おかえりなさいの
アパート前で速人と別れて、これで今日の予定は全て終了。
目的の達成もそうだけど、将来の新しい目標も出来たし、真由美さん達への手土産も用意が出来た。
後は、どのタイミングでアレを渡すのかということだけど…次の食事会でいいよな。
でも沙羅さんにだけは、今晩にでも早速プレゼントするつもりだ。
喜んでくれるといいな…渡すときが今から楽しみだ。
………………
沙羅さんが既に帰宅している可能性を考えながらドアノブを回してみると、思った通り鍵はかかっていなかった。
…さて、どうしようか。
このまま普通に帰ってもいいんだけど、滅多にない機会だと思うと、ちょっぴりお茶目に帰るという手もある。
このままこっそりと家に入って…
いやいや、沙羅さんは出掛けるときに、「いってらっしゃいのキス」をしてくれたんだ。だから素直に家へ帰れば、今度は「おかえりなさいのキス」をしてくれるかもしれない。
沙羅さんがそれをしてくれることを想像するだけで、ちょっとだけニヤけそう。
でもそれは仕方ないよな、やっぱり嬉しいことなんだから。
という訳で、ここは普通に帰ることで決定だ!
ガチャ…
「ただいま~」
「うふふ、おかえりなさ~い」
…ガチャ
俺は開けたドアをそっと閉めてから、一度だけ深呼吸をしてみる。
ふぅ…おかしいな…俺の目の錯覚か?
今出迎えてくれたのは…
よし、ここは気を取り直してもう一度。
ガチャ
「ただいま~」
「うふふ、おかえりなさ~い」
ガチャ
…開けたドアをもう一度閉めて、再び大きく深呼吸。
うん、見間違いじゃなかった。
と言うか見間違いのしようがないだろ?
そもそも最初の一目で分かってよな、俺。
まぁ、 真由美さんがここ居ても不思議はない。寧ろそれどころか、居ない方が却って不自然だと言ってもいいくらいだ。
別にそれが悪い訳じゃないし、こうして出迎えてくれる人がいるのは嬉しいことだから。
ただ…ね。
これで「おかえりなさいのキス」が…うう。
ふぅ…気を取り直して、今度こそ家に入ろうか。
ガチャ
俺はしっかりとドアノブを握りしめて、ゆっくりと回しながら少しずつドアを開けていく。
自宅に入るだけなのに、何でこんなコントみたいなことをしてるんだろうな…
「ただい…」
ぐいっ
むにゅ…
……むにゅ?
おや…これはいったい何事?
家に入ろうとしただけなのに、ドアを開けた瞬間に勢いよく身体を引っ張り込まれてしまった。
勿論それは直ぐに分かったけど、そのまま凄まじく柔らかい何かで全身を包まれてしまう。おまけに目を閉じてないのに、視界まで闇に覆われてしまい…
だから俺は何も見えない、何も聞こえ…
「んふふ~一成くんったら~」
やっぱり聞こえました!!
耳元で囁かれる、甘さを含んだ真由美さんの優しい声。
これは考えるまでもなく、真由美さんに引っ張り込まれて、何故か抱きしめられてしまったということか。
つまりこの全身を包みこむような…って、いやいや、それよりも顔だ、顔なんだよ。
俺の顔を包み込む「何か」
沙羅さんを上回るその「何か」が凄くて、俺は焦りを禁じ得ない。
勿論、これが沙羅さんだったら、俺は迷わず素直に甘える。誰にも文句を言われる筋合いは無いし、そこは俺だけに許された天国なんだから。
でも真由美さんは違う。
真由美さんは沙羅さんのお母さんであって、俺にとっても「お義母さん」だ。
こんなことをしていい相手じゃないし、そもそも俺には沙羅さんが……あれ?
…ところで、沙羅さんはどこに??
ガチャ…
俺がそれを考えたと同時に、洗面所の方からドアが開く音が聞こえてくる。それに続いてパタパタと足音も聞こえてくるので、これは沙羅さんが…
「これで、お風呂掃除は終わりですね。次は…お母さん、そんなところで何…を……っ!?」
成る程、沙羅さんはお風呂掃除をしてくれていたのか。
それで俺が帰って来たことに気付かなかったと、納得。
…って、いやいや、のんびりとそんなことを考えてる場合じゃないだろ!?
今、明らかにこっちの状況に気付いたような感じだったぞ!!
「あ、あの!! 真由美さん!?」
「こ~ら、真由美さんじゃありません。はい、もう一度?」
俺の焦りなどお構い無しに、後頭部を押さえる力を少し強めてくる真由美さん。相変わらずのマイペース…じゃなくて!
ヤバいから、これは躊躇っている場合じゃないから!?
「お、お、お義母さん、そろそろ、離して下さ…」
「いいからさっさと離しなさい!!!」
沙羅さんの力強い一言が部屋に響いたと同時に、真由美さんの身体が大きく揺れた…と思った瞬間には、俺の身体が別方向に引っぱられ、そのまま引き寄せられてしまう。
俺がその力に身を任せていると、「ぽふっ」という音ともに、至上の安らぎと天国の如き心地好さに溢れた「そこ」に辿り着く。
そして最後に、俺の頭に添えられた手が、「定位置」に誘導してくれた。
「沙羅さん…」
そのまま俺の顔を隠すように、両手で優しく頭を抱え込んでくれる沙羅さん。そのままゆっくりと、俺の頭を撫で始めた。
ああ、幸せ…
ナデナデ…
「おかえりなさい、一成さん。申し訳ございません、お風呂掃除をしておりまして、気付くのが遅れてしまいました」
先程、真由美さんに放ったような、厳しく鋭い声音はもう微塵も感じない。
いつものように、どこまでも優しく、ひたすら俺を甘えさせてくれる沙羅さんの柔らかい声。俺の大好きな沙羅さんの声だ。
「ただいまです。すみません、予定よりかなり遅くなりました」
「いえ、まだそれ程、遅い時間ではございませんので。晩御飯は、このまま普通にお作りしても宜しいですか?」
「はい。昼は軽く済ませただけなんで、大丈夫ですよ」
「一成さん、ご飯をしっかり食べないのは…」
「いや、家に帰れば沙羅さんの美味しいご飯が待ってるって思ったら、つい…」
ぎゅ…っと
沙羅さんが、俺を抱きしめる力を少しだけ強める。自身の身体にもっと俺を引き寄せるように、俺の頭を抱き込む力が少しだけ強くなる。でもゆっくりと後頭部を撫でてくれる手はそのままで、優しく何度も何度も往復していた。
「もう…そんな風に言われてしまいますと、めっ、て言えなくなってしまいます」
「えっ、いや、そういうつもりで言った訳じゃ」
「ふふ…分かっております。一成さんが本心でそう思って下さっていることも、しっかり理解しております。ですから、私は本当に嬉しいですよ」
「はい。俺は沙羅さんのご飯が一番好きです。沙羅さんがご飯を作ってくれるなら、他は無くてもいいです。一生、沙羅さんのご飯がいいです」
これは、お世辞とかおべっかとかそんなつまらないものじゃなくて、本気で本当の俺の本音だ。俺は沙羅さんのご飯が食べられるなら、これからも外食なんかしなくたっていい。俺は沙羅さんのご飯が食べたいんだ。
「…一生、私のご飯だけで宜しいのですか?」
「はい。沙羅さんのご飯がいいです」
「ふふ…畏まりました。ですが、記念日くらいは外食でも良いと思いますよ?」
「えっ? あ、そ、そうですね。記念日くらいは、そういうのもいいですよね。誕生日とか…」
しまった、例え本心だっとしても、これはちょっと言い過ぎたかも。
確かに、ホテルのディナーで誕生日を祝ったりプロポーズしたり…なんてのは、ドラマやアニメなんかでもよく見るシチュエーションだ。そういうムードも大事なことだし、それで沙羅さんが喜んでくれるなら、やっぱり外食は外食で必要かもしれない。
「すみません、ちょっと言い過ぎました」
「謝らないで下さい。一成さんのお気持ちは、とても嬉しかったですから」
「は、はい」
嬉しかったという気持ちを行動で表してくれるかのように、沙羅さんが俺の頭と背中を撫でる手を少しだけ強めた。
「ふふ……あ、申し訳ございません、私としたことが、ついうっかり」
そう言って、不意に何かに気付いたように、沙羅さんが俺の顔を少しだけ離す。
急にどうしたんだろう?
「沙羅さん?」
「ん…」
ちゅ…
「っ!?」
少しイタズラっぽい笑みを浮かべると、頬に軽くキスをしてくれる沙羅さん。
これはひょっとしなくても…
「おかえりなさい、あなた」
「は、はい、ただいまです」
そう、これは俺が密かに期待していた「お帰りなさいのキス」だ!
実は待っていたこともあり、ちょっとだけ顔がニヤそう…でも情けない顔を見せたくないから、必死に堪えて平静を装ってみる。
そんな俺の顔を見ている沙羅さんの笑顔がますます色づいて…これはバレてますよね、もちろん知ってましたけど。
「ふふ…喜んで頂けたようで何よりです。宜しければ、今後も帰宅の際にはこうして差し上げましょうか?」
「いや、えーと…」
「…畏まりました♪」
いや、俺はまだ何も言ってないんですけど…って今更だよな。今回は自分でも、思いきり顔に出ていた自覚があるし。
でも俺と同じように、沙羅さんもそれを嬉しいと感じてくれているのであれば、寧ろ願ったり叶ったりだ。毎日でも望む所存ですよ。
……………
………
…
「あの…真由美さん?」
「…………」
「もう、お母さん、子供じゃないんですから、いつまで不貞腐れているんですか?」
と言う訳で、今、どういう状況になっているのかというと…
真由美さんがヘソを曲げてしまい、絶賛不機嫌モードになっている真っ最中だ!
沙羅さんが、真由美さんを強制的に俺から引き離してくれたところまでは良かった(?)けど、そのまま完全放置で俺達はイチャついてしまった。と言うより、ぶっちゃけてしまうと、俺も沙羅さんも真由美さんの存在がスッポリと抜けてた。
そして、ハブられていることに業を煮やした真由美さんが割り込んできたときに、俺は思わず「そう言えば、真由美さんがいるの忘れてた」と一瞬考えてしまい、それをバッチリと見抜かれてしまった訳だ。
全く…沙羅さんといい、花子さんといい、真由美さんといい、何でそこまで俺の考えが読めるのか…って、今はそれどころじゃない。
「真由…お、お義母さん、そのですね…」
「しくしくしく…酷いわぁ、二人とも」
しくしくと声に出してるあたり、これが完全に嘘泣きだってことはわかってるんだけど…
でも分かっていても、真由美さんが少なからずショックを受けたことは事実だろうし、それを考えると強く出ることもできず。
真由美さんにこういう行動をされると、ホント弱いんだよ、俺は…
「お母さん…これ以上一成さんを困らせるというのなら、私も容赦しませんが?」
こ、これはマズい。
どこか剣呑な雰囲気を漂わせて、警告ともとれる強い口調で真由美さんに語り掛ける沙羅さん。本気で怒り始めているのか、声のトーンからも憤りのようなものを感じる。
以前もこれと似たようなシーンが何度かあったけど、そもそも沙羅さんは、俺に対して迷惑をかける相手は誰であろうと容赦しない。
それが例え真由美さんであっても同じことで、しかも実の親ということもあるからなのか、もともとの対応に遠慮がない。だからその分、どうなるのか想像がつかない。
下手をすると、本気の親子喧嘩になりかねないんじゃないか?
どうしよう、二人には仲良くしていて欲しいし、何とかこの状況で俺が出来ることは…
今日気付いたのですが、HJ小説大賞2021の一次を通過していたようです。
執筆は完全に趣味ですが、せっかくこうして書いているので応募だけはしてみました。
今まで趣味らしい趣味が無かったので、こういう経験も楽しいです。




