10 魔法師の昔話 (5)
ジェイは、レイモンドが語り終えるまで、ひと言も発することなく静かに耳を傾けていた。話が終わってからも、ワイングラスを揺らしながら、むっつりと何やら考え込んでいる。
ややあってから、おもむろにレイモンドに声をかけた。
「レイモンド」
「うん?」
「魔法書は持ち歩いているか」
唐突な質問に、レイモンドは面食らったように目をまたたく。それから我に返って、「いや」と首を横に振った。
「必要な魔法はだいたい覚えたから、もう持ち歩いたりはしていないよ」
「そうか。だが、もう一度最初からじっくりと読み直してみろ」
読み直さなくてはならない理由がわからず、レイモンドは首をかしげる。その彼に向かって、ジェイは淡々と説明した。
「お前が覚えたのは、魔法の発動方法だけだ。個別の魔法のことは、全然わかってない」
全然わかってない、とまで言われると、レイモンドもムッとする。思わず眉間にしわを寄せたレイモンドを見て、ジェイは鼻先でフッと笑い、さらに説明した。レイモンドが攻撃用の補助魔法を自分自身にしか使えないと思い込んでいたりしたのは、魔法書の読み込みが甘いせいだ。しっかり読めば、そうしたこともきちんと書かれているものだ。
ジェイは、椅子の下に置いていた肩掛けバッグの中を探って、魔法書を一冊取り出した。手あかで黒ずんだ部分もあり、相当使い込まれていることが見てとれる。それをテーブルの上に置くと、ついとレイモンドの前に差し出した。
「やるよ」
「え。ああ、ありがとう」
レイモンドは戸惑いながらも、その魔法書を手にとった。それは、火属性の上級魔法書だった。中を開くと、すべてのページに細かく書き込みがされている。魔法書の記述だけではわからない特性に関する考察や、あまり知られていない副次的な効果など、レイモンドが聞いたこともないような情報が、これでもかと詰め込まれていた。
あっけにとられつつパラパラとページをめくり、やがて巻末までたどりつく。そして裏表紙に書かれた持ち主のサインを見て、レイモンドは極限まで目を見開いて固まった。
それは、彼の恩人である、あのあこがれの魔法師の名前だったのだ。
「ジェイ! これ本当にもらっていいの?」
「ああ。俺が持ってても、使い道ないしな」
興奮状態にあるレイモンドと対照的に、ジェイの声色はいたっていつもどおりだ。
「この人は今どうしてる? どうしてこれをジェイが持ってるの?」
「まあ、いろいろあったのさ。そいつは死んだよ、仲間にはめられて」
「え……」
ジェイの言葉に、レイモンドの興奮は頭から冷水をあびせられたかのように一気に冷えた。呆然と手の中にある魔法書を見つめる。
「じゃあ、これは遺品、なのか」
「そういうことだな。もうそれしか残ってない」
「なんてことだ……」
目もとを赤くして魔法書を見つめるレイモンドを、ジェイは頬杖をついて眺めていた。いつもおしゃべりなレイモンドが、涙ぐみそうになりながら黙って魔法書を見つめ続けているのを見て、ジェイは苦笑して口を開く。
「その本やるから、そいつを超える魔法師になってやれ」
「私になれるかな」
「さあ。がんばり次第じゃね?」
数日前のジェイなら、「絶対無理」と答えたに違いない。けれども前日のレイモンドの成長ぶりを見て、そして今日、彼の昔話を聞いた後では、可能性がないわけじゃないとジェイは思う。奇しくも今のレイモンドは、彼の恩人だという魔法師が若くして前途を絶たれたときと同じ年齢だ。
今の年齢での二人を比べたら、その力量差は明らかだろう。しかし、かたやもはやこの世に存在しない人物であり、かたや圧倒的な経験不足で伸びしろだらけの駆け出し魔法師だ。この先の評価がどう転んでいくかなんて、誰にもわかりやしない。
以前は、レイモンドに伸びしろがあるとさえ思っていなかった。でも今は、先が楽しみだと思っている。構ってもらいたがりだったり、調子に乗りやすかったりはするけれども、うまく指導してやれば学んで努力のできるやつだ。
ただしこの「うまく指導してやれば」という条件が、なかなかくせものだった。レイモンドは指導者を選ぶ。たいていの環境では、彼は「使えないやつ」の烙印を押されて、鳴かず飛ばずのまま終わってしまうことだろう。エリーやローリーのように、彼のプライドを傷つけることなく、初歩の初歩から懇切丁寧に優しく教え導いてやる存在でなければ無理だ。
つまり、ジェイには無理。
レイモンドは運も持っている、とジェイは思う。
本来なら大商人のせがれとして、魔法を使ったり魔物を狩ったりする生活とは縁などなかったはずだ。それがたまたま魔法師にあこがれを持ち、しかも独学で魔法を習得できるだけの才能もあった。
モンドール帝国の魔法師団から逃れられたのも、運がよかった。
あんなところに入ったって、エリーやローリーのように親切に教えてくれる魔法師なんていやしない。レイモンド自身やその父たちが危惧したとおり、ただ単に飼い殺され、商業ギルドを思いどおりに動かすための人質となるだけの、最悪の予想が現実となったことだろう。
逃亡先にフロリア王国を選び、そこでローリーと出会ったのも幸運だった。
ローリーが縁でエリーやジェイとも知り合い、ついには遺品の魔法書を手にするに至ったわけだ。そう考えると、なかなかの強運の持ち主と言ってよいのではないか。
ジェイは何だか愉快な気分になり、頬杖をついたまま口の端をつり上げて、レイモンドを雑に激励した。
「まあ、がんばれ」
「うん」
レイモンドはゆっくりと魔法書のページをくりながら、食い入るように読んでいたが、ふと顔を上げると真面目な顔で「ねえ、ジェイ」と声をかけた。ジェイがいぶかしげに「どうした」と返すと、レイモンドは真剣な表情でこんなことを言う。
「魔法師って、後衛だったんだね」
「そこからかよ」
思わずジェイは真顔になる。いくら伸びしろがあると言っても、スタートラインが低すぎじゃないのか。
その顔がおかしかったらしく、エリーとローリーが一斉に吹き出した。
三人の様子に、レイモンドは焦ったように言い訳を口にする。
「いや、だって、攻撃役は全部前衛だと思ってたんだよ。魔法師が後衛だなんて魔法書にも説明がないし、わからなくても仕方ないじゃない?」
「そりゃ魔法書には書いてないだろうな」
真顔のままジェイが返すと、少年たちはますます笑い転げる。ローリーはしばらく息もつけないほど笑ってから、目じりに浮かんだ涙をぬぐいながらレイモンドに提案した。
「レイレイ、本を書きなよ。『初歩の初歩! サルでもわかるパーティー入門』みたいなタイトルでさ、ちゃんと『前衛とは』とか『後衛とは』って説明から始めるの。きっといっぱい売れるよ!」
「そうかな?」
「うん!」
レイモンドは何やら照れつつも、すっかりその気になっているようだ。
恩人の死を聞いてしんみりしていた空気は、いつの間にか霧散していた。




