幼女は虫の知らせを感じ取る②
召喚された青年は爽やかな笑顔を向けてくるも、その鋭い手刀であっさりと人の首を切り落とした事で周囲は騒然となっていた。
「ナナ……それはこの世界に災いをもたらす可能性を秘めている歪持ちの名だ。お前はその歪持ちと戦ってもらいたくて召喚した」
白髪の男は簡単に説明を始める。
歪持ちと呼ばれるナナがギルドで暴れ回った事。ドルンの街から奴隷をさらい、侍らせている事。そしてそんな歪持ちの存在を危険と考え、ここユグラシル大陸の王都では対策を講じている事。
自分をゾンビと主張する青年は、そんな話をうんうんと聞いていた。
「なるほど。それでこの死体の山ですか……事情は大体わかりました。では取りあえず――」
部屋の隅に積み上げられている生物の残骸に目を向けながら、青年は言った。
「――この計画に携わった者は全員皆殺しにしましょう」
その言葉を聞いて、武器を持つ男達は震えあがる。現に一人の神官が首をはねられているのだ。
「俺らに逆らう事は許されねぇよ。『戒めの言霊』を発動させたからな」
「ほう。なら、その効果を試してみてもよろしいでしょうか?」
「へっ、構わねぇよ。おいお前ら、こいつをおとなしくさせろ。手足の一、二本切り落としても構わねぇ。すぐに再生するみてぇだからな」
白髪の男の後ろにいた武器を持つ者達が、ゾンビの青年を取り囲んだ。
戒めの言霊。それは召喚獣と強制的に契約を交わす際に課せられる呪縛だ。これのせいで召喚獣は召喚者に逆らう事ができなくなる。
「では、試させていただきます」
ゾンビの青年が床を蹴り、武器を掲げる男に手刀を振りかざした時だった。
——バチンッ!!
青年の体に膨大な電撃が流れ、その体は硬直する。
「かっははははは! だから言っただろ? 逆らえねぇってよ。大人しく言う事を聞いとけ」
動きの止まった青年に、周囲の男達は武器を向けた。
「おい、電流が流れてんの忘れんなよ。腕を切り落とすなら一瞬でやれ」
白髪の男が指示を出すと、周囲の男達は武器を振り上げ、全力で振り下ろした!
ズバッと血しぶきで壁が赤黒く染まり、電流が流れる青年を取り囲んでいた男達が崩れ落ちた。
青年が再び動き出し、凄まじい速さで周囲の者を切り裂いたのだった。
「な、なんだ!? なぜ動ける!?」
「僕はゾンビだと申し上げたはずです。死体に電撃なんてさほど意味はありませんよ。まぁ、想像以上に強烈でびっくりしましたけどね」
そう言って、青年は白髪の男を見据え、体勢を低くする。
今にも飛びかかってきそうなそのタイミングで、白髪の男は大声をあげた。
「止まれ!!」
その瞬間にビシッと、青年の体は石化したかのように動かなくなった。
「おや!? これは……」
「へへっ、これが俺の奥の手だ。三鬼の力なめんじゃねぇよ!」
「不思議な能力ですね。金縛りですか?」
体が動かなくなったにも拘わらず、青年は慌てる事無く会話をする。
「お前の脳を支配したのさ。俺の言葉には意思が宿っててな、それがお前の耳から入り脳に張り付いている。いわば寄生虫さ。絶対に取れねぇよ」
白髪の男はニヤリと笑うと、後ろにいる者達に再び指示を出す。
「おい、こいつのレベルは?」
「えっと……す、凄い!! およそ一万です!!」
青年を映す水晶には、一万前後の数字が行ったり来たりしていた。
「ねぇお兄さん。お名前は? ナナっちと知り合いなの?」
今まで壁にもたれ掛かっていたゼルが、ワクワクした表情でそう問いかけていた。
「これは申し遅れました。僕はジェイドと申します。元の世界ではナナお嬢様の教育係、兼修行相手を務めさせていただいております」
「へぇ~! ならなんでここにいるみんなを殺そうとするの?」
ゼルは楽しそうにそう問いかけ、ジェイドはいたって冷静に受け答えをする。
「少なくとも僕はこの世界を憎んでいます。勝手にお嬢様を召喚して連れ去ったのですからそれは当然の事でしょう。そして同じように僕も召喚されたと思えば、そのお嬢様と戦わすために何度も召喚を繰り返していたようですね。僕は正義の味方なんてガラじゃありませんが、さすがにこの死体の山には虫唾が走りますよ?」
「もしかしてジェイドさんは、ずっとあのミイラの状態で待機していたんですか?」
「その通りでございます。出来る限りお嬢様が消えた時と同じ状態を再現して、この日まで待機しておりました。幸いな事に数ヶ月で実を結んだようでホッとしております」
「そうか、だったらホッとしてるとこ悪ぃんだけどよ……」
白髪の男が直に剣を抜く。
生き残った者もそれぞれが武器を構えて取り囲むように散開した。
「お前さんはちと危険だから、四肢を切断させてもらうわ。いざって時にくっつければ問題ねぇだろ?」
そう言って、再びジェイドに詰め寄っていく。
ジェイドは以前として体が固まって動く様子はなかった。
しかし……
「ククク……愚かですねぇ」
身を屈ませた状態でジェイドが不意に笑い出す。
「何がおかしい。立場が分かってんのか?」
「分かっていないのはそっちですよ。脳を支配して動きを止めているのでしたら、脳と体の繋がりを断てばいい」
ズズズッと、ジェイドの肌がドス黒く変色していく。
その目は血走り、まるで理性を無くしたかのように口からは唾液が零れ落ちていた。
「くっ!? 化け物め!! 手足を切り落とせぇ!!」
白髪の男が叫び、その場の全員が一斉に飛びかかる!
「グルアアアアアアアアアアアッ!!」
ジェイドが咆哮した瞬間であった。まさに一瞬で勝負は着いていた。
振るった腕で人間は紙くずのように引き裂かれ、跳ね飛ばされて胴体が激突した壁は大きく窪み、踏み込んだ床は亀裂が入り破損していた。
白髪の男もろとも、僅か数秒でこの部屋の人間がただの肉の塊となっていた。
そんな様子を、部屋の端にいたゼルは唖然として見つめていた。どうやら隅っこにいたせいか、ただ一人生き残ったようであった。
肌がゾンビのように腐った色をしていたジェイドだが、次第に最初の人間としての肌に戻っていった。
完全に先ほどの青年の姿となったジェイドは、ゆっくりとゼルの方へ歩み寄っていく。
「は、ははは……これは逃げられないだろうね……」
さすがのゼルも、乾いた笑いしか出てこなかった。
「そうですね。見逃すつもりはありません。先ほど言った通り、この計画に携わった者は全員殺します」
「ああ、残念だなぁ……キミとナナっちがどんな戦いを繰り広げ、どんなやり取りをするのかをこの目で見たかったんだけどなぁ……」
「別に僕は戦うつもりはありませんよ。僕の目的はお嬢様を元の魔界へ連れ戻すだけですから」
そう言って、ゼルの前で腕を振り上げる。
それを見た瞬間に、ゼルの脳裏にはこれまで生きてきた記憶が押し寄せるように流れていた。死を意識したことによる走馬燈である……
(あれ、なんか……)
物凄い勢いで過ぎ去っていく記憶に頭を支配されながら、ゼルは一つの疑問を浮かべていた。
(僕の思い出って、シンディと過ごしたものばかりだなぁ……)
最後の最後まで嘘と欲望で塗り固めた少年が思い返す記憶の中には、いつも一人の少女がいた。そんな事に今更ながら気が付いた時にはもう、ジェイドの腕は振り下ろされて……
——ズシャッ……
血塗られた部屋にまた一つ、肉片が転がるのであった……




