幼女は呪いを解きに行く⑧
「お疲れ様。ミオってば、凄く疲れているわね」
その人物はナナであった。予想通りの相手に、ミオは虚ろな目をしながら笑って見せる。
「少し休憩を貰いましたのでまだまだいけますよ。それはそうと、シンディ様はどうされたのですか?」
ナナが一人であったため、ミオはそう質問してみた。
「途中でゼルに会ったのよ。水を汲んでくるんでしょ? シンディはゼルを手伝いについて行ったわ。私はミオが一人だって聞いたから先に来たのよ」
「そうだったのですか。けど、私なら大丈夫ですよ」
ミオは強がって見せる。
ナナはそんなミオを見下ろしながら、ポンと手を打った。
「そうだ! 今から私がユリスを背負ってあげるわね。ミオは休んでて!」
そう言って、ナナはユリスに手を伸ばす。
その様子を見た瞬間に、ミオの朦朧としていた意識は覚醒する。
――今からあなたは一人でユリスを守るのよ。誰であろうと指一本触れさせちゃダメ。もちろん私からも守るのよ。
ナナとの約束が頭をよぎる。
ドクン! と、心臓が跳ね上がり、ミオは条件反射で自分の体を盾にしてユリスを庇っていた。
「……ミオ?」
伸ばした手を遮られたナナは、驚いた表情を浮かべていた。もちろんそれは、ミオにとっても心苦しい行為である。
「あ、あの……大丈夫です。私、最後まで命令を果たせますから」
ミオは慌ててユリスを背負い、立ち上がる。
まだ足は震えるが、少し休憩したことで力が戻っていた。
「あぁ、そう言えばそんな命令を出してたわね。けどねミオ、私はあなたの事が心配なの。この事件はもう解決した。だからそんなに警戒しなくていいのよ?」
ナナが一歩近づくと、ミオは一歩後ずさる。そんなミオの頭の中はひどく困惑していた。
誰にも触れさせるなという前の命令と、それはもういいという今の命令がミオを惑わせる。
「あ、あの、ナナ様……失礼を承知で確認します。ナナ様は私に言った命令の内容を覚えていますか?」
困惑する頭で必死に考えた末に、ミオは今一度命令の確認をする事を思いついたのだ。
「もちろん覚えているわよ。この大陸を出るための船に乗るまでの間、誰であろうと指一本触れさせるなって命令でしょ?」
正解だ。
正解だからこそ、さらにミオは迷う事となった。
「私はね、ミオにちゃんと休んでほしいの。ミオは凄く疲れてる。あなたが倒れでもしたら、私は凄く悲しいわ」
そう言って、ナナは一歩近づく。
「わ、私は……」
ミオは一歩後ずさる。
ナナの優しい言葉が胸に響く。心配そうな顔が心に染みる。
……しかし、それ以上の胸騒ぎがミオの足を後退さた。誰にも触れさせるなという命令が、未だ全身に行き渡っており、本能的にナナを避ける。
「ミオ、いい加減にして!」
ついにナナの声に怒気が混じり出した。その表情は苛立ちを感じているように見える。
そんなナナの態度に、ミオは胸が締め付けられるような感覚になった。
「あなたは一体何を警戒しているの? もう事件は解決したでしょ? アレスの霊は成仏して、他に誰がユリスを狙うというの?」
ミオはガタガタと震えていた。初めてナナを怖いと感じていた。そしてこれは、人間恐怖症で拒絶反応持ちだった頃とは違うベクトルの恐怖だった。
心から信頼する相手に失望される怖さ。ミオにとって一番味わいたくないと言える恐怖だった。
「そ、それは……でも、私は命令で……」
「だから! その命令を出したのは私で、もう従わなくていいって言ってるの!!」
ナナの怒鳴り声に、ミオは恐怖ですくみあがる。
「もう一度言うわよ。ユリスは私が運ぶから」
「……」
何も言えなかった。言える訳がなかった。ミオは恐怖によって一種のパニック状態に陥り、考えがまとまらない状態となっていた。
しかしナナは、そんなミオの沈黙を否定的な答えだと判断したのか、重いため息を吐いた。
「はぁ~……頭が固すぎる。ミオってこんな使えない奴だったのね……」
それを聞いた瞬間に、ミオは目の前がグニャリと歪むほどの目まいを覚えた。
あまりにもショックな言葉に全身の力が抜け、いまにも卒倒してしまいそうになる。まるで首を絞められているかのような息苦しさを感じ、必死に大きく呼吸をするが、全く楽にはならなかった。
それでもミオは倒れる事なく立っている。それは今、彼女がユリスを背負っているからである。
ここで意識を手放して卒倒すれば、背負っているユリスを地面に投げ出す事になる。それだけは決してあってはならないのだ。
今感じているユリスの体温が、背負っている重みが、それら全てがミオを奮い立たせていた。
「ミオ、今からでも私の言う事を聞けば怒らないであげる。だからユリスを私に返して!」
ナナの冷たい眼差しを浴びるだけで体が凍り付いてしまいそうだった。
さらにショックと悲しみで涙が溢れて零れ落ちる。それでもミオは、勇気を出して首を横に振った。
「それは……出来ません……」
震えた声で、確かにミオはそう言った。
「私の役目は……船に乗るまでの間……ユリス様を守る事です。最後までこの命令に従います」
この状況下でミオは決断していた。それは、ナナにショックな言葉を投げかけられたからである。
ミオはこれによって、自分の信頼は完全に地に落ちたと思っている。だからこそ今更ユリスを差し出したところで、失った信頼は簡単には戻らない。ならばいっそ、最後まで当初の命令を貫き通そうと考えたのだ。
いわば一種の開き直りである。
だが、このミオの決断にナナは再び重いため息を吐いた。
「はぁ~……あっそ。ならもうアンタなんかいらない。こんな奴拾うんじゃなかった」
「っ!?」
ズキンと、ミオの胸が痛みだす。まるで心臓を刃物で突き刺されたような痛みに、まともな呼吸さえ出来なくなる。
それでもミオは歯を食いしばり、ユリスを背負ったまま腰に括り付けた石槍を抜き、その先端をナナに向けた。
「な、なによ……」
「はぁ……はぁ……私は……ユリス様を守るためなら……相手を攻撃してもいいと仰せつかっています……それが例え、ナナ様であってもです!」
そうしてミオは、全身の震えを押し殺すように息を止め、そのままナナに飛びかかった!
当初のナナの命令を信じ、そんな自分の決断を信じ、思い切り石槍を振り下ろす。
ドガッ! と、ミオの一撃は地面を抉り、土が舞い上がった。そして、その一撃を避けるために後方へ跳んだナナは、なんと尻餅をついていた。
「な、何するのよ!? アンタ、私を攻撃するなんて恩知らずにもほどがあるじゃない!!」
ナナが喚く。しかし、ミオは目を見開いて今の光景に驚愕していた。
「ふふ、あはは、そう言う事でしたか……」
ミオが突然笑い出す。
「な、何笑ってんのよ……」
「ナナ様は本当に凄い方なんですよ。何度も死にかけるくらい修行して、その動体視力はあらゆる攻撃を見切ってしまうんです。神速とも言える速さには誰も追いつけないんです」
そうしてミオは、虫けらを見るような目でナナを見つめた。
「数ヶ月修行した程度の私の攻撃で尻餅をつくような人じゃないんですよ。アンタ誰ですか」
ブワリと、ミオから殺気が溢れ出す。
もはや体の震えも、目まいも止まり、再び石槍を振り上げる。
「チッ!!」
舌打ちをしてナナが一目散に逃げ出した。
村を囲う柵を飛び越え森へと向かうが、その走りは一般人並みのスピードだった。
「ナナ様の声で……ナナ様の姿で私をたぶらかそうとしたその罪、死んで償え!! です!!」
もはや怒りで、いつもの丁寧語さえ忘れたミオが大きく跳躍する。そしてその勢いと体重を込め、全身全霊で石槍を振り下ろした。
かろうじて回避したナナは転げまわり、素早く立ち上がる。
ミオの一撃は地面を大きく粉砕していた。最初の一撃とは段違いの威力である。
「逃げられると思うな……とりあえずぶっ殺されて下さい……」
ズンと、ミオが一歩踏み出す。その時だった。
「う~ん……あれ~? ここってどこでしたっけ……?」
なんとミオの背中で眠っていたユリスが目を覚ました。
そんなユリスの声で、頭に血が上っていたミオは一気に冷静になっていく。
「ユリス様!? ああ良かった……そうだユリス様、ナナ様に回復魔法をかけて下さい。全ての魔法を解除してほしいのです!」
「ふえ~?」
気の抜けた声でユリスが前を見る。すると丁度対峙していたナナと目が合った。
「ナナちゃん、怪我でもしたんですか~? ヒールゥ~……」
まだ半分寝ぼけているユリスが、ミオの言う通りナナに回復魔法をかける。
すると、ナナの体はみるみるうちに溶けていく! 服も、髪も、体さえも光の粒子となって消滅し、その眩い光の中心に一つの人影が現れた。
それは……




