幼女は死力を尽くして立ち向かう①
「フィーネ!? 何をやっているの!! やめなさい!!」
しかしフィーネは聞く耳を持たない。睨みつけるような視線をジェイドに送り、ジェイドもまた、鬱陶しい虫を見るような目でフィーネを見下ろしていた。
「やめねぇよ。ナナは初めて会った時に言ったよな? 拠点を守れってさ。私はその命令を忠実に守るだけだ」
「わ、私は自分の意思で出て行くんだから別にいいのよ!」
「よくねぇよ! 本当は行きたくねぇの我慢して泣きべそかいている仲間を放っておけるか!! ここからさらって行かれそうな仲間を守るのも私の役目なんだよ!!」
そう言ってフィーネは大地を蹴る!
正面からジェイドに殴りかかろうとするが、ジェイドの姿が消えて一瞬でフィーネの背後を取っていた。そして、鋭い手刀を振りかざす!
「くっ!? 神速、ライカンスロープ!!」
ギュンッ! と、高速移動でぎりぎりジェイドの攻撃を回避する。
「ほう、手加減しているとはいえ中々いい動きをしますね」
逃げるフィーネをジェイドが追いかける。
その場は高速移動で駆け巡る、追いかけっこにも似た命を賭けたゲームが繰り広げられていた。
「や、やめて……殺されちゃう……」
ナナが困惑する。しかし二人は止まらない。
「私は奴隷として売られるところをナナに助けられた! もうダメだって思ったところに救いの手を差し伸べてくれた! それがとても嬉しかった!! だから……次は私が助けるんだ!! 私はバカだから、難しい事なんてわからない! 相手が強いからとか、勝てそうないとか、そんな事よりも目の前の大事な人を守りたい!! 絶対に……ナナを連れて行かせたりしねぇ!!」
フィーネの拳が光り輝く。
気功術を纏わせた拳で、全身全霊のストレートをジェイドに叩きこもうとした。しかし、その攻撃さえもジェイドはしっかりと片手でガードする。
「気功術で強化した私の拳を、生身で受けるのかよ……」
全力の一撃を防がれた事によって、フィーネの体が一瞬硬直する。その瞬間を狙ってジェイドが反撃を試みた。
……実はこの時、フィーネは死ぬつもりでいた。いや、死ぬ覚悟が出来ていたと言ったほうが適切である。それは全てナナのためであった。
本の中の物語を信じている訳ではない。けれど、自分が命を賭けて戦う事で、そしてその中で死ぬ事で、ナナの潜在能力的な何かが覚醒して、この状況を打破するきっかけになればそれでよかったのだ。
まだまだ力不足の自分に出来る事はそれくらいだとフィーネは思っている。故に、命を捨てた。そして案の定、大きな隙をみせてしまい、今まさにジェイドの反撃を喰らおうとする瞬間を目の当たりにして、死を覚悟した……
「左脇がガラ空きっスよ!」
いつの間にか、ジェイドの左脇には身を低くしたトトラが滑り込んでいた。
『縮地』。相手と自分の距離をゼロにするトトラ特有の能力である。
そして、下から上にはね上げるように拳を叩きこんだ!
「!?」
虚を突かれたジェイドは自ら跳び上がり、トトラの一撃の重みを出来る限り殺そうとする。
「ゾンビというのはどのくらい毒が効くものなのか、興味深いですね」
まるで幽霊のように気配を断ち、ジェイドの背後から着地を狙ったかのようにミオが石槍を振るう。その槍の先端には毒草であるイカズチ草が突き刺さっていた。こうする事で葉の毒が槍全体に広がり、かすり傷一つで毒が回るのだ。
だがその槍を、曲芸師のように手のひらで受け流し、身を翻しながら回避する。とても人間業とは思えない動きであった。……まぁ人間ではないのだが。
「む~! 私も戦うのぉ~! 離して~!!」
「だ、だめです! リリちゃんは大人しく応援でもしていてください~」
少し離れた所ではユリスにホールドされているが、リリアラまでもが戦おうとしていた。
そんな様子を見て、ジェイドは再びため息を吐く。
「はぁ~……諦めの悪い人達ですね。仕方ありません。一人ずつ殺していきます」
スッと温度が下がるような寒気を感じるほどの殺気が広がり、ジェイドが本気を出そうとしていた。
そんな時だった。
「や~め~な~さ~~~~~い!!」
ナナが大声をあげて、ヘカトンケイルを取り込んだ拳を大地に叩きつける!
するとメキメキ! と、大地が割れ、その反動で荒野が隆起し、ジェイドと子供達を二分にした。
「あ~も~……危ないから戦わないように済ませようとしてるのに、みんなは勝手に戦い始めるし、ジェイドは私の気持ちなんていつものように無視するし、おまけになんか不倫してる事にされてるし……」
ナナが髪の毛をクシャクシャと掻き毟りながら、ゆっくりと近付いていった。
「え、え~っと、ナナ……さん?」
真っ先に攻撃を仕掛けたフィーネがビクビクと震え出す。
そんなフィーネにズイっと顔を寄せて、ナナが喚き出した。
「何考えてんのよ死ぬ気!? ジェイドを刺激するなって言ったわよね? ほんと信じられない!!」
「ご、ごめん……けど私だって、ナナのこと助けたくて……」
「そんな事わかってる!! だから、もう私と交代して」
そう言って、フィーネを後方に下がらせるように後ろへ押しのける。
「へ?」
「危なっかしくて見てられないって言ってるの! 戦うんなら私がやるから、フィーネはみんなを下がらせて!」
「う、うん。わかった……」
言われた通りにトテトテと下がろうとすると、「フィーネ」と途中でナナに呼び止められた。振り返ってみると、ナナはジェイドから視線を変えないまま、小さな声で吐き捨てる。
「私のために体張ってくれてありがと。嬉しかった」
それだけを言って、ピョンと飛び跳ねるようにジェイドの近くへ跳んでいく。
その一言がフィーネにとってどれだけ嬉しかったことか……
「ナナ、負けんじゃねぇぞ!! 絶対勝てよ!!」
込み上げてくる涙を必死に抑えながら、そう叫ぶのだった。
(私じゃ勝てないって言ってるのに……無茶言うわね)
そう思いながらも、頭の中でナナは思考する。ジェイドに勝つ方法を。
一種の賭けでもいい。ほんの僅かな勝率でもいい。真っ当な方法じゃジェイドには勝てないのはナナが一番よく分かっている。何か可能性を秘めた鍵を心の中で探し続けた。
「お嬢様、本当に僕と戦うおつもりですか?」
ジェイドのすぐ近くまで移動すると、呆れた様子で向こうから話しかけてきた。
「仕方ないでしょ。こうしないと、アンタ全員殺していただろうし」
「そうですね。僕にとっては虫けらと同じですから」
ニコニコと微笑みながらそう言うジェイドに、苛立ちが込み上げてくる。
「ちなみに、僕が勝ったらお嬢様以外は全員殺しますよ。そうじゃないと色々とメンド臭そうですしね」
「そう。じゃあ、私が勝ったら……アンタを殺すわ」
そう言って、二人は構えを取る。
「では始めましょうか。死ぬ気でかかって来て下さいね。知っての通り、魔界では実力が全てですから!!」
だが、二人は睨み合って動かない。
風が吹き、割れた地に小石が転がり落ちる音が響いた瞬間、先に動いたのはナナだった。
「インストール、ライカンスロープ!!」
ギュンと加速したナナがジェイドの周囲を凄まじい速さで駆け巡る。
それをジェイドは落ち着いた様子で佇んでいた。
ナナは背後に回り拳を振り抜くと、ジェイドは体の軸を少しずらしてナナの拳を腕でガードした。
「ただでさえ素早いお嬢様がライカンスロープを取り込むととんでもない速さになりますが、まぁ捉えきれないほどではありません。そして体格の小さいお嬢様は力がないため、軽々とガードできてしまいます」
余裕の笑みを浮かべながらそう解説するジェイドに、ナナは力を入れ替える。
「インストール、ヘカトンケイル!!」
巨人族の怪力を取り込んだ拳でジェイドに突撃をする。だが、今度はガードするというメリットが無いと言わんばかりに軽々と避けられてしまった。
ジェイドが避けるとナナの拳は背後の岩山に突き刺さる。すると岩山はロケットがぶつかったかのように粉々に粉砕した。
「ヘカトンケイルは、攻撃力の低いお嬢様の力をカバーしてくれる心強い能力です。しかしそれだと今度はスピードが無くなってしまい、攻撃を避けるのがとても容易になってしまうのでございます」
もちろんこれはジェイドの視点から見た意見である。基本的にナナはライカンスロープを取り込まなくても、普通の人間なら捉えきれないほど速い……
「やっぱり出し惜しみできる相手じゃないわね……インストール、ライカンスロープ。『転身!!』」
バチン!!
ナナの体から電気が弾けるような音が鳴り、それと同時に姿が一変する。
頭から獣の耳が生え、腰の辺りからモフモフの尻尾が伸び、顔や手足には赤い文様が浮かび上がっていた。
この転身した姿でどこまでジェイドと張り合えるかが勝負の要である。少なくともナナはそう思っていた。
そして、ナナの姿がフッと消える。時間の流れを超越した速さで、ジェイドを切り裂こうと爪を剥き出しにして、腕を上から下へと振り下ろす。
ドガッ!!
鈍い音と共にナナは跳ね飛ばされていた。驚きながら爪を立て、四つん這いになって手足を地面に押し付けて体を支える。
ナナが攻撃した瞬間に、なんとジェイドはナナに向かって自ら体をぶつけてきたのだ。もちろんナナの爪はジェイドの肉体を抉り、傷を負わせている。なのでこれは、ジェイドの捨て身の体当たりと言ったところであった。
ナナはもう一度地を蹴り、その速さは光速を超える。まさに神速だ。
今度は何度かフェイントを織り交ぜながら、攻撃の機会をうかがいジェイドを翻弄する。しかし、いざ攻撃を仕掛けるとジェイドはそれに合わせて体をぶつけてくる。まさにナナが神速なら、ジェイドのタイミングは神がかっていた。それは心を読んでいると言っても過言ではないほどである。
ドスン! と、三度目の攻撃もジェイドに跳ね飛ばされ、ナナは地面を転がった。
「くぅ……ハァ……ハァ……」
ヨロヨロと立ち上がると、ジェイドは特になんて事の無い表情をしていた。
「転身は物理法則をも超える神速を出せる奥の手ですが、強いて弱点を挙げるのなら、やはりお嬢様の攻撃力の低さでしょう。気配を正確に読み、意識を体全体に集中すれば、お嬢様が攻撃を仕掛けるタイミングが自ずとわかります。むしろ爪が肌に触れてから瞬発的に動ければいい。スピードが速いと言う事は、その分だけ何かにぶつかった時の衝撃が大きいというデメリットもありますからね。ま、流石の僕でも転身を無傷で攻略はする事は出来ませんが、ゾンビの体は多少傷付いたところで問題はありませんので」
ナナは思う。丁寧に解説してくれるところが癪に障るが、それだけジェイドは強い。と……
ナナと違い、単純な身体能力や戦闘におけるステータスだけでレベル一万を超える男だ。それくらい出来ても不思議ではない。
「……解除……インストール、ヴァルキリー!」
ナナが転身を解除する。
このまま続けても体に負担をかけるだけだという結論に至ったのだ。そして代わりに気功術で光の剣を作り出す。
その剣でジェイドの足元付近を払うように振り抜いた。当然ジェイドはバックステップを踏むように回避をする。それを追いかけるように、ナナは大きく空中に跳び上がった。
「ヴァルキリー解除、インストール、ヴェイン!!」
ちょうど着地の地点をジェイドに定め、辺り一帯の重力を十倍に変化させる。
「む!? これは僕の知らない力ですね。重力操作!?」
一瞬困惑するジェイドだが、この重力の中でもまるでウサギのようにピョンと跳び退ける。
「わわっ!? 解除解除解除!! アンインストール!!」
ジェイドを着地の時のクッションにする予定だったナナだが、いとも簡単に計算を狂わされて慌てて能力を解除する。それでも完全に元の重力には戻らず、着地の瞬間に地面が大きく陥没する。
「ううぅ……足が痺れた……」
「あははは。その能力って自分にも影響があるんですね。お嬢様は筋力が無いせいで、重力を増やすとうまく行動が出来ないでしょう」
ケラケラと笑うジェイドに頬を膨らませ、ナナは次の作戦に移る。
「インストール、アルラウネ!!」
ジジッと、ナナの姿が消えていく。
「おや? 気配まで完全に消えましたね。これは……」
さすがにこの現象を瞬時に把握することは出来ず、ジェイドは周りを見渡していた。そこをナナは、背後から渾身の力を込めて拳を叩きこむ!
――ボグゥ!!
ジェイドは背中をまともに強打され、二、三度転がりながら素早く立ち上がる。
周りを見渡すが当然ナナの姿は消えたままだ。
するとジェイドは、自分が殴られた方向に向かって思い切り地面を蹴り飛ばした。靴が地面を抉り、前方に石礫が飛来する。
ちょうどその位置にいたナナは、目の前から飛んでくる礫を払いながらガードをした。
「そこですね」
ジェイドが全力で地を蹴り、一瞬でナナの隣に移動する。そしてその勢いを乗せた拳を、ナナのみぞおちに叩きこんだ。
「っ!?」
衝撃で透明化が解除され、その一撃で呼吸ができなくなる。
ナナはその場に膝を付き、ぐったりと倒れ込んでしまった。
「これも僕の知らない能力ですね。気配すらも完全に消す能力とは恐れ入りました。しかし姿を消したとしてもその体に礫がぶつかれば、そこに見えない何かがあるのは明白です。もっと慎重に行動すべきでしたね」
ジェイドはそう言って、崩れ落ちたナナを憐れんだ目で見下ろす。
「……ぁっ……ぅっ……」
喰い込んだ一撃は額から汗が滲み出るほど強烈で、まともに動く事さえできなかった。
「これでわかったでしょう? お嬢様が僕に勝つのはまだまだ不可能です。なので約束通り、お嬢様のお友達を全て殺す事に致します」
ゾクリと、ナナの体を寒気が襲う。
それと同時に心臓が跳ね上がるように鼓動した。
「お嬢様はこちらの世界でも他種族の能力を取り込んでいるようですね。しかし、身体能力の向上は見受けられませんでした。恐らく、お友達ができたせいで修行をおろそかにしていたのでしょう」
しゃべりながらジェイドはナナに背中を向ける。その視線の先にはユリス達がいた。
「別に友達を作るなと言うつもりはありません。しかし、今はまだ修行をこなし強くなることが先決です。お友達を作るのは僕を超えてからの方がいい。そうじゃないと遊ぶ事に夢中となり、修行に身が入らなくなりますからね」
ナナは思う。それがどんなに辛かった事か。友達も出来ず、寝る事も食事する事も惜しんで修行をさせられた。強くなることを何より優先させられて、楽しいと思える時間なんて何もなかった……
「お嬢様がこちらの世界に飛ばされて数ヶ月。僕だったらその数ヶ月でかなりのレベルアップをさせてあげられましたよ。本当に修行の時間を無駄にした気分です。それもこれも、全てはお嬢様を勝手に召喚した『ユリス』とかいう召喚者のせいでございます。勝手にお嬢様の友達となり、そして堕落させた。その罪は死をもって償ってもらわなくては収まりが付きません」
ナナには理解できなかった。友達を作る事がそんなにもいけない事なのだろうか。強くなることがそんなにも優先される事なのだろうか。
魔界にいた頃は、ただただ地獄でしかなかったというのに……
「これはお嬢様のためなのでございます。どうか理解して下さい」
そう言って、ジェイドはゆっくりとユリス達の方へ歩き出す。
そんなジェイドの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ナナは自分の体がグツグツと煮えたぎるように熱くなるのを感じていた。
何を理解すれば、友達を殺される事に納得できるのか……
そしてナナは、自分の中で何かが静かにキレるのを感じた。
「……ゲホッ!!」
呼吸できない状態を、咳き込む事で強引に空気を通す。
どんな時でもおしとやかに。そんな教えを無視するかのように口の中のツバを吐き捨てる。
そうして獣のように四つん這いになったナナは、地面を全力で蹴った!
ナナの姿はフッと消え、一瞬でジェイドの側面に現れ、右ストレートを叩きこもうと拳を振りかぶる。
「そのスピード、またライカンスロープですか。無駄ですよ」
攻撃力が低いと見越してジェイドは右腕でガードをする。しかし――
——メキメキメキ!!
とんでもない力で腕は嫌な音を立て、ジェイドの体はそのまま吹き飛ばされていく。そしてその先にある岩山に激突した。
「ヴェイン!!」
再び重力が重くなり、激突した際に崩れ落ちる岩の破片は数十キロ。数百キロの重さとなりジェイドに降り注ぐ。
そんな様子をナナは、睨みつけるような表情で見つめるのだった。




