幼女は選択を強いられる
ジェイドが召喚され、彼がユグラシル大陸の王都を壊滅させてから数日が過ぎた。
この事件は全世界に衝撃を与え人々を震え上がらせたが、正確な目撃情報がないために謎の多い事件とされていた。
唯一の救いは、壊滅したのが王都だけだったという事である。王都の象徴とも言える石造りの砦は崩壊し、中にいた人は全滅したのだが、その外にいる人や周囲の集落にはなんの被害も無かったという。
各国では様々な考察が飛び交う中、ナナもまた胸騒ぎが治まらない日々が続いていた。
そして今日、ついに運命の日を迎える事になる……
「ナナお姉ちゃん、ちょっといい?」
現在、ちょうど日が真上に昇りかけていた頃だった。拠点から東側の荒野で午前の修行を行っていた時である。フィーネとトトラの修行を見ていたナナだったが、そこにリリアラが話しかけてきた。
今日はミオが修行に参加しておりリリアラの相手をしていたため、久しぶりに一同が集結していた。
「どうかした?」
「うん。あのね、なんかちょっと変な人がこっちに近付いて来るの……」
「変な人……?」
リリアラの気配を察知する能力は普通にしていても、ナナがライカンスロープを取り込んだ時と同じくらいの精度がある。これは彼女が人並み以上に相手の感情に敏感だからである。
「えっとね、凄く嬉しそうにここへ近付いて来るのに、同時に怒りも感じている感情なの」
「嬉しいのに怒ってるの? それってつまり、いつも通りで私の懸賞金目当ての冒険者なんじゃない? 歪持ち許さないって気持ちと、倒せばお金が貰えてうれしいって気持ち」
しかしリリアラは難しい顔で唸っていた。
「う~ん……そういう感じじゃないの。純粋に、会うのが楽しみって感情だと思うの」
すると、フィーネとトトラが修行を中断して会話に混ざってきた。
「それってもしかして、快楽殺人者じゃないッスか!? 懸賞金相手なら殺しても構わない! だから師匠と会うのがすごく楽しみって考えているんスよ!」
そうトトラが推理する。
しかしリリアラは納得のいかない表情のままだった。
すると今度はミオが自分の意見を述べ始める。
「もしかすると、ここに住む誰かの親ではないでしょうか? 子供に会うのは楽しみだけど、勝手にここで生活せているナナ様に怒っているとか?」
「いや、奴隷として売っておいて私に怒りを向けられても……」
「でも、ミオお姉ちゃんの考えが一番近い気がするの! あっ!? 私わかっちゃったの!!」
リリアラが閃いたようにポンと手を打った。
「これは不倫した妻に会いに来た夫なの! 妻に会うのは嬉しい。けど不倫していたからやっぱり許せない。これが一番しっくりくる感じなの!! ねぇ誰!? この中で不倫していた人は誰なの!? 早くごめんなさいして来て!!」
リリアラが周囲に反省するように促していた。
「んな訳あるか!! このメンツの中に配偶者がいたらビックリするわ!!」
ごく自然な流れで、いつものようにフィーネがツッコミをいれていた。
そんな時だった。リリアラがビクリと体を震わせる。
「あっ!? 向こうがこっちに気が付いたの!! 物凄いスピードで来るよ!!」
しかし、それはリリアラが言うまでも無かった。あまりの速さで接近してくる相手を、その場の全員が見逃すはずも無く、ハッとした時にはすでにナナの目の前でブレーキをかけ、一人の男性が跪いていた。
「ナナお嬢様、お迎えにあがりました」
若い声の男性は、跪いた状態でそう言った。
それを聞き、頭を垂れる青年を見た瞬間に、ナナの表情は驚愕のものへと変わっていった。
「……ジェイド……? なんでここに……?」
「はい。お嬢様がこちらの世界へ召喚された後すぐに、僕も同じ状態でずっと待機していたのでございます。そしてつい先日、ようやくこの世界に召喚されました」
この時、ナナの額から一筋の冷や汗が流れ落ちるのを誰も知らない。それどころか、爽やかボイスで小綺麗な道着に身を包む青年がナナの前で跪いている事に、一同は一目を置いていた。
「ふ、不倫ッスか? 師匠が不倫してたッスか?」
「んなわけねぇだろ! ……違うよな? え? そうなのか?」
「流石ナナ様でございますね♪」
一歩離れた所で、一同は好き勝手にイメージを膨らませる。
「それはそうとお嬢様。お嬢様をこの世界に召喚した者はどこにいるのですか? イジメられたりこき使われたりしていませんか?」
「だ、大丈夫! すごく優しくて、歳の近い子だから、すぐに仲良くなったわ」
ナナの声は震えていた。顔色も血の気が引いたように青ざめている。
「それは何よりです。で、その者は今どこに?」
「そ、それは……」
ナナが言い難そうにしているのを見ると、ジェイドは立ち上がり、ヒソヒソと話すフィーネ達に声を掛け始めた。
「すみません。ナナお嬢様の知り合いとお見受けします。お嬢様を召喚した者が誰なのか、僕に教えてくれないでしょうか」
立ち上がったジェイドはスラッとした体型に長身であり、顔はイケメンと言っても過言ではないほどに整っている。そんな彼に、一同は感嘆の声を漏らしていた。
そんな時だった。
「みなさ~ん。そろそろお昼にしましょう~」
修行していた一同を呼びに、ユリスがトコトコと駆け寄ってきた。
「あ、彼女ッスよ。ユリスが師匠を召喚した召喚者ッス」
トトラがそう答えた瞬間であった。針のように鋭い殺気が周囲を突き抜ける。
あまりの鋭さに痛みを錯覚してしまうほどの殺気が放たれたその瞬間に――
——パアアァァン!!
凄まじい衝撃音が鳴り響き、空気が震え、一陣の風が巻き起こっていた。
一瞬でユリスの背後に移動したジェイドが、その首を刎ねようと手刀を振るい、それをナナが渾身の力で受け止めていたのだ。
「ほう。僕の動きについてこれるとは、腕はなまっていないようですね」
「……っ!? ジェイドやめて! ユリスは私の友達なの。攻撃しないで!!」
すぐ隣で轟音が鳴る事で、ユリスはようやく現状と自分の立場を把握する。
「あれ? もしかして私、今死にかけました……?」
フィーネ達も慌ててユリスの腕を引き、少しでもジェイドから遠ざけようと距離を取る。
「お嬢様。僕から言わせればこの世界の人間はクズですよ。こちらに来てから少しばかり情報を集めさせてもらいましたが、どうやらこの世界では召喚術が、ただ奴隷を呼ぶためだけの魔法としか思えませんね。対象の意思とは関係なしに契約を結ばされる。自由に呼び出せるが、元の世界に戻す手段はない。お嬢様を呼び出しておいて、都合が悪いと『歪持ち』と恐れ排除しようとする。……はっきり言って生かしておく価値なんてありませんよ」
ため息交じりにそう言うジェイドに対して、ナナはそっと囁くように言い返す。
「ジェイドがそう思うのもわからなくはない。けど、ここにいるみんなはとてもいい子たちばかりなのよ。みんな私の友達なの! だから殺そうとしないで。お願いだから……」
「ふむ……まぁ、お嬢様が僕と一緒に魔界へ帰ると言うのであれば、無駄に殺したりはしませんけどね」
それを聞いて黙っていないのは仲間達の方であった。
「おい兄ちゃんよ! 帰るってなんだよ! ナナのこと勝手に決めんな!」
フィーネがジェイドに絡んでいく。
「フィーネいいから。ジェイドをあまり刺激しないで。ここは私に任せて」
「任せられるかよ! 大体、ユリスをいきなり殺そうとしたりなんなんだ!? 見下してるみたいで感じ悪いっての! そもそも――」
「フィーネ!!」
ナナが大声を出し、フィーネの言葉を無理やり遮った。
「ジェイドにそういう理屈は通用しないの。文句があれば戦って勝つしかない。魔界で生きる者はそういう風に生きてきたから……」
いつもと違っておとなしいナナに違和感を覚えながら、フィーネは渋々と引き下がる。
「わかったよ……けどさ、ちゃんと説明してくれよ。アンタ一体誰なんだ?」
「これは申し遅れました。僕はジェイドと申しまして、魔界ではナナお嬢様の教育係、兼修行相手を務めさせていただいております」
それを聞いて全員が理解した。ナナが魔界で眠る事さえ許されずに修行をさせられていたのは聞いていた。それをやっていたのがこの男なのだと。
「最後にもう一つ聞かせてくれよ。アンタの目で見て、ナナの強さはどれくらいなんだ?」
フィーネの問いに、ジェイドは顎に手を当てて考える。
「そうですね。僕がこの世界に来た時に、およそレベル一万と言われました。それを基準に考えると、ナナお嬢様は大体8000から9000と言ったところでしょうか? さ、これでいいですか? お嬢様を返していただきます」
そう言うと、フィーネは納得がいかない様子で握り拳を作り、ジェイドを睨みつける。まさに一触即発の空気となっていた。
「待ってジェイド。みんなと少しだけ話をさせて。絶対に逃げたりしないから……」
そうナナが申し出た。
ジェイドはまた一つため息を吐く。
「仕方ありませんね。少しだけですよ?」
そう言うと、ジェイドは近くの岩場にピョンと飛び乗り腰を下ろした。
ナナはその場の全員を引きつれて、拠点の近くの茂みに入っていく。そこで一同は円を作ってナナの様子を伺った。
ユリスが、フィーネが、トトラが、リリアラが、ミオが……
一同の視線を浴びながら、ナナは静かに口を開いた。
「私は、ジェイドと一緒にここを出て行く事にするわ……」
「なんでッスか!? ここは戦うべきッス!!」
トトラが真っ先に反論した。
「師匠言ってたじゃないッスか! 修行の時は能力無しで戦っていたけど、『転身』を使えば勝てるかもしれないって!」
「……ジェイドのレベルを聞いて確信したわ。今の私じゃジェイドには勝てない」
「なんでッスか!? あの人そこまでレベルは高くないッスよ! 師匠はこの世界に来てからヴェインとアルラウネの能力を取り込んだッス。それを踏まえれば実質レベルは互角くらいじゃないッスか!!」
だが、ナナは暗い表情のまま首を振った。
「違う。ジェイドのレベルは多分、『今の状態』でのレベルなんだと思う……」
「……? どういう意味ッスか?」
「ジェイドには二つ、モードがあるの。一つ目は今の状態である『アライブモード』。ジェイドはゾンビだけど、このモードで普通の人間のように体を鍛える事もできるし、勉強をして知識を詰め込む事もできる。そして二つ目が『デッドモード』。これまで鍛えた体をゾンビの特性で150%引き出す事ができる。この時点でレベルは単純に1.5倍。さらに痛覚が無くなるのと、理性を外す事でゾンビとしての不死身を活かした捨て身の攻撃が活きてくる。そういうのを全てひっくるめると、ジェイドの最終的なレベルはおおよそ……二万を超える……」
ごくり、と、誰かが息をのんだ。
「ジェイドは厄介な能力は特に持ってない。……いや、ゾンビとしての不死身は厄介だけど、それ以外で特殊な能力とかは何もない。純粋な戦闘能力だけでレベル二万なの。彼の動きを封殺するような能力を持ってない限り、彼よりもレベルが低い私が勝つのは不可能なの……」
誰も、何も言えなかった。なんとかしたいが、なんとかする方法が何もなかった。よって、黙る事しかできない……
「大丈夫よ。ジェイドと一緒に帰るけど、私がジェイドよりも強くなったら、あいつを倒してまたここに戻ってくる! いつになるかはわからないけどね」
みんなを励まそうとかけた言葉は、今の状況が重いという認識をさらに深めるだけだったのかもしれない。
「帰るって言いますけど、どうやって魔界へ帰るんですか……?」
そうユリスが口にする。
「さぁ。わからないけど、あいつの事だから、今はとにかく私をみんなから遠ざけたいんだと思う。魔界に帰る方法を探しながら旅をするんじゃないかしら?」
「もしも本当に魔界に帰ったら、もう二度とこの世界には戻って来れないんですよ!? 私がナナちゃんを召喚したのは本当に奇跡だったんです! もう一度ここに呼び戻すなんて事は出来ないんですよ!?」
ナナの肩を掴み、必死に訴える。
しかしナナは、そんなユリスの目を見る事さえできなかった……
「私は嫌です! ナナちゃんと離れたくありません!」
「我慢してユリス。聞き分けが無いと、あいつはここの全員を殺してでも私を連れて行こうとするわ。それだけは絶対に避けなきゃダメでしょ?」
ナナにしがみ付いてすすり泣くユリスを、優しく説得する。
「みんなもごめん。そんな訳だから、私はジェイドについて行くから。……さようなら……」
ユリスを引き離して、ナナは茂みから出て行った。ゆっくりとした歩調でジェイドに近付いていく。そんなナナの心は空虚で、全てを失ったかのような脱力感で覆われていた。
「話は終わりましたか? それでは参りましょうか。とはいえ、まずは魔界へ帰る方法を探す所から始めないといけませんけどね。まぁ僕とお嬢様がその気になればなんとかなるでしょう」
ニコニコと微笑むジェイドの後ろをナナはついて行く。その頬からは一筋の涙が零れ落ちていた。
「……ちょっと待てよ!」
フッと、ジェイドの隣にフィーネがブレーキをかけて滑り込んでいた。そして、その握った拳をなんのためらいも無くジェイドへ叩きこむ!
バンッ!! と、ジェイドはその攻撃を直視する事無く右腕で受け止めた。
「なんのつもりですか?」
「見ての通りだよ。ナナは連れて行かせねぇ。魔界ってのは実力主義なんだろ? だったらよ……」
タン! と、一旦距離を取って、フィーネが再び拳をジェイドに向けた。
「私が力ずくで取り戻す!!」
凄まじい気迫と、鋭い目つきと共に、そう豪語するのであった。




