幼女は呪いを解きに行く➈
「…………ゼル……様?」
怒りさえ忘れた様子で、ミオが呟く。
そこに立っていたのは、今日を共にしたゼルであった。服も髪も、何も変わらない。昨日から見慣れたゼルである。
「あ~あ、バレちゃったかぁ」
ゼルがつまらなそうに、後頭部をワシャワシャと無造作に掻きまわす。
「ちょっと待って下さい……え……? どうしてゼル様がユリス様を狙うんですか!? というか、なんで変身できるんですか!? もしや二年前にアレス様を襲ったのはゼル様なのですか!? そもそも、今回の出来事はゼル様のたくらみによるものだったのですか!?」
一気にまくしたてると、ゼルは可笑しそうにケラケラと笑い出した。
「質問が多すぎてどれに答えていいか分からないよ。取りあえず僕は逃げるから、ナナっちと一緒に勝手に想像するんだね」
「無駄です! 私から逃げられるとお思いですか? ゼル様の身体能力は並みよりも少し上くらいでしょう。ナナ様とシンディ様の前で全てを話してもらいます!!」
そう言ってミオは、背負っていたユリスを下して石槍を構える。
相変わらずユリスは状況が分かっておらずあたふたしていた。
「さすがにそれは面白くないね」
ゼルはすました顔で右手を振るう。すると、ミオとユリスの周囲には無数のゼルが出現した。本体のゼルと同じ服、同じ表情で、違う所があるとすれば、それは全員が短刀を握っている事だ。
その数はどんどんと増えていき、あっという間に二人は数十人のゼルに囲まれてしまっていた。
「全員ユリっちを狙いな。殺しちゃっていいよ」
「っ!?」
命令された無数のゼルが、短刀を構えて腰を低く落とす。今にも飛びかかってきそうな体勢に、ミオは血の気が引いていた。
さすがにこの数からユリスを守るのは絶望的だと感じたのだ。
「シンディやナナっちが相手じゃ、この数でも勝つのは無理っぽいけど、ミオっちならやれそうだ♪」
「くっ……」
ミオは後悔していた。怒りに身を任せて深追いしすぎてしまった事に。ゼルが逃げ出した時にユリスの安全を最優先にして深追いしなければ、こんな事にはならなかったのだから……
「ゼルさん、どうしてこんな事をするんですか!? 何かの間違いですよね?」
ユリスは必死に本体であるゼルに呼びかけていた。
「それが冗談じゃないんだよユリっち。さっきミオっちが言った通り、二年前にアレスを殺したのは僕なんだ」
「ど、どうしてそんな事を……」
以外にもゼルとは会話のやり取りが成立していた。
これも立場的な余裕だろうか。ゼルはペラペラと隠す事なくしゃべり続ける。
「いいよ。ナナっちが来るまでまだ少し時間がありそうだ。この際だから教えてあげるよ。僕がアレスを殺したのは、ただの暇潰しさ」
二人は何も言えなかった。理解できないからこそ、言葉が浮かんでこない。
「暇……潰し……?」
「そうさ。ミオっちは確か、奴隷だったところをナナっちに助けられたんだっけ? そんなミオっちにこんな事を言うのは酷かもしれないんだけどさ、この世界ってかなり平和なんだよね」
ミオは周囲の動きに警戒しつつ、ゼルの言葉に耳を傾ける。
「なんの争いもない。なんの憎しみも生まれない。精々面白い話と言ったら、バルバラン大陸で奴隷制度が適応されているとか、どっかの大陸で突然変異の強力な魔物が現れたって事くらいさ。それ以外はなんも面白い事がないんだよね~この世界って。まぁ、魔物っていう人間が倒すべく共通の敵がいるから当然と言えば当然なんだけどね」
基本的に人間という種族は争いを好む種族である。
優劣をつけたり、自分の力を誇示したりと、何かと争いたがる生き物である。
しかしこの世界では魔物という全人類の敵が存在している。そのために人間は、その争いたいと言う衝動が魔物に向けられ、人間同士はあまり争ったりはしない状態であった。
そしてゼルは話しを続ける。ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、堂々と語った。
「だから僕が盛り上げてあげたのさ! 歪持ちは危険だという事件を起こし、平和ボケした連中に危機感を与えてあげたんだ!」
「そんな事で……人を殺したんですか……」
唖然とする。その身勝手で狂気とも言える理由に、ただただ言葉が出ない。
「あぁ……僕みたいに自ら事件を起こしてくれる人が増えれば、この世界はもっと楽しくなるのになぁ……シンディとナナっちを戦わせるのも一苦労だったんだよ?」
「……どういう意味ですか?」
ユリスが訊ねると、分身の隙間から見える本体のゼルは、楽しそうに答えてくれた。
「僕は前々から、シンディとナナっちはどっちが強いか興味があったんだ。だから今回、二人が戦うように仕組んだのさ。ここまで言えばもうわかるよね? 村人に毒を盛ったのは僕なんだよ」
ユリスとミオは驚愕した。
そして、その表情を見たゼルは心から嬉しそうだった。
「あっはは! そんなに以外だったかい? 嬉しいなぁ。つまりこういう事さ。僕はまず、適当な村人を選んで、小屋の食材に少量の毒を含ませる。あ、僕は村を離れて他の大陸へ渡ったりするから、その時に毒も手に入ったりするんだよねぇ。それで、村中に歪持ちであるナナっちの話題を派手に広める。このユグラシル大陸では歪持ちの話は厳禁で、犯すと召喚者の呪いが降りかかるって言われているからね。案の定、僕が盛った毒で具合が悪くなった症状でさえ、召喚者の呪いだって騒ぎになり、話題に出したナナっちを倒して呪いを解くと言う流れなになる。もちろん戦うのは村で一番レベルの高いシンディだ。こうして僕たちはバルバラン大陸へと出向いたのさ」
「ちょっと待って下さい! ならユリス様が本当に呪いにかかって倒れたのも計算していたんですか!?」
そうミオが聞くと、ゼルは首を横に振った。
「いや、あれは本当に僕の想定外の出来事だよ。そもそも僕はシンディとナナっちを戦わせたら、シンディが勝つと思ってたんだ。けれど結果はナナっちの勝利だった。そうしたら村人を助けてくれるって話になって、村へ着いたらユリっちが目を覚まさなくなってしまった。僕がユリっちを殺そうって思いついたのは、このグリン村に初めて到着した時だよ。だってさ、この地で! 二年前と同じ村で! 同じ歪持ちがまたしても召喚者を殺したら、それはもうとんでもない事件となり語り継がれるよね! だから村長と話をつけて、ナナっちとユリっちが別行動を取るきっかけを作ろうと思ったのさ。ま、ミオっちが予想以上にユリっちを手放してくれなかったせいで、今に至るんだけどね」
「なら……——」
ミオが続けて口を開く。
ナナ達が来るまでの時間稼ぎでもあり、純粋な疑問でもあった。
「――『船に乗るまでの間、ユリス様を守れ』、という命令の内容を、なぜあなたは知っていたのですか!? あの時ゼル様は近くにいなかったはずです!」
「確かにあの時、僕とシンディは外に出ていたけど、僕は小屋を出てすぐに戻ってきたんだよ。ナナっちは気配を読むのがうまいみたいだけど、僕は逆に気配を消すのが得意なんだ。いやぁ、人間って取り柄を一つくらい持ってるものなんだねぇ」
ゼルは胸を張ってケラケラと笑う。
「……なら、ナナ様のコールドリーディングはどうやってすり抜けたのですか!?」
「コールドリーディング? 何それ?」
「村を出る前に、『村人が毒に侵されている事に心当たりはないか』、と聞かれた時、ゼル様は心当たりは無いと答えましたよね。実はナナ様は嘘を見破る能力を持っているんです。にも拘わらず、ゼル様の嘘は看破できなかった。それはなぜですか!?」
するとゼルは、小首を捻り、唸り出した。
「う~ん……その嘘を見破る能力っていうのが、どういう原理なのかはわからないけど、僕って割と普通に嘘を付くんだよね。中には、本当の事よりも嘘を言ってる時間の方が長い時もあるんだよ。だからもしかしたら、平然と吐くような嘘なら見破れないんじゃないかな? 僕って呼吸する感覚で嘘を吐くときあるしね♪」
なるほど、とミオは理解した。
ナナのコールドリーディングは、相手が嘘を言った時の違和感を見つけて判断する技術である。つまり、相手が罪悪感も何も感じずに嘘を吐けば、なんの違和感もなくなってしまう。コールドリーディングとは、そこまで万能ではないのだ。
「さ、そろそろナナっち達が来る頃だね。そろそろ僕は逃げさせてもらうよ。じゃあね」
話しが終わると、量産した自分を残して本体のゼルは森の方へと走って行く。ミオがゼルを止める手段はなかった。
(ユリス様だけは守らないと。もしもの時は左腕を盾代わりに使う! 五体満足ではいられないだろうけど、なんとしてもユリス様を守る!!)
左腕を捨てる覚悟でミオは槍を構える。
「ヒール! ヒール~!!」
ユリスが回復魔法で量産されたゼルを一人ずつ消していく。しかし、数十人にもなるこの人数の前では焼け石に水だ。
ミオは自分からは動かず、向こうが動くのを待った。しかし、囲んでいるゼルは動かずに、手に持つ短刀を振りかざすだけだ。
森の中へ逃げていくゼルの姿が完全に消えた。もう追いかけても見つけられないだろう。
すると周囲の量産されたゼルもまた、シュウシュウと煙のように消えていく。そしてその場には、ミオとユリスの二人だけとなった。
「助かったん……でしょうか……?」
「……もしかすると、ゼル様の魔法は変身でも分身でもなく、相手に映像を見せるような魔法で実体は無かったのかもしれませんね。まんまと騙されました」
そう言いながらも、ユリスが無事なことに安堵するミオであった。
するとそこへ。
「お~い、二人共どうしたの~?」
このタイミングでナナとシンディが駆けつけた。
「あ、ナナちゃんです!」
ユリスはパタパタと駆け出し、いつものようにナナに抱き付こうとした。
その時、ドクンとミオの鼓動は跳ね上がる。
大地を思い切り蹴り、ナナとユリスの間に入ることで、二人が接触するのを拒んでいた。
「え……? ミオちゃん……?」
ユリスが驚いたように目をパチクリとさせていた。
「あぁ、ミオには船に乗るまでの間、誰だろうとユリスには指一本触れさせないでって命令しているのよ。まったく……ユリスが眠っている間は大変だったんだからねっ!」
「まぁ、そうだったんですか!?」
二人がそんな会話をしている間、ミオはナナ達を睨みつけるような視線を送っていた。
「失礼ですが、お二人が本物である確証がない以上、ユリス様を近付けさせる訳にはいきません! 私達は今まさに、そんな状況だったのです!」
敵意さえ感じる口調でミオがそう言った。
「なら、私の回復魔法で確かめましょう~」
ユリスは早速、と、回復魔法をかけるが、二人にはなんの魔法もかけられていなかった。
「本物……ナナ様、すみませんでした……」
伏見がちでミオが謝るのを、ナナは一切責めなかった。
この時のミオは、一種の疑心暗鬼に陥っているのと同時に、ナナに対して気まずさを感じていた。それは先程の心を抉られるような言葉が原因である。偽物の言葉とはいえ、ナナの声と姿で発せられた言葉は想像以上にミオの体に刻み込まれていた。
「それで、今ここで何があったの?」
ナナにそう問われて、ミオは今起きた出来事の一部始終を話すのだった。
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「そんな、ゼルが……嘘でしょ……」
シンディはショックを受け、しばらくはその場を動く事ができなかった。
彼女はゼルの考えや、これまでの事を全く知らないようであったので、当然と言えば当然だ。
しばらくの間シンディをあやしてから、ナナ達はバルバラン大陸へ帰る事を伝える。三人は帰りの船に乗り、シンディは手を振って見送ってくれたのだった。
「ゼルさん、私達に全部しゃべってくれましたけど、この先どうするんでしょうか?」
「さぁね。けど自分の姿を偽れるんだから、もうずっと違う姿で生活するんじゃないかしら?」
ナナとユリスが甲板でおしゃべりを始める。船に乗ったのだから、これにてミオの護衛任務は完了となり、二人は寄り添うようにしながら話をしていた。そしてミオは、そんな二人から一歩離れた位置で浮かない顔をしていた。
未だナナに対して、モヤモヤと気まずい気持ちを整理できないのだ。
「ミオ、どうしたの? 元気ないわね」
ミオがハッと顔を上げると、ナナが覗き込むように見つめていた。
「い、いえ、そんな事ありませんよ……」
しかし、ミオ自身でもびっくりするくらい声が沈んでいた……
「……もしかして、偽物の私に何か言われた?」
「そ、それは……」
目を合わせる事もできず、ミオは再び俯いてしまった。
どうしてもナナを見ると心を抉った言葉を思い出し、胸が痛みだすのだった。
そうして顔を背けるミオの頭に、フワリと何かが乗っかってきた。
「ミオ、頭ナデナデしてあげる。頑張ってくれたお礼よ」
乗っかってきたのはナナの手であった。そしてそのままヨシヨシと撫でられる。
少しだけ、気まずかった雰囲気が和らいだ気がした。
「ナナ様……ぐすっ……私、本当は凄く不安でぇ……」
「泣いた!?」
突然泣きべそをかくミオに驚いたナナは、咄嗟にギュッと抱きしめた。
「あ~! 二人で何してるんですか!? 私も混ぜて下さい!」
二人を見つけたユリスが駆け寄り、ミオを後ろから抱きしめる。
これによってミオは、前と後ろからサンドイッチのように挟まれる形となった。
「偽物の言葉だってわかってるんです。ひっく……けど、すごくショックで……」
「よしよし。頑張ったわね。ミオは偉いわ!」
「ミオちゃんはずっと私を守ってくれていたんですよね。命の恩人ですね。ありがとうございます」
ポロポロと涙を流すミオを、ナナとユリスは優しく包み込んでいた。
「けど私、使えないって言われました……えっく……」
「そんな事ない。私はミオの事を頼りにしてるわよ」
「ミオちゃんが私達のために凄く頑張ってる事、ちゃんとわかってますよ」
抱きしめながら、頭を撫でる手は休めない。
そうやってあやせばあやすほど、ミオの泣き声は大きくなっていった。
「お前なんか拾うんじゃなかったって言われました……私、二人に捨てられちゃう~……」
「そんな事考えた事もないわ。むしろ勝手にいなくなられたら困るもの」
「ミオちゃんは、私達の大切な仲間なんですよ?」
ミオを抱きしめる腕に力が入る。ミオもまた、痛いくらいに体を押し付けていた。
「ふ……ふえええええ~~~~ん」
傷付いた心に優しい言葉が染みわたり、気まずいという想いが上書きされていく。とても温かい感情や、抱きしめる際の二人の体温を感じ、ミオの涙は止まらなくなっていた。
こんな風に大声で泣き叫ぶミオは初めてかもしれない。そんなミオは、いつもの命令に忠実な従者ではなく、親に甘える子供のようであった。
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「何!? このユグラシル大陸に、歪持ちがきていたのか!?」
グリン村から東にある王都。そこに石造りの砦がある。そのてっぺんに腰を落ち着かせた王は、興奮したようにそう言った。
「はい、この目で確認しましたから。とは言え、今はもう船に乗ってこの大陸を去った頃ですが」
その王に報告をしていたのは、なんとゼルであった。
今回の出来事によって歪持ちという存在が潔白なのにも拘わらず、嘘の情報を織り交ぜながら報告をしていた。
「う~む……世界を恐怖に陥れかねない歪持ちめ! なんとか倒す事はできんのか!?」
「残念ながら今のところは。なにせ彼女のレベルは一万前後ありそうですからねぇ」
レベル一万という数字を聞き、その場の護衛を務める冒険者はみな戸惑っていた。
「しかしご安心ください。その歪持ちを倒すいい方法があるんですよ」
そう言うと王は身を乗り出して食いついて来る。
そんな様子に、ゼルはニヤリと不敵な笑みを浮かべるのであった……




