39 本物の忠臣 (3)
沈んだ空気を振り払うように、レイモンドが明るい声でエリーに尋ねた。
「こうなったら、次のサフィード伯を決めないとね」
「うん。レイ、やってみる?」
「えっ」
ごく軽い口調のエリーから伯爵領を賜りそうになり、レイモンドは鳩が豆鉄砲をくらったような顔になる。しばらくぽかんと口を開けたまま目をパチクリさせていたが、やがて猛然と首を横に振った。
「むりむりむり! 無理です!」
「そうかな。レイなら、うまくやってくれそうな気がするけど」
「絶対に無理!」
「そう……?」
「そうだよ! 私なんかより、ジェイがいいと思う」
レイモンドのあわてぶりを笑って見ていたジェイに、いきなりお鉢が回ってきた。
「え、俺?」
「うん! 適任だよね?」
そこで尋ねられても、同意はできない。だがレイモンドは、鼻息も荒く言い募る。
「エリーに荘園の管理方法とか教えたの、ジェイじゃん」
「それとこれとは、話が──」
「ほら、やっぱり適任だよ。エリーもそう思わない?」
こうなったレイモンドは、人の話なんぞ聞きやしない。しかも話を振られたエリーは、「確かに」と素直にうなずいている。まずい。このままレイモンドに丸め込まれてしまいそうだ。
ジェイは真剣な表情を作って、エリーに話しかけた。
「エリー、ちょっといいか」
「なに?」
「普通、爵位だの領地だのってのは、功績に対する報償として与えるものなんだよ」
「うん」
ジェイの雰囲気を感じ取ったのか、エリーは神妙にうなずく。
ところがレイモンドは、ますます目を輝かせた。
「だったら、アランさまを毒から救った功績があるね!」
「それならお前だって、戦争回避した功績があるだろ」
「あれは私じゃなくて、親のしたことだから。ジェイのほうが功績はずっと上だよ」
そうくるかと思ったら、やっぱりきた。
ジェイはため息をついて、「いいからまず聞けよ」と低い声を出した。ドスの効いた声にひるんだのか、レイモンドは「う、うん」とうなずいて口を閉じる。
「俺は報償なんかなくたって、エリーの手伝いをする。だから、そういうものは他のやつのためにとっとけ」
ジェイの言葉を聞いて、レイモンドは感極まったように目を見開いた。
「これぞ本物の忠臣ってものだね!」
いや、そうじゃない。とジェイは思ったが、本当の理由を馬鹿正直に説明するわけにもいかず、ただがっくりと肩を落とした。こちとら、訳ありなのだ。しかしだからと言って、「訳ありだ」などと声高に主張できるわけがないではないか。察してほしい。無理みたいだけど。
ジェイみたいな人間は、表舞台に立つわけにはいかないのだ。そういうのは、後ろ暗いところのない、レイモンドのようなやつがやればいい。
そんなジェイの声なき主張は、残念ながらレイモンドには届かなかった。彼は大きくうなずいて、エリーに力強く請け合う。
「私も、報償なんてなくたって、エリーを手伝うよ!」
いや、だから、そうじゃない。とジェイは、力なくうなだれた。
エリーはジェイとレイモンドの顔を交互に見て、困ったように微笑む。
「でも、領地は誰かに管理してほしいな」
仕方なく、ジェイは折衷案を出すことにした。
「じゃあ、こういうのはどうかな」
「なになに?」
「とりあえず王家直轄領にする。その上でなら、領地の運営も俺が見るよ」
エリーは目をまたたいた。
「お願いしていいの?」
「うん」
裏方としてなら、別にやぶさかではない。
なのにどうしたことか、再びレイモンドが目を輝かせた。
「影の伯爵かあ。かっこいいね!」
「いや、ただの直轄領」
「つまり、影の伯爵ってことでしょ」
レイモンドの心の何かの琴線に触れてしまったらしい。いたく感動している様子である。面倒くさいので、もう放っておこうかと思ったが、ふと思いついてジェイは口を開いた。
「かっこいいと思うなら、お前がやってもいいんだぞ」
「私はいいや。向いてない」
喜んで飛びつくかと思いきや、レイモンドは苦笑して首を横に振った。そして、きまり悪げに理由を説明する。
「それに、自分勝手なことを言っちゃうとさ、領地経営に割く時間があったら、普通に商売するほうが稼げるんだよね……」
この理由には、ジェイもなるほどと思った。レイモンドの商才と資金力をもってすれば、下手な領地を持つよりも、商売するほうがずっと稼げるというのも納得ではある。
ということは、レイモンドにとって領地は報償にならない。
何ならば報償として喜ぶのだろう。
そうジェイが考え込んだとき、以前エリーがレイモンドを評した言葉が脳裏に浮かんできた。
──自分ひとりの稼ぎよりも、仲間と活動するのを選ぶ人。
レイモンドが稼ぎを重要視しない人間だとは、ジェイは思わない。むしろ他の者に比べて、損得にはシビアなほうだろう。けれども彼は、それと同じくらいに仲間を大事にしている、とも思う。
そう考えると、レイモンドが喜びそうで、かつ実利にかなうものがひとつあった。
「エリー」
「うん?」
「そろそろ少しずつ組閣していこう」
「ああ、そうだね」
「手始めに、財務大臣にレイモンドを任命したらどうだ?」
「確かに。実質もう財務大臣みたいなものだものね」
「そういうこと。はっきり役職があるほうが、動きやすいこともあるだろ」
納得したようにうなずくエリーの前で、レイモンドは「え? 大臣⁉」と目をパチクリさせている。
「レイ、お願いしてもいい?」
「そりゃあ、もちろんだよ!」
エリーに水を向けられると、レイモンドは急に背筋を伸ばして快諾した。うれしそうににやにやと「へへっ、大臣かあ」と照れ笑いしていたが、そのうち何を思ったのかとんでもないことを言い出した。
「私が財務大臣なら、ジェイは宰相だね!」
不意をつかれて、ジェイは一瞬反応が遅れた。その間に、エリーは「ふむ」とうなずいている。
やめてくれ。勘弁してくれ。とジェイは頭を抱えたくなった。
「俺は従者だから」
「でも、はっきり役職があるほうが、動きやすいこともあるでしょ」
はっきり役職があるほうが困るんだよ。とジェイは思ったが、まさか口には出せない。せっかく爵位から逃れたのに、宰相だなんてとんでもない。宰相と比べたら、伯爵のほうがまだマシなくらいじゃないか。困り果てたジェイは、苦しまぎれの言い逃れをした。
「影の伯爵は、表に立つわけにいかないんだよ」
「そういうものなのか」
「そういうものだ」
真顔を作って、重々しくうなずいておいた。自分で言っておきながら「そんなわけあるか」と心の中でつぶやく。十歳の子どもにだって「ねーよ」と鼻で笑われそうな、稚拙すぎる言い訳だ。なのに、エリーもレイモンドもなぜか「なるほど」と納得している。
いいのかそれで。
まあ、納得してくれるなら、何でもいいか。ジェイは安堵の息を吐き出して、口もとに笑みを浮かべた。




