ラウザ・ロジャー⑥
僕は震える手と足をどうにか進め、路地裏に入っていく。
息をするのも憚れるほどの異臭、殺気を込めた目、汚い道、どれをとっても最悪だ。こんなところに学べることなんてない。そう思って、僕は引き返すことにした。
「──ッ。てぇーなー。おい、何してくれてんだよガキ」
明らかに僕を値踏みしている。金持ちの子どもと判断したのか、口角が上がった。きっと僕が何て言おうと攫うだけだろう。
「ぶつかってきたのはお前じゃないか」
「あ? 殺すぞ」
そう言って男は腰に付けてる剣に手をやった。
「僕はそこら辺の子どもとは違うぞ」
後手に回らないように、先に木剣を抜く。倒せるなんて期待していないが、攻撃を防いで逃げる隙を作ることくらいは出来るだろう。
「お前、さては育ちが良いな? 上玉じゃねーか。やめた、お前は売り飛ばそう」
男の手が僕に伸びてきたから、すかさず剣を振った。だけど、片方の手で呆気なく防がれ、鳩尾を殴られた。
「かっ、けほっ、えほっ」
しゃがみ込んだ僕の頭を男は踏みつける。
「こんなんで抵抗できると思ったのか? とんだ馬鹿だな! さーて、いくらになるか楽しみだ」
抵抗できない僕を雑に抱き上げると、男は口笛を吹きながら歩き出した。
「なんか寒いな。なんだあれ?」
男は立ち止まり、何かを様子見しているようだ。僕も顔を上げた。視界の先には大きな氷柱が立っていた。あれは間違いなく姉さんの魔法だ。
「あの方向はまずい!」
氷魔法が消えるとほぼ同時に男は走り出した。
「んだよ、なんで魔法使いなんかが。早く逃げねーと」
ふと横を見ると姉さんが視界に入った。
「ね──!」
「喋んなてめえ!」
「うちの弟をどうするつもりだ‼︎」
男は舌打ちを鳴らし、さらに足を早めた。けれど、逃げることに必死になっていたのか、いつの間にか行き止まりに出ていた。これで助かったと思ったが、世の中はそう甘くなかった。
「喋ったらどうなるか分かってるよな?」
男は小声でそんなことを言ってきた。離されたと思ったら立たされ、髪を乱暴に引っ張られた。首に剣の鋭く冷たい感触がする。
声を出すも何も、怖くてそもそも出ない。
姉さんが男と喋っている。姉さんがどんな顔をしているのか分からない。ただ極めて冷静な声色だ。怖いくらいに。
時間稼ぎなのか、とにかく喋るだけの姉さん。姉さんはこの状況、どうするのだろう。もしかしたら僕を見捨てるのかもしれないと、不安が僕を襲う。
涙が出てしまいそうになった。でも、流れる前に風が吹いた。目に溜まった涙もろとも男を吹き飛ばした。
その驚きで、事態をうまく飲み込めなかった。僕を背に隠した姉さんは、男の腕を思いっきり突くと、杖を振って顔以外を凍らせた。その姿はまるで、姉様と昔読んだ物語に出てくる勇者のようだった。
そのあとは剣の鞘で男達を殴って気絶させた。あまりに淡々としていて怖かった。僕に向き直った時の姉さんの目は冷たくて、でも、すぐに温かいものになった。初めて、僕を見てくれた。
姉さんは僕を抱きしめた。強く、強く抱きしめた。
その熱いくらいの温もりに安心した。でも、まだ怖かった。姉さんを危険な目に遭わせた僕を怒っているんじゃないか、嫌っているんじゃないかって。でも、そんなことはなかった。
再び見た姉さんの目には僕がいて、僕だけを見ていてくれて、ようやく心の締め付けが無くなった。そしてそのままの勢いで気持ちが溢れた。怖かったのも、苦しかったのも全部涙と共に流れていった。そうして出し切ったあと、どっと疲れが出て、いつの間にか眠ってしまった。




