愛され側室な日々★5
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王宮にある聖堂に、神父、神官、騎士の三役職が集まっている。神父は言葉で神を讃え、 神官は楽器や神物を使って神を賀ぐ。騎士であるミゲルたちは供物となって女神にその身 を捧げる──それが女神ベルフィアを祀る、ベルフィア祭だ。会議は神職を中心に進むため、ミゲルが何か言うことはない。
ルカリア神父は上座に腰かけ、聖職者と言葉を交わし ている。話す相手もいないミゲルが床に落ちたステンドグラスの模様を眺めていると、聖堂の扉が開いた。
白髪の中年男性が入ってくる。神官長のルーベルだ。
「遅れて申し訳ない」
彼が難しい顔をしているので、神官の一人が「どうかなさったのですか」と尋ねた。
「いや、先ほど不気味な女性を見かけたんだ。見た目は妖精のように美しいのに、縛り付 けられて奇妙な笑い声を発していて......」
ミゲルはその言葉に顔をあげた。ルカリアもぴくりと肩を揺らす。 ルーベルは難しい顔で続けた。
「もしや悪霊がついているのではと」
「......それは側室のリリア様ではないでしょうか」
ルカリアが口を開く。
「先ほどお会いしましたが、少し体調がお悪いようでしたので」
「ほう、あれがリリア・リヴァルか」
神官長が感心したように言う。
「相当に美しいとは聞いていたが、うわさ通りだな」
美しいという意見に異論はないが、彼女の本性を知っているだけに生温い笑いしか出ない。
「しかし、陛下がご寵愛されているのはユージーン様ではなかったか」
「ああ。リリア様のところには、数回しか行かれていないそうだ。何か不具合があるのかもしれんな」
不躾な会話に、ミゲルは眉を寄せた。神に仕える神官たちがそんなことを話すのはどうか と思った。──と、もう一人そう思った人物がいたようだ。
「そんなことより、ベルフィア祭の打ち合わせをしましょう」
ミゲルはルカリア神父に視線を向けた。穏やかな口調ながら、蜂蜜色の瞳には強い意志が 込められている。神官たちは、関係ない話で盛り上がったことを恥じるように話題を変えた。
「で、では祭りの警備に関してだが......」
会議が終わり、神官たちが聖堂を出ていく。ルカリアは聖堂内のステンドグラスをじっと 眺めていた。帰らないのか、とミゲルが尋ねても反応しない。ミゲルは肩をすくめ、椅子 から立ち上がる。聖堂の出入り口へと歩みを進めていたら、ミカエルが口を開いた。
「神官もレベルが落ちましたね」
その言葉に、ミゲルは足を止めた。振り向くと、ルカリアと視線がかち合う。彼は厳しい 口調でつづけた。
「仮にもリリアさんは側室。貶めるような発言をするべきではない」
「......やけにリリアに入れ込んでるんだな」
「彼女はまっすぐすぎて誤解されてしまいますから」
「まっすぐというより、直情的と言った方がいい」
ミカエルは優越感を称えた笑みを浮かべた。
「あなたにはわからないんだな、リリアさんの魅力が」
その言い草にいら立った。おまえはあの女のことをわかっているとでもいうのか? 大した付き合いでもないくせに。
「魅力的だからなんだというんだ」
「私は彼女を想っています」
その言葉に、ミゲルは息をのんだ。うすうす感じていたことだが、まさか、こんなところ で暴露するとは。ミゲルは呻くように言う。
「あいつは陛下の側室だぞ......」
「名ばかりの側室だ」
事実にしろ、ずいぶんな問題発言である。ミカエルの背後には、女神ベルフィアの像が見えている。
「女神様を捨て置いて、女に関心を抱いていいのか、神父様」
「思うだけならば自由でしょう。あなたにはその勇気もない」
「おまえと一緒にするな。俺はあの女に関心などない」
ミゲルは踵を返し、教会から出た。
ふと、リリアを縛り付けていたことを思い出し、庭 へ向かう。リリアは何かをぶつぶつ呟いていた。耳を澄ますと、「ミゲル様がうった愛の楔が身体に食い込んで、愛と言う名の血を流すの……」
なに言ってるんだあいつ。ミゲルが近づいていくと、頬を染めてこちらを見る。
「ミゲル様......」
またよからぬことを妄想していたのだろう。リリアの両親に約束したというのに、結局発 作をなくすことはできなかった。ミゲルは彼女の腕を縛り付けていたタイをほどいて、「悪 かった」と言った。
「え?」
「むしゃくしゃしていた......あの神父が気に食わなくて、おまえに当たった」
「ミカエル神父様はいい方ですわよ」
その言葉には返さず、ミゲルはリリアをベンチへ促した。腰を下ろしたリリアの髪が、風 に揺れる。ミゲルはじっと彼女を見つめ、口を開いた。
「おまえに言っておかなければならないことがある」
「なんですの?」
「私には婚約者がいる」
その言葉に、リリアが息をのんだ。ミゲルは、リリアが大事そうに持っている冊子を指さした。
「だから、こういう妙な小説を書いたりするのはやめてくれ。婚約者が知ったら誤解する」
さすがに応えたのか、リリアは黙り込んでいる。ミゲルは何も言わずにベンチから立ちあ がり、その場から去る。背中に突き刺さるようなリリアの視線を感じた。これでいい。リリアのためにも、自分自身のためにも。そう思うのに、なぜか心が重苦しかった。
もやもやしながら帰宅したミゲルを、老執事が出迎えた。老獪な彼がいつもより疲れて見 えたので、どうかしたのかと尋ねてみる。
「ミランダ様がお待ちです」
「ああ......」
ミゲルはますます重苦しい気持ちになるのを感じた。それを察したのだろう、執事が口 を開く。
「お会いになりたくないなら、お帰りいただきますが」
「いや、会おう」 重い足取りで客間に向かうと、婚約者がソファに座っているのが見えた。豊かな髪を結い 上げ、美しい横顔を見せている。彼女の傍らには、車いすが置かれていた。近づいていったら、彼女は婉然と笑んだ。
「あら、ミゲル。久しぶり」
「久しぶりだな、ミランダ」
ミランダは鷹揚に頷き、冷たい声でメイドに命じた。
「早くお茶を淹れて」
メイドはミランダが恐ろしいのだろう。震えながら茶を注いでいる。彼女はカタカタとカ ップを震わせながら、ミランダに茶を差し出した。
「ど、どうぞ」
ミランダはカップを受け取り、一口飲んで眉を寄せる。彼女はカップに入った紅茶をメイ ドにかけた。メイドは悲鳴を上げ、自分の身をかばう。ミランダは美しい顔を歪めて叫ん だ。
「60 度でと言ったでしょう! 私を火傷させる気なの!?」
ラウルは顔を強張らせ、メイドをかばうように立つ。
「いきなり何をするんだ」 ミランダは素知らぬ顔をしている。ラウルは泣きじゃくるメイドの背をそっと押した。
「もういい。着替えてきなさい」
メイドを見送ったラウルは、婚約者からカップを取り上げた。ミランダを見据え、声を尖 らせる。
「ミランダ、やりすぎだ」
「あの子、あなたに気があるわ。ぼうっとしていたから仕置よ」
ミランダは先程の激昂はどこへやら、いつも通り優雅な様子に戻っている。この変わり身 にはいつまで経っても慣れない。ミランダはプライドが高く、ミゲルが他の女の名を呼ぶ ことすら許さないのだ。それは愛情ではなく、束縛からだ。ミゲルは彼女の所有物なのだ。 幼いころ、彼女に怪我を負わせた時から。毛布に覆われた、ミランダの動かない足を見ながら苦い 思いで尋ねる。
「......何か用か」
「その言い草、婚約者に対してあんまりね」
「疲れてるんだ。用件がないなら......」
「ハミルから聞いたのだけど、面白い女の子に好かれてるって本当なの?」
あいつ、余計なことを――。重々しい声で、ミゲルは答える。
「彼女は陛下の側室だ」
「へえ。美人なの?」
「陛下が選んだんだ。あの人の好みだよ」
ミランダが興味を持たないよう、慎重に言葉を選ぶ。ミランダはおかしそうに笑い、上目 遣いでこちらを見た。
「ねえ、もしその女と何かあったら──あなた、斬首刑じゃなくって?」
そうなれば面白いとでもいうような口ぶりだ。実際、この女ならそういった醜聞を流し かねない。 以前、ミゲルに思いを告げたメイドがいた。身分の差はわかっている。だが気持ちが抑え きれないと彼女は言った。そのメイドは 1 週間後、手紙を置いて急に田舎に帰った。
手紙には「父が病で倒れた。あの言葉は気の迷いだから忘れてくれ」と書いてあり、その筆致は妙に震えていた。何があったかはわからないが、ミランダが手を出したのは間違いないと思った。問い詰めたら、案の定「泥棒には仕置をしなくちゃ」と返ってきた。
婚約破棄を申し 出たら、あのメイドがどうなってもいいのかと言われた。あの時、ミランダは冷笑したの だ。
「知ってるのよ? あなた、あの女に気があったでしょう。私に隠しごとができると思わないで。足がなくても、蛇はどこにだって忍び込めるのよ」
自分で言う通り、ミランダは蛇のような女だ。獲物を駆るのに何の躊躇もない。大丈夫だ。後宮にいる限り、 リリアは守られている。いくらミランダが公爵令嬢でも、皇帝の側室にまで手を出せはしない。
☆
リリアは庭園の池に小石を投げ、悩まし気な吐息を漏らした。
「ああん......ミゲル様ったら、あんなことを言って、私にやきもちを焼かせたいのかしら?」
私の知る限り、ミゲル・ランディ様に婚約者などいないはずだ。あれはきっと、私を嫉妬 させるための嘘ね☆ でも、恋に邪魔者は必要不可欠。創作メモに追加しておこうっと。ミゲルの婚約者につい て書き付けていたら、涼し気な声が聞こえてきた。
「このあたり、蛇の巣穴があるんじゃなかったかしら」
顔を上げると、車いすに乗った女性がこちらを見ていた。彼女は優し気に微笑みかけてくる。
「こんにちは。あなた、リリア・リヴァルさんね」
リリアはこの女性は誰だろうと考える。彼女はこちらの考えを読んだかのように嫣然と笑った。
「私、ミゲル・ランディの婚約者、ミランダ・ヴィーです」
リリアは目を見開いた。
「婚約者? ミゲルさまの?」
「ええ。聞いていない? 子供の頃からの婚約者なのだけど」
その時、リリアの脳がフル回転し、記憶を探り当てた。
「ああっ、蛇女ねっ!?」
その言葉に、ミランダの笑みが固まる。
「......何ですって?」
やっと思い出した。「白薔薇後宮物語」の中でミゲルが語るのだ。婚約者のミランダはわざ と木から落ちて足に傷をつけ、負い目を作って婚約を取り付けたのだと。
「ミゲルさまを縛る蛇蝎のような女だわ。私のような愛されヒロインとは真逆の存在!」
私の言葉に、ミランダの表情が引きつっていく。
「......それ、ミゲルに聞いたの?」
「まあ、似たようなものですわ」
私はいわば作品世界を全て見通す存在だから、ミゲル様視点で起こったこともバッチリ知 ってるのよ。彼の私への思いもね☆ミランダは日傘を差したまま、ゆっくりと私の周囲を 歩く。そのたびに、涼し気な瞳が傘から覗いた。
「あなた、ミゲルに気があるらしいじゃない。陛下に知られたら二人とも斬首ものよ」
「陛下は私の気持ちをご存知よ」
その言葉に、ミランダが顔をこわばらせた。
「何ですって?」 「彼はユージーンを深く愛しているから、私がどうしようが気にしないの」
「そういう問題じゃないでしょう。側室が騎士に奪われるなんて、主君にとっては最大の侮辱だわ」
「ええ、だから私はミゲルさまのお側にいるだけで十分なの」
これは道ならぬ恋。だから自作の TL を書いて無聊を慰めるのよ。うっとりする私に、ミラ ンダが怪訝な眼差しを向けてくる。
「とにかく、ミゲルに手出ししたら許さない。あの男は私のものよ」
彼女はそう言って、踵を返して去っていく。あら、これっていわゆる恋のさや当ててやつ かしら。ますます執筆がはかどるわ! 私はうきうきと筆を走らせた。




