31 即位の夜 (4)
客室に戻ったジェイは、どっかとソファーに腰を下ろした。
何だか疲れた。
ずいぶん長い一日だった気がする。
侍従の真似事をするためにイグニスに制服を借りに行ったのが、もう遠い昔の出来事のようだ。実際には、今朝のことなのに。まだ一日も経っていない。
さて、これからどうしようか。
ジェイはソファーにだらしなく浅く腰掛けて背もたれに寄りかかり、ソファーの背の上に両腕を広げて天井を見上げたまま、この先のことを考えた。
さっきは「力の及ぶ限りエリーを支える」とアランに誓ってしまったが、冷静になって考えると、本当に自分にそんなことができるのか、と疑問に思ってしまう。自分にそんなことをする資格があるのだろうか、と。
答えの出ないことをぐるぐると考えるうち、夜の空気を吸いたくなった。少し外に出て、冷たく新鮮な空気を吸おう。
ジェイは客室を抜け出して一階に降り、中庭に出た。
きれいに晴れ渡っていて満天の星空が広がっているが、月のない夜のため地上は暗い。ひんやりとした夜の空気を胸いっぱいに吸い込みながら中庭の中央に向かって歩き出すと、視界の端にほんのりと明るいものが目についた。
足をとめて振り向いてみれば、それはテラスの隅で膝をかかえてうずくまっている、金髪の少年の姿だった。星明かりに照らされて、金髪と白い服がぼんやりとそこだけ浮き上がって見える。
即位したばかりの新国王が、こんなところで何をしているのやら。
見なかったことにして立ち去ろうかときびすを返しかけたが、わずかに逡巡してから気を変えた。向きを変えて少年のところへ歩み寄る。そして体ひとつ分の隙間を空けて、隣に腰を下ろした。
エリーは人の気配に少しだけ顔を上げ、首をかしげて問いかける。
「ジェイ?」
「おう。こんなところで、どうした?」
ジェイの問いかけに、エリーはすぐには答えなかった。膝に額をくっつけたまま沈黙する。ジェイのほうも何も言わずに黙って夜空を見上げていると、しばらくしてから弱々しい声で返答があった。
「僕……。僕、国王なんてなりたくない」
「そうか。なら、やめちまうか?」
再び沈黙が落ちる。ややあってから、エリーは首を横に振った。
「無理だよ。僕が逃げたら、アラン兄さんを守る人がいなくなる」
「なら、兄貴も連れて行けばいい。逃げたいなら、手伝うぞ」
ジェイの言葉に、やっとエリーは少し顔を上げた。
「でもそんなことをしたら、この国はどうなる?」
「なるようになるさ」
「なるようにって……?」
「モンドールに侵略されるか、ゼノビスに併合されるか、誰か新しく王を立てて独立国家を貫くか。それは、残された者が決めることだな」
ジェイにしてみたら、エリーが何を選択しようとかまわない。
ジェイが約束したのは「エリーに力を貸す」ということだけ。「この国に身を捧げる」なんてことは、ひと言も口にしていないのだ。だからこの国自体の行く末には、はっきり言って興味がない。存続しようが、消え去ろうが、どうでもいい。
もちろんエリーが国王として国を守りたいと言うなら、それを支える用意はある。だがそんな責務からは逃げ出したいと言うなら、全力でそれを手伝うだろう。
エリーは膝を抱えた腕の上にあごを載せ、つま先を見つめたまま、ぽつり、ぽつりと言葉を続ける。
「でも、ローリーやマティの居場所は、残しておいてあげたいんだ」
「だったら、そのために頑張るしかないな」
言葉を交わすうち、ジェイはエリーの気持ちが何となくわかってきた。エリーはたぶん、迷っているわけではない。ただ自信がなくて、踏ん切りをつけかねているだけだ。即位する道を自分で選んだわけでもなく、すべてを背負う覚悟を決める前に成り行きで戴冠してしまった。
それで怖じ気づいて、泣き言をこぼしているだけなのだろう。
でもその実、心はすでに決まっている。国を守りたい。
そう気づいたジェイは口もとの笑みを深くして眉を上げ、エリーに尋ねた。
「エリーは、この国をどんな国にしたい?」
「どんな国って言われても……」
漠然とした質問に対して答えあぐね、エリーは口ごもる。
ジェイは少し考えてから、質問し直した。
「じゃあ、一番大事なことから聞こう。戦争はするのか、しないのか」
「しない」
この質問には即答だ。ジェイは口の端をつり上げた。
「強い国と、豊かな国。どっちにしたい?」
「え」
エリーは虚を衝かれたような顔をする。
「強くて豊かな国っていうのは、無理なの?」
「それが理想だろうが、難しいな」
軍備に重点を置けば、どうしても税率を上げざるを得ない。だが当然ながら税率を上げれば上げるほど、民の暮らしは豊かさから遠ざかる。逆に国民の豊かさ重視で税率を下げれば、軍備にかけられる予算はおのずと限られてしまう。
だからどちらに重点を置くかを、あらかじめ考えておいたほうがよい。
ジェイがそう説明すると、エリーは考え考え、ゆっくりと答えた。
「できれば豊かな国にしたい」
「そうか」
「でも、弱すぎて侵略されたら困る……」
「そりゃそうだ」
エリーの不安そうなつぶやきに、ジェイは声を上げて笑った。
だが、何に一番重点を置くかを決めておくのは、とても大事だ。それ以外のことは、一番大事な柱を損なわないよう工夫しながら、追々決めていけばいい。
それに「強さ」を決めるのは、何も軍備の規模だけに限らない。外交、経済、いろいろな面での強さがある。
「豊かでありながら、侵略されない程度には強い国にしたいんだな」
「うん」
「それから?」
「えーっと……」
ジェイに水を向けられて、エリーはひとつひとつ、夢を語っていく。けれども結局のところ、エリーが心から望んでいるのは、たったひとつのことだった。
「マティや姉さんたちが、安心して楽しく暮らせる国にしたいんだ」
「そうか。なら、そういう国にしよう」
「できたらいいなあ」
エリーはようやく顔を上げて、星空を見上げる。けれどもすぐに、沈んだ声で「でも」と続けた。
「何をすればいいのか、わからない。僕、国王の仕事なんて何も知らないもの」
「手伝うさ」
「ジェイには、わかるの?」
「国王は知らんが、領主の仕事はだいたいわかる。まあ、国も領地も、規模が違うだけで概ね一緒だろ」
薄暗がりの中で、エリーがジェイのほうを目を丸くして振り向いたのが見える。
「エリー。お前はひとりじゃない。俺もレイモンドも、ローリーやマティや、前王妃殿だってついている。頼っていいんだよ」
「そっか。そうだね、頑張ってみる」
「その意気だ。だけど、もうこれ以上は頑張れないと思ったときには、逃げてもいいんだぞ」
逃げ道を残しておくジェイの言葉に、やっとエリーは笑みを見せた。
「ありがとう、何だか頑張れる気がしてきた。今日は疲れたから、もう寝るね。おやすみ」
エリーが立ち上がって、服の汚れを手で払う。それを横目で見ながら、ジェイは片手を振って「おやすみ」と挨拶を返した。
エリーが立ち去った後も、ジェイはテラスに腰を下ろしたまま、しばらくひとりで夜空を眺めていた。これだけエリーをけしかけておいて、自分だけ抜けるなんてありえない。資格があるかどうかなんてもう関係ないな、とジェイは胸の中で結論を出した。
エリーとのやり取りで心が決まったのは、エリーだけではなかった。
夜の空気を何度か深呼吸してから立ち上がり、ジェイは客間に戻って行った。




