幼女は夏日に陽炎を見る➂
「う~……ん……」
シンディがゆっくりと瞳を開く。
彼女の目には見覚えのない天井が映った事だろう。
「あ、気が付いたみたいだね。気分はどうだい?」
声のする方に視線を移すと、ゼルが微笑みかけていた。
ゼルだけではない。この部屋にいるのはゼルとシンディを除けば他に四名。
ナナ。
ユリス。
フィーネ。
そして剣美も近くでくつろいでいた。
ちなみに観光案内役の剣美だが、ナナと陽炎が気になるようで、観光客を自由行動にしてちゃっかり自分は話しに混ざろうという魂胆である。
そして観光客がナナの拠点の見学をしている間、トトラとリリアラが随時気配を読みながら周囲を警戒していたりする。
「ここは? 私、生きてるの?」
頭を押さえながらシンディがそう聞いた。
そして、その問いに答えたのはナナだった。
「ここは私の部屋よ。あなたはユリスの回復魔法で助かったのよ」
「……なんで助けたの? 体が動くのなら、私は何度でも歪持ちと戦う!」
今にも襲い掛かろうとするシンディをゼルがなだめる。
そんな様子にナナはため息を吐いた。
「どうしても戦うっていうなら相手になるけど、その前に私を襲う理由を教えてよ。私が勝ったら教えてくれるって約束でしょ?」
「む……そう言えばそうだった……約束なら仕方ない」
律儀な子だなぁと感じながらも、その場の全員がシンディの言葉に耳を傾けた。
「私が戦う理由……歪持ちを殺さないと、村が滅びるから……」
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす。
「……」
「……で?」
フィーネが続きを促す。
「え? 終わりだけど……?」
「終わりかよ!! 全然わかんねぇ!!」
フィーネが真っ先にそうツッコミを入れていた。
「あはは。相変わらずシンディは言葉足らずだなぁ。いいよ。ここは僕が説明するから」
そう言って、ゼルが強引にシンディをベッドに戻した。
「そうだなぁ。まず初めに、僕たちが住んでいる大陸から説明しておこうかな。僕たちは『ユグラシル大陸』って所から来たんだけど、みんなはこの大陸で起きた有名な事件を知っているかな?」
「ユグラシル大陸……」
その言葉を繰り返したのは剣美であった。
「もちろん知っていますわ。ユグラシル大陸といえば、数年前に初めて歪持ちが現れた所ですもの」
「そう! ナナっちは、この歪持ちの事件をどこまで知っているの?」
「ナナっち!? いや、ほとんど知らないわ。なんか世界を恐怖に陥れたとか聞いた気がするけど……」
ゼルに変なあだ名を付けられた方が気になるナナであった。
「あはは。そこまで大げさな事件ではないけどね。その歪持ちは、ユグラシル大陸のとある村で召喚されたんだ。見た目はとてもきれいな女性だったらしいよ。それで召喚者も、歪持ちの事をかなり気に入ってすごく可愛がっていたんだって。けれどある日、その事件は突然起きた。一瞬の隙をついてか、その歪持ちが召喚者を殺して逃亡を図ったんだ。村人が駆けつけた時には召喚者はもう虫の息でね、最後には恨みつらみを口にしながら死んでいったそうだよ」
ゼルが少し間を置くと、その場が静まり返る。
そんな中でナナは腕を組んだまま表情一つ変えずに考え込んでいた。
「ま、そんな事件があったせいでね、このユグラシル大陸では一つの暗黙のルールが生まれたのさ。それが、『歪持ちの話をしてはいけない』って言うルールなんだ。これを破ると無念の死を遂げた召喚者の呪いが降りかかるって言われてる。まぁ、僕はそういう話は全く信じてないんだけどね~」
「前置きはここまで。本題はここから……ゼルはこんな性格だから、今世界中で話題になっているあなたの事が気になるみたい」
ケラケラと笑い出したゼルの代わりに、シンディがナナを見つめて話し始めた。
「だから話してはダメって言われている歪持ちの話を、村の中でした……」
「あはは、それはごめんってば。まさか本当にあんなことになるなんて思わなかったんだ」
シンディにジト目で見られても、ゼルは明るく笑っていた。
「何が起きたの?」
そうナナが問いただす。
「ゼルが歪持ちの話をした次の日から、村のみんなの体調が悪くなって寝込んじゃった……」
「そそ、それって、本当に呪いにかかってしまったって事ですか?」
ユリスはそういう話が苦手なのか、ガタガタと震え出す。
「あはは~、そうとは限らないよ。僕はただの流行り病だと思ってる。つまりこれが僕たちの戦う理由さ。仮に原因が呪いだとしたら、会話に出してしまった歪持ちのナナっちを退治する事で村人の呪いを解く。ただの流行り病だとしても、薬を買うのに大量のお金が必要になるから、ナナっちを討伐して懸けられている懸賞金を貰う。そういう算段だったんだ」
しかし、この話を聞いて一番初めに異議を唱えたのは剣美であった。
「ちょっと待ってくださる? ナナさんの懸賞金はすでに撤廃されているんですのよ?」
「あれ? それってどこの国の話なんだい?」
ゼルが小首を傾げた。
「アイントロフ大陸ですわ。以前ナナさんがこの大陸の突然変異の魔物を退治したことで、歪持ちはこの世界にとって脅威ではないと認めたんですのよ!」
「あ~……僕たちが懸賞金を貰おうと考えていたのはユグラシル大陸の王都だよ。今、世界は歪持ちの存在に対して意見が大きく割れているんだ。アイントロフ大陸のように懸賞金を取り消す所もあれば、未だに懸けられたままの国もいくつか残っている」
そんな情報に剣美は唖然としていた。
「そんな……あ、あの、ナナさん、ごめんなさい。わたくしの情報不足でしたわ……全ての懸賞金が撤廃されたと思って、ナナさんをぬか喜びさせてしまったようですわね……」
ひどく剣美は落ち込んでいた。それは当然だろう。懸賞金は全て撤廃されたと思い込み、そうナナにドヤ顔で報告をしたのだから。
そしてそれを本当に申し訳ないと思っているようで、その表情は青ざめ、ガックリと肩を落としていた。
「気にしないで剣美。あなたが私のために色々と考えてくれてた事、本当にありがたいと思っているわ。現にアイントロフ大陸が懸賞金を取り消したのは事実なんでしょ? 私から言わせれば、感謝はすれど責める理由なんてどこにもないのよ? だからこれからも、ずっと私の友達でいてくれたら嬉しいな。なんてね……えへへ」
ナナが頬を赤くして、照れ臭そうにそう言った。
すると剣美は息を荒くして打ち震える。
「はあああああん! ナナさんのテレ顔、超ラブリーですわぁ!!」
自制心の効かなくなった剣美がナナに抱き付こうと飛びついてきた。
それをナナは、フッと高速移動で回避する。すると剣美は、ナナの隣に佇んでいたユリスを抱きしめていた。
「ぎにゃーーー!? 剣美さん、私ナナちゃんじゃないです!! ユリスです!!」
騒がしくなった二人を無視して、ナナはシンディとゼルに話を進めるように切り出した。
「あなた達の事情はわかったわ。つまりそれって、私とユリスがその村に行けば解決するって話でしょ?」
そんなナナの言葉に、常にニコニコ顔のゼルも驚いていた。
「え……!? どういう意味かな?」
「あなたも見たでしょ。ユリスの回復魔法はかなり優秀よ。それが例え病気だとしても治せるわ。ね、そうでしょユリス?」
「あ、はい! 私の回復魔法は病原菌を殺す事は出来ませんが、体の失われた組織や抵抗力を元に戻し、体の機能に活力を与えます。怪我と違って少しだけ長い経過観察が必要ですが、十分力になれると思います!」
剣美に抱き付かれたまま、もがきながらユリスが言った。
「それは助かる! けどもし、流行り病ではなく呪いの方だとしたら……」
と、シンディは不安が拭いきれない様子だ。
「その場合は私がなんとかするわ」
そうナナが言うと、シンディだけではなく、その場の全員が目を丸くしていた。
ユリスでさえ意外そうな表情である。
「ナナちゃんは呪いの解き方が分かるんですか!?」
「あら? 私言わなかったっけ? 魔界で修行してた時に、電撃や毒に対する耐性を無理やり付けられたんだけど、その一環として呪詛も克服したのよ」
「あ~……そう言えば一番初めにギルドで暴れた時、そんな事を言っていたような……」
ユリスが昔を思い出すようにしてそう言った。
「知ってる? 呪詛って、呪いを運ぶ精霊がいるの。その精霊を殴ってどうにかすれば呪いにかからないのよ♪」
「いや、そんなダイナミックな方法初めて聞いたわ!」
フィーネがすかさずツッコミを入れる。
「ねぇ、もしもその召喚者の呪いだった場合、いくつかの解決方法を用意しておきたいから、もっと詳しい話をききたいんだけど」
「分かりましたわ。わたくしが知っている事でしたらなんでも教えて差し上げますわ」
ユリスに引き剥がされた剣美が、床に這いつくばりながらそう言った。
「そもそもさ、歪持ちが召喚者を殺して逃亡したって話だけど、二人は仲良しだったんでしょ? 実際に襲われる現場を見た人っていたの?」
「いや、現場を見た人はいませんわ。ただ、襲われて瀕死になった召喚者が、『歪持ちにやられた』とか、『どうして裏切ったんだ』とか言っていたので間違いはないかと」
再びナナが腕を組んで唸り出す。
「う~ん……剣美ってさ、その歪持ちを討伐するために応援で呼ばれたんでしょ? それって歪持ちが相当強くて犠牲者とか沢山出たって事?」
「いえ、わたくしは、『逃げるのがうまい歪持ちを捕まえるのに協力してくれ』と要請されたのですけれど、わたくしの知る限りではこの捕獲に携わっていた冒険者で怪我をしたものはいないはずですわ。実際にわたくしも全力で捕まえようとしたのですけれど、相手は逃げるばかりで取り逃がしてしまいましてよ」
「……ん? ちょっと待って。それって襲われた召喚者を除けば、歪持ちが出した被害はほぼゼロって事なんじゃないの? 実際に対峙した時、剣美は話とかしてみなかった?」
「それが、その歪持ちは言葉をしゃべる事が出来ませんでしたわ」
それを聞いたナナは混乱する。なぜならば召喚術とは、強制的に契約する際にこの世界の言葉を理解するための術が施されているからだ。
これによりナナ自身も、魔界から召喚されたにも関わらずこの世界の言葉で会話が成立している。
「ナナさんが戸惑うのも無理ありませんわ。恐らく、その歪持ちの暮らす世界では『言語』を使って会話するという文化が無かったんだと思いますわ。だから召喚獣の契約でこちらが話す内容は理解できても、自分の意思を相手に伝える術を持たなかった。それにより、当時のわたくし達は一方的に歪持ちを捕まえようとしていた。……ナナさんは、この歪持ちが犯人ではないと考えているわけですわね?」
「まぁ、もちろんこれだけじゃ真相はわからないわ。けど、私はこの話を聞いた時点では歪持ちを犯人にするのはまだ早い気がするし、同じ歪持ちとしてその子を信じてあげたくなっちゃうわね……」
ナナが悲しそうな表情のまま俯くと、その場は少しの間だけ沈黙が続いた。
「ま、大体の経緯はわかったわ。そうなると、あの子の力が必要ね!」
顔を上げたナナはそう言って、部屋の窓を開放した。
そして、自分の両手を重ねて丸みを作り、親指の隙間に息を吹き込んだ。
——プオオオオオオ~ン
野太い音が外の広い荒野に広がって行く。両手を重ねて作る鳩笛だ。
「お? なになに? 今一体何をしたんだい?」
ゼルが面白がってナナに詰め寄っていく。
すると外から砂埃が巻き上がるのが見えた。
何者かがここを目指し、物凄い勢いで向かって来るのだ。それはあっという間に接近して、窓から中へ飛び込んで来た!
「お呼びになりましたか? ナナ様!」
ナナの足元に跪き、手に持つ石槍を大事そうに抱えるその人物は、以前ナナとユリスに助けられた時から二人に忠誠を誓う、赤髪のミオであった。




