屋をジロジロと見定めていた、あの時から。
――交渉事に、心の余裕は大事。
そんな母の教えの意味を、身をもって知る。
たしかに今の彼女からは、恐ろしさはほとんど感じない。
それほどまでに大切なのだ、きっと心の余裕というのは。
「そ、それはそうと、今日は立場を振りかざしている貴女の行いに、同じく陛下の妃として、苦言を呈するべく来たのです」
気を取り直すかのように、そんな事を言ってくる。
私は「立場を振りかざして?」と聞き返した。
心当たりがまったくない。
だからこれは純粋な疑問からの言葉である。
しかし小首を傾げた私の姿が、とぼけているようにでも見えたのだろう。
付け入る隙を見つけたと言わんばかりに、ニヤリと笑い胸を張って、ピッと私を指さしてきた。
「貴女、王妃の権力を笠に着て、兄共々方々に圧力をかけているでしょう!」
「え?」
一体何の事だろう。
一瞬そう思ったけど、流石に兄と一緒くたにされれば、私にも一つ心当たりがあった。
「文官周りへの監査! アレは貴女の兄の職権乱用の横暴だわ! そしてその前の日に、貴女はその兄のところに出向いていた! 隠していたのだろうけど、無駄だったわね!」
やはり、と思う。
そもそも私と兄が合わせて語られる案件なんて、それくらいしかないのだから、答えなんて最初から一つだったのだけど。
「別に権力を笠に着てなどいませんよ」
「じゃあ一体何だと言うのよ! どうせ国の経費を節約させて、その分を自分のための経費に充てさせる算段だったのでしょうけどね!!」




