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あの薔薇が咲き乱れる頃には  作者: 瑞月風花
婚礼を前に

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ときわの森へ

 朝は母のセシルと共に食堂で朝食を作っていた。その後、母と手分けして館の掃除を始め、母は町へと下りていったが、婚礼準備のためルタは館に残っていたはずだった。

「ねぇ、ルタ様は? 何か用事でも頼んだの?」

朝の書類整理が終わったルディが館にいないルタを心配しながら、慣れない庭仕事をしている父に尋ねた。

「あぁ、彼女はときわの森へ行ったよ。忘れ物があると言ってたな」

祖父のアースから庭仕事を教わったばかりのアノールがルディを見上げて答える。

「追いかけても構わないぞ? 午後まで体は空いてるだろう?」

「うん……」

館の背後にあるときわの森を眺め、ルディが言葉を継いだ。

「ときわの森だし、ルタ様は護らなくちゃならないくらいに弱いわけじゃないから。僕は僕のできることをして待ってるしかできないんだ」

それは、アノールに言ったのか、それとも自分自身に言ったのか分からないくらいに小さな声だった。



 ときわの森に住む魔女は、今はもういない。

 そんなことを考えながら、ルタは魔女の住んでいた家に帰ってきていた。

 人気(ひとけ)が無くなってニヶ月ほど。たったそれだけの期間なのに、その場所からは全く生活感を感じることができなくなっていた。

 木の扉を開く、廊下に陽が射し込む。本当なら光が入れば動き出す屋内には沈黙が増すばかり。

 家に入るという行為は魔女だった頃と同じはずなのに、今は家がまるで息をしないのだ。ルタが帰ってきたことに気付かないような、まるで他人の留守宅に忍び込んでいるかのような。馴染んだ扉から別の魔女がほくそ笑んでいるような、そんな不安さえ感じてしまう。


 裏庭へ続く扉を持つお台所の扉に、調剤室の扉。その奥、図書室へと廊下は続き、視界は影に遮られた。

 図書室にもお台所にも用はない。だから、お台所の扉の前にある階段を静かに昇る。

 足音は立てない。立ててはいけないような気がしてしまう。時を動かせば、壊れてしまう。ルタが壊してしまった時はもう戻らないのだから。


 ここで過ごした百年ほど。それはルタにとって傷つけてはいけないものなのだ。


 二階には部屋が二つ並んである。一つはワカバの部屋。奥の一つがラルーの部屋。記憶の中の間取りと全く変わらない。扉を開ければ風が流れる。何かが変わってしまうかもしれない。触れてはならない。そんな緊張感がルタに走る。


「ラルー、おかえり」

開くはずもない扉に染みついた声が耳の奥で再生された。

「ただいま帰りましたわ……」

ルタは扉を見つめた。

「銀の剣を書き換えようと思いますの」

ワカバの悲しそうな表情がルタの瞳に影として映る。

「あなたを裏切ろうとは思っていませんわ」

ルタはわざわざ声に出して言う。しかし、ワカバの悲しそうなその表情は『今』を思ってのことではない。過去のやりとりをルタの記憶が思い出させているのだ。

「そんなことしたら、ラルーの護りたかった時間が失われるのでしょう?」

分かっているが、ルタは過去と会話を続ける。

「いいえ、わたくしもこの時間を護りたいと思うようになっただけのことですから……」


 銀の剣の持つ記憶を書き換えることを拒んだのは、ワカバ自身だった。銀の剣が護る時間はこの時間ではない。この世界が魔女に支配される以前の世界を護っているだけなのだ。ワカバが創り出すこの時間は、ワカバが護るからと。ワカバはいつだって誰かにこの時間を護って欲しいと強要しようとはしなかった。護りきる自信があったわけでもないくせに、一度も負けずに、この百年の間、そして、この先三百年護りきったのだ。おそらく、遠い未来に彼女がこの世界の時を止めた瞬間でも彼女はこの世界を諦めたわけではないはずだ。

 この世界を護るために彼女は時を止めたのだ。


「……わたくしもわたくしができる範囲で護りたくなったのです。人間であるルタならこの世界の未来を望んでも構いませんでしょう?」

だから、もうここには帰ってきません。

すべて、あなたのせいですからね。

それを最後にルタは扉から完全に視線を外し、歩みを再開した。



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