第百二十五話
第百二十五話、投稿しました。うだるような夏の暑さですが、今日も私は空元気です。
────おばさんって言うと、女の人って結構怒るよね?
────? ええ、そういう人もいるわね。
────母さんがそうなんだ。あの人、まだ気分は二十歳なんだーって言ってた。
────あ、それで……えと、おばさんは? 気にする?
────うーん、まあ息子もとっくに三十路のおばあちゃんだからねえ。あまり気にしないわ。どうしたの? 急に。
────……あの。
────うん? なあに?
────…………。
────……大宮さんって……呼んでもいい?
────! あらあらまあまあ! 名前で呼んでくれるの?
────う、うん……おばさんは……し、失礼だし。
────ね、それならお願い! 『紫子さん』って呼んでみて?
────え、え?
────ね、ほら。ゆ、か、り、こ、さんって!
────え、あ……。
────……ゆ……紫子、さん。
────あら〜あらあらあら~♪
────っ……! お、大宮さん! やっぱり大宮さんって、よ、呼ぶよっ!
────ええー、そんなぁー! お願いよ~拓二くーん。
────大宮さんだからね! 呼ばないからね!
◆◆◆
「────……みやさん。大宮さん!」
時間をしばし巻き戻し、呼び掛けられた紫子は意識を起こした。
いかにもこってこての、黒塗りメルセデス・ベンツ、その車内。前部座席に座する男二人、真崎と津島がミラー越しに自分の方を見ている。
「……あ。ご、ごめんなさい。疲れてるのかしら、お昼寝しちゃったわ」
昔のことを、夢に見ていた気がした。
あれはそう、夫が亡くなって間もない頃のことだったはずだ。何故か今、そんなこともあったなということを思い出した。
気怠い額に手を当てながら、非礼を詫びた。
車が動く素振りはなく、目的地に着いたのかと思ったが────どうもそうではないらしい。
「これ……」
「渋滞、ですな」
紫子は外に車が停まったままであること、そしてこの車もその流れの停滞に巻き込まれ、完全に停車してしまっていることが分かった。
「とんだ大渋滞だ……これは誤算でした。急いでここから抜けないと……もう少し前に進めば、そこの小道に出られるのですが」
「ウチらの情報筋から、部隊が動いたとか言う情報も上がってますんでね。焦れったいすけどしばらくこん中いた方が安全すよ」
「安全、って……?」
「ほらこれっすよ」
紫子に向けて、津島が映像を流すカーナビを手の甲で叩いた。
ニュース番組だ。キャスターが騒然とした様子で、中継映像に対してたどたどしい言葉遣いで解説風を装っている。
上空から撮ったような映像で、とある交差点を映していた。
「…………」
町に住んでいる以上、そこは、見覚えのある場所であった。
そして、もう一つ。〝その遠巻きの映像に見覚えのある、『少年』の姿もあり〟────
「大宮さん!? クソッ!」
真崎は、その行動に対して完全に反応が遅れた。
突然のことだった。
それまで眠っていたはずで、目を付けなくて済んでいた老婦が、急にドアを開け放ち、大事にしていた犬までも置いて出て行ったのだから。
真崎は、紫子が停まっている車の隙を縫い、前方の大交差点に向かおうとしていると分かるや否や、後を追って危険に飛び込む彼女を止めようとした。
「おおっと。真崎さん、ストーップ」
だが────それは叶わなかった。
〝隣の運転席に腰掛けていた部下である津島が、真崎に向けて銃口を突きつけられたのだ〟。
ゴリっとその刈り上げ頭に突き付けられる。
それまでの軽薄な語調を忘れることなく、しかし冷ややかに、その頭蓋に狙いを定めていた。
「今から舞台に踊り出ようっつー演者を、その袖で引き留めるもんじゃあねーですぜ?」
「津島!? お前なんのつもり……!!」
「『津島』。『津島』、ねえ……」
途端、津島は笑い出す。
いや────〝真崎にとって津島だと思しき男が、笑ってこう話した〟。
「いやねこれ、本当は言っちゃ駄目なんですがね? 真崎さん……〝実は俺、津島じゃーねーんですわ。そっすね、大体一ヶ月くらい前から〟」
笑い声を続けながら、〝指を鳴らした〟。
パチン、パチンと。
車中に、軽快で不気味なその指鳴らしの音が鳴る。
真崎には、その真意を図れない。
その綺麗に鳴り続ける指鳴らしの意味するところが分からない。
「だから元の津島はもうこの世にいません。分かんなかったっしょ? んじゃあ真崎さん、そういうわけで」
「津島ァ! てめぇえええ!」
「だーから、俺は津島じゃねーんですってば」
激昂する真崎であったが、その返事は容赦なく。
弾けるような音と共に、真崎の頭は射抜かれ、車中が血みどろに塗れた。
壮絶な表情で事切れた真崎は頭をもたげ、その目には既に何物も映していなかった。
「短い間でしたが、ま、お世話んなりやした真崎さん。嫌いじゃなかったっすよ?」
津島────いや、『ウェストサイド兄弟』は、死んだ彼にそう呟きを落としてから、後部座席でその一部始終に怯える子犬を見やる。
「おおよしよし怖かったねえ」と手を伸ばし、生温かい赤い汚れをまぶすようにして、その怯える小さな頭を優しく撫でた。
◆◆◆
────例えばもし、この世界がRPGの世界であり、相川拓二という自分がその主人公なのだと妄想するとして。
相川拓二という特殊な少年が、傷つきながらも敵を倒していく冒険活劇という体裁に沿って、今日という三月三十一日を一本道のストーリーが紡がれるとすれば。
この場合彼にとっての最大の困難、謂わばラスボスは、間違いなくビリーと言えるだろう。
過去最強を誇る拓二にとって、ビリーは過去相対したどの強敵よりも強敵である。力も能力も申し分ない。
この三月三十一日に至るまでの過程から積み上げてきたものを思えば、まさにラスボスとして相応しい。
これがRPGだったなら、主人公拓二はビリーと一騎打ちし、倒し、そうすればエンディングを迎えることだろう。それ以外のことなど考える必要もない。
しかしこれは、どうしようもなく現実で、話はそれで問屋が卸さない。
ラスボスと主人公の一騎打ちということを認めない。彼ら以外のそれぞれの思惑が、それぞれの群像が巻き込んでいる以上、そんな綺麗な事態には────拓二の望む邪魔の無い『勝負』とは、最後までなり得ないのだ。
例えば、愉しむべき戦いの最中、相手の不備らしき疑問が見受けられてしまうこと。
例えば、過去最大といえる『勝負』に気を向けている時、こっそり別の誰かから邪魔立てされて狙われること。
「どう、したの、拓二くん……? その、腕……」
────例えば、そのせいで無関係で人間が、自分の身代わりになって倒れてしまうこと。
「その腕も……怪我も……こんな……誰に、虐められたの……?」
拓二は、この時全てを忘れて紫子に歩み寄った。ビリーに背を向けて跪く。その間、ビリーは動かなかった。
紫子を助けるためではなかった。その声を、聞こうと思ったからだ。
この傷では、もう。
もう────もう後は潰えるだけの命が、最後に紡ぐ言葉を聞き遂げるために。
「拓二くん、は……とっても、優しい子なのにねえ……」
…………。
「ごめんねえ、おばちゃん……ごほっ、ずっと、助けて……あげ、られなくて……」
…………。
「……あらあら……あら……? 拓二くん……清道……? ……どこ……?」
…………。
「どこ……行っちゃったの……?」
…………。
「暗くて……よく……見えないわ……」
……言葉を。
黙ってないで。
何か。
何か言葉を、掛けてやらなくては。
「……私、は……」
最後に、何か。
何か、言いたいことを。
「……〝俺〟だよ、紫子さん。俺はここにいますよ」
────すると紫子は。
ただただ嬉しそうに、ニッコリと笑って。
「ああ……ほんと……? うふふ……よかっ、た……」
そして、目を瞑った。
「……あら……あらアナタ……迎えに、来てくれた……のね」
ゆっくりと、その唇が開いたり閉じたりして……
「……ぁ……あり……が……、…………」
静かな沈黙が、流れた。
拓二がそっと、その身体を抱き支える。
その身体はとても軽く、流れる血の温度は温く、ゆっくりと冷めていく。
「…………」
今の拓二には、知る由も無いことだが。
しかし心のどこかで、感覚で理解していたのかもしれない。
紫子が次以降のループで、姿を見せることは────もう二度と無いということを。
「……傷からして、遠くないな」
彼女のために黙した時間は、そう長くはなかった。
脱いだ上着を敷き、その上に安らかに横たわらせた後、視線を持ち上げる。
紫子を殺した下手人の姿は、視界の先に見受けられなかった。
しかしその銃創は貫通しており、紫子が直前向いていた方向から正しく撃たれたと見ていい。
あるのはせいぜい、置き去りにされた車の群か。
特に、その陰に隠れている可能性がある。とすれば────
「……そこにいるな? 誰だ?」
紫子とビリーを尻目に、ゆらりと立ち上がろうとした────その時。
「待てよ」
その声自体は知らなくとも、その声の主のことは知っていた。
そう、彼とは初めて会うが、昔から知っている。
自分には実は息子がいるのだと、生前、紫子が言っていたのだ。
「……大宮清道、か」
そして今は、マクシミリアンと祈の味方側。
つまりは敵同士だ。
さてと、拓二は思案する。
立ち上がる自分と、足元に呼吸を捨てて横たわる大宮紫子────清道の、実の母親の姿。
〝彼から見て、全ての事実でなくそれだけを切り取って見た時、至るべき発想がどんなものとなるか〟。
「おい……おいテメエ。……何して……やがる」
その声は、あまりの光景に感情をどこかに置いてきたように空虚で、そしてそれを懸命に思い出そうとしているかのように震えていた。
◆◆◆
────ツイッターで指名手配。容疑者は未成年か。
『テレビ映像にも映った、このテロ事件の主犯であると思しき少年。彼が過去に写った写真が、ツイッター上で話題となっている。まさにこれはツイッターを活用した優秀な「指名手配」であり、情報の特定は既に名前や在籍する学校にも至っているが、少年が未成年であることもあり、メディア・リテラシーの面において疑義が持たれる』
そして、情報は歪曲される。
その一部始終は、全てを捉えていない偏向の流布が繰り広げられていく。
────未成年? だから?
────テレビ見た……おばあちゃん……最悪(泣)
────警察動け
────なーにいってだこいつwww
────この記事書いた奴馬鹿だろ。日本でテロやるような奴、子供でも死刑でいいんだよ
────トップニューススゲーな、もうこの事件ばっか取り上げてら。
────未成年だからセーフ!(笑) 少年法万歳!!(笑)
不確かなものを、確かめられない。
膨大に飛び交う情報から、溢れた真実を見出すことを忘れた民衆が、世間が、日本を揺るがす悪を一斉に糾弾する。
────人殺したんだろ? しかも関係無い一般人をさ。もうなんか……みんなの為に死ねよこいつ
擁護の声は極々乏しく、中傷の声は大きくなるばかりだ。
もう誰も、味方にはならない。
そしてもう誰も、疑いもしない。
相川拓二は、最低最悪な人殺しであるのだ────と。
◆◆◆
「……お袋、死んでんのか、それ」
清道は、短く荒い息を刻んでいる。
動悸を鎮めるために、動揺を押し留めようとするために。
拓二はそんな清道を、静かに見据えた。
彼にとっては、遂に、己が敵対する者の本丸というべき者に相対したことになる。
つまり、生死問わず。祈、マクシミリアンに至る足掛かりとして、この好機を逃す前になりふり構わず補足する必要があるが。
清道の中で、あらぬ誤解が生まれているのは明白だった。
紫子を────自分の母を殺したのが、目の前の拓二なのだと。
「なんでお袋を殺した。言ってみろよ」
「…………」
自分が殺したのではない────と。
拓二は、清道にそう弁明したりはしなかった。
誤解を解こうという気にならなかった。
直接手を掛けた訳ではない。
そんなことする理由が無い。自分は狙われた側なのだ。
自分を庇ってしまった事故であり、もっと言うなら紫子の自業自得だ。拓二はそう考える。
しかし、命を落とすことになった根本には、自分の存在がある。
直接的な下手人が誰であれ、相川拓二を庇って死んだという遠因がある。
「……紫子さんは……彼女は、ムゲンループから解き放たれた。この世界から解放されたんだ」
そういう意味で、「お前が殺した」と言われれば当たらずとも遠からずだ。何も間違っていない。
甘んじて、その怒りを────孤独の悲哀を聞き入れてやろうと思ったのだった。
「こんな世界、彼女にはもったい無い。ムゲンループなんて不要になったんだ。私は────」
「解放とか世界とか。テメエは何ボケ抜かしてやがる」
だがそんな拓二の心情など、清道には関係ない。
彼の知らずの内に、高みから憐れまれていることも。
そんなこと、瑣末なことだ。
「テメエが────テメエが母さんを殺したんだろうがああああああッッッッッ!!」
激昂が爆ぜた。
それはとても物悲しい響きを持っていた。その声の奥の奥に、塩辛い悲鳴の痕跡が鼓膜に届いた。
迸る怒りに身を任せ、清道は駆けた。
拓二に突撃するために、手に持っていたジュラルミンケースを振りかぶった。清道から見て左から右へ抜けるよう、欠損した右腕方向から打ちかます。
彼に、策らしい策などない。
彼自身があげた雄叫びが、その身体を突き動かしているかのようだった。
「孤独だな。大宮清道」
たったそれだけ拓二は言い捨てた。
そこには何の感情も無い。
鈍器にも等しい重量のそれは、拓二の顔のすんでのところを空振った。
清道の渾身の攻撃も、拓二はあっさり躱してしまう。
届かない。
どうやったって届かない彼我の距離が、決定的に存在していた。
次の瞬間、鈍い音が轟き、清道の首筋に強い衝撃が入った。
「……か……っ!」
顎を下から潜り抜けたかのような蹴打。その一撃は喉仏を粉砕し、頚椎の骨にヒビを入れた。
清道は声すらあげず吹き飛んだ。一撃だけで、発声のための息をも途絶えかけてしまっているのだ。
ピクピクと痙攣しながら這いつくばった姿で、霞む視界の先────母の遺体に手を伸ばした格好で、清道は倒れた。
「だが……大丈夫。大丈夫だよ大宮清道。紫子さんを喪った君の苦しみも、もうじき、僅かな時間で解消される。ムゲンループは、君のような者を受け入れる。君にとって私が敵でも、私は君の敵でいないでいてあげよう」
言葉の通り、拓二にはそれ以上、清道に危害を与えるつもりはなかった。
そもそもこれでも、拓二にとっては加減した方であるのだ。清道自身に乗った勢いに、足を置いてカウンターを浴びせたに過ぎない。
それだけ必死だったのだろう。自身の首を折る程度の力で、まず勝ち目のない拓二に向かうほどに。
「……さて、邪魔立てが入ってしまった。すっかり待たせたな、ビリー……」
拓二は一瞥して、すっかり待たせてしまった相手を見る。
しかし────
「ああ……ああ、なるほど。ここに大宮清道がいるから、『もしや』とは思ったんだ」
思わずといった調子で、苦笑いを浮かべた。
それは微笑ましいものを見るようでもあったし、憎き仇敵に出くわしたように歪んでもいた。
そんな複雑な表情だった。
「そうだったそうだった……お前はいつも……私の不都合を的確に見抜いて邪魔をしてくる。そういう奴だって、今、思い出したよ」
ある種の親しみと敬意を持って、拓二は言葉を紡ぐ。
「少しそのままで待ってくれ、ビリー……いや、ステフ。彼女は私の知人なんだ……」
それはビリーに向けてではなく────いつの間に近付いたのか、そのすぐ後ろでビリーの後頭部に銃口を突き付ける、『彼女』に向けて。
「……お前は殺さなきゃいけない。でも、お前と会うと、何だか酷く懐かしい気がしてくるよ────祈」
祈が、銃の重みに負けてしまっているかのように全身を震わせ、懸命に拓二を睨めていた。
◆◆◆
「ん……」
◯◯駅前広場。
やけに静かな、自分以外の人がおらず閑静なせいもあって、その目覚めは一足遅れたものとなった。
『彼女』は伸びをし、寝転んでいたベンチで付いた寝跡を手で撫でる。
焼けたゴムのようになってしまった深い薬品火傷と、その眼窩と毛髪の少なさを杜撰に隠す包帯。甚振られたらしい潰れた生傷の多さから、元の肌を保持している部分の方が少なく、女なのもあって痛々しい見た目をしていた。
恐らく、以前の『彼女』を知る者が一目見ても、とてもそうとは分かるまい。
ベンチの足元には、眠っている間頭に被せられていたらしい麻袋とポーチ。
ポーチは幾つも積み上がっており、中には満帆に詰められた火炎瓶の瓶口の数々が中に押し入らずに覗いている。
残ったその片目辺りを見渡してボヤく。
「ん、んー……! んー……あー、〝また〟眠らされちゃってたのかぁ……」
この一日で、色んな人間が動き回っていた。
多くの人間が犠牲になった。
様々な人間が交差してきた。
そして────
「ここ……どぉこー……? ご主人様ぁー……」
────最後の因縁が、三月三十一日という舞台に現れた。
初作品です。誤字脱字報告、または感想・批評等あればぜひお願いします。
【追記:七月二十日】加筆修正しました。




