誇れる兄
帰りの馬車の中。行きよりも気まずい空気を感じる。
「……九年目だ」
王子がぼそっと呟いた。相変わらずこちらは見ないまま、外を向いたまま語りかけるように。
「だが、その半分も生きられなかった」
私は何も言わず、相槌すら打たず、ただ王子とは反対の窓から、うっすら反射する王子の後ろ姿を眺める。
「僕が死なせたんだ。手を握っていれば、あるいは庭に出なければ、リジーは今も笑って出迎えてくれただろう」
王子はぎゅっと手に力を込めて握りしめた。
「以前、僕に言ったな。人に対して無知だと。そして、僕は君らに努力は馬鹿のすることだと言った」
「……」
「無知でいられるのなら、無知でありたい。人の情ほど、嫌になるものはない。たとえ自分のものであろうとな。
リジーはまだ三つだった。そろそろ物心がつくくらいの幼い時期だ。まだ、何も知らない子だ。これからだった。これから、色々と知っていくというのに、僕が壊した。だから、リジーが学べるはずの出来事や感情を経験している人間を見ると、どうしようもなくやるせなくなる。だから、遠ざけようとした。そして、思い込もうとした。僕を含め、この世の人間の経験することなどくだらない、リジーがこんなくだらない経験をしなくて良かったと。言うならば、八つ当たりだ」
王子はゆっくりとこちらを向いた。だから、私も窓から視線を外し、正面を向いた。
「一つ、聞きたいことがある」
「答えられることなら」
「君は努力をして何を得た」
「まだ何も。どうしてそんなことを聞いたの」
「君の目は、僕に似ている気がした。自身に絶望している目だ。だから、君も努力が無駄になった経験があるのではないかと思ったんだ」
嫌な共通点だな。
「努力なんてしたことないっていうの、嘘なんだ」
「リジーはすぐではなく、半年かけてゆっくりとこの世を去っていった。その間に、幼いながら色々と考え、実行した。いかなる怪我や病も治せるという聖女を探したり、リジーを助けるために知識を蓄えたり、寝たきりのリジーを楽しませようと、リジーの好きな事を……。だが、全てが無駄に終わった。どんなに努力をしようと、死んだ者は戻ってこない。報われない努力に時間をかけ、リジーとの時間を疎かにした僕は愚かだ。努力は馬鹿のすることだ。報われなければ、僕のように大切なものを失うのだから」
性悪で嫌な奴っていうのは、たとえ事情を知ったところで変わらない。その人の背景に何があろうが、それで全てが仕方のないことになってしまうのは、真っ当に生きている人に対しての冒涜だから。でも、少しくらいは寄り添ってやろうとは思う。後天的なものなら、まだマシになる可能性があるから。
「たとえ報われなくとも、努力は無駄にならない。そんな言葉を耳にしたことがあるけど、王子はどう思う?」
「何かを為したくてした努力が別のところで役に立ったところで何になる。失ったものは他で補おうと戻ってこない」
「……不服だが、たしかに私達は似ているかもしれない」
思い当たりはないのに、そのように感じてしまう。きっと、私の前世なんだろう。努力して、失い、絶望した。そんな中私は死んだ。努力以外全部、私はこの世界で経験していない。だから、前世で確定だろう。前世の私は王子みたいに嫌な奴だったのだろうか。……いや、私には少なくとも仲間? 友達? どっちでも良い、とにかく味方がいた。なら、私が王子に手を差し伸べるとしたら、王子の友──。
「そうだな」
王子はさっきまでの悲しそうな目のまま、でも、どこか温かみを含んだ目になった。
「でも、確実に異なる点がある。兄としての在り方だ」
「どういう意味?」
「君は、妹にとって誇れる兄だろう。だが、僕は違う。僕は兄であることを一度捨てた。リジーの人生を奪った者に兄としての資格はないと思ったからな。でも、今日君の言葉を聞いて思ったんだ。誇れる兄になっても良いと。リジーが直接僕を誇ることはできないが、リジーに誇れる兄にならなれると。君はどう思う。我儘なことだと思うか?」
ああ、大丈夫だ。私が手を差し伸べる必要なんてない。
「大切な人はいつだって自分を見守ってくれている。そんな言葉を耳にしたことがある。良いと思うよ。少なくとも、今のまま生きられるよりかはね」
「そうか。……今日は付き合ってくれて感謝する」
「どういたしまして。そうだ、お礼の件だけど」
「聞こう」
「人を無視しない。挨拶されたら返す、何かされたらありがとう。あとは、シスタを気にかけてくれたらそれで良い。できる?」
ははっ。と、私ではない短い笑い声が聞こえた。
「君は本当に妹想いだな。良いだろう、エミット・クライン、そして、エリザ・クラインの名の下に、君の願いを聞き届けよう」
本当に、ここ最近で変わりすぎだよ。
たしかに設定やプロットには書いていたけど、本編でここまで変わるなんて思わないよ。




