幼女は甘味にほだされる
「お久しぶりですわ、ナナさん」
そう言って姿を見せたのは、以前ナナを討伐しに来た剣美であった。
バルバラン大陸の北西に広がる広大な森。その森と荒野のちょうど境目にナナの立てた小屋がいくつも並んでいる。その中の一番初めに建てた愛着の深い小屋の一階で、仲間達の修行を見守っていたナナの元へ剣美がやってきたのだった。
時刻は丁度三時になったところである。
「お~剣美じゃない。いらっしゃい」
「相変わらずここの子供達は修行していますのね」
剣美が呆れたような、感心するような、そんな曖昧な表情を浮かべながら、肩に担いであった荷物を床に置いた。
「なにそれ?」
ナナが興味深そうに、剣美が置いた荷物を覗き込む。
「以前、ナナさんを討伐しようと武器を振るったお詫びですわ。子供達全員分を用意したので、みんなで食べて下さいな」
そう言って差し出したのは、割と立派な箱であった。
それを受け取ったナナは遠慮なく開けてみる。すると、中には3×3に茶色い物体が等間隔で並んでいた。
「これ食べ物?」
「知りませんの? チョコレートですわ。こんな所に住んでいるから、甘いお菓子なんかは食べる機会があまり無いと思って選んだのですわよ」
ふーん、と、指でつまんだ球体型のチョコレートを眺めてから、パクリと口へ放ってみる。すると口の中いっぱいに甘みが広がり、舌の上で転がすチョコレートは蕩けて形を変えていく。
はっきり言って、チョコレートを食べたことが無かったナナにとっては革命的な味であった。
あまりの衝撃的な出会いに、緩んだ口元から溶けたチョコレートが零れないように両手で口を塞ぐほどである。
この甘美な誘惑に魅せられたナナは、次々とチョコレートを口の中へと運んでいく。するとあっという間に箱の中身は空っぽになってしまった。
「ふぃ~、美味しかった~」
「ふふ、喜んでもらってなによりですわ」
しかし一瞬で食べつくしてしまったナナは少し物足りなそうな顔をしていた。
「もうなくなっちゃった……」
「もっと欲しいんですの? 実はこのチョコレート、ナナさんと一緒に食べようとわたくしの分も持ってきてありますの。もしよければわたくしの分をナナさんに差し上げますわ」
キュピーン!!
ナナの瞳がキラキラと輝く。期待に満ちたその眼差しを真っすぐに剣美へと向けていた。
「ただし条件がありますわ。このチョコレートを食べる時、ナナさんは自分で食べてはダメですわ。わたくしが食べさせて差し上げます」
「ええ~……なんで?」
「それが余興というものですわ」
「うぅ~……まぁ仕方ないわね」
チョコレートのために渋々要求を呑むナナに、剣美が自分の膝をポンポンと叩いた。
「では、ナナさんはわたくしの膝の上に座って下さいな」
「なんで!?」
理解が追いつかず、マッハで聞き返す。
「わたくしが食べさせてあげるのだから、膝の上に座った方が与えやすいでしょ?」
「も~、わかったわよぅ……」
仕方なく剣美の膝の上に乗るナナを、抱きしめるように抱える剣美。そして、チョコレートをナナの目の前まで持っていく。
「さぁ、これですの? これが食べたいんですの? ならおねだりしてごらんなさい?」
「うぅ……食べたいよぉ……剣美、意地悪しないで早く私に食べさせてぇ」
切なそうな表情で、切なそうな声を上げるナナに剣美はゾクゾクと何か込み上げてくるものを感じていた。しかし、これ以上勿体ぶらせてナナに嫌われるのは本意ではない。ここは素直にナナの口にチョコレートを運んであげる事にした。
「んん~! やっぱり美味し~!!」
切なそうな表情だったナナが、チョコレートを口に入れた瞬間に幸せそうな表情へと変わる。そんなナナの横顔を剣美は堪能していた。
(ああ~、本当にナナさんは可愛いですわ! もっともっと仲良くなりたい……)
ナナを餌付けするための右手を一旦止めて、剣美は静かな口調で心に引っ掛かっていた想いを打ち明けた。
「ナナさん、改めて謝らせて下さいな」
「へ? 何に対して?」
「わたくしは国の討伐任務だからという理由で、確認もせずに無害なナナさんにこの剣を向けてしまいましたわ。もっとちゃんと話をしてから決めるべきだった……本当にごめんなさい」
沈んだ声。伏し目がちな目線。それらで剣美が心から反省している事に気付かないナナではなかった。
「別にいいわよ。もうこうして和解しているんだから。それに私、剣美のそういう律儀なところとか、正義感の強いところとか結構好きよ」
好きよ……好きよ……好きよ……好きよ……
剣美の脳内でナナの音声が何度も繰り返し再生される。
剣美自身、体全体がのぼせたようにドンドンと熱くなっていくのを感じていた。
「じ、じゃあわたくし達、もっと仲良しになれるかしら?」
「うん。なんなら私と友達になりましょ」
友達になりましょ……なりましょう……ましょう……しょう……
剣美の脳内でナナの声にエコーがかかる。
それほどに衝撃的だった。
「うぅ……ナナさんと友達になれるなんて……わたくし幸せですわ! グスッ……」
「泣くほど!?」
あまりにも嬉しすぎて感涙する剣美であった。
そこへ……
「ただいま戻りました……って、何やってるんですか!?」
買い物に出かけていたユリスが戻ってきて、ベッタリと密着している二人に驚愕していた。
「あ、ユリスお帰りなさい。剣美がね、みんなにお菓子をお土産に持ってきてくれたのよ」
「そう。わたくしはただ、ナナさんにお菓子を食べさせていただけですわ。さぁナナさん、あ~んして」
剣美は見せつけるようにして、再びナナにチョコレートを食べさせる。
そんな二人を見て、ユリスはワナワナと羨ましそうに震えていた。
「どうですのナナさん、美味しいかしら?」
「うん。おいし~♪」
「ふふ、それはよかったですわ。あ、ユリスさんの分もあるから勝手に持っていって構いません事よ」
勝ち誇ったようにイチャつく姿を見せつける剣美に、ユリスは自分のお菓子を一気に開封した。
「ナナちゃん、私の分のお菓子もあげますよ。こっちで一緒に食べませんか?」
「え!? ほんと!? やった~♪」
残り少なくなった剣美のチョコレートを切り捨て、ナナはユリスに駆け寄った。そしてそのままピョンとユリスの膝に腰を下ろす。
「そうそう、そう言えばナナちゃんはこうやって頭を撫でられるのが好きなんですよね~」
チョコレートを貪り食うナナの頭を、ユリスは優しく撫で始めた。
ナデナデ。
「ちょ……ユリス恥ずかしいんだけど……」
ナデナデナデナデ。
「ふぁ~……でもユリスのナデナデ気持ちいい~……」
次第にトロンとした表情になり、力の抜けたその身をユリスに委ねる。
フフンとユリスが笑う。
見せつけるならこれくらい出来るようになってみろと言わんばかりの笑みだった。
「くっ!? ナナさん、わたくし耳掃除が得意ですのよ。気持ちよくしてさしあげますわ!」
「ふえ……? ん~……それもいいかも」
フラフラと剣美に近寄っていくナナだが、ガシッと右腕をユリスに掴まれた。
「ナナちゃんの耳掃除は私がしてあげます!」
「え? え?」
だが負けずと剣美も左腕を掴み、ユリスから引き離そうとする。
それによってナナは、二人から引っ張られて左右へユラユラと揺れていた。
「何これ、なんか前にもこんな状況があったんですけど……」
二人の険悪な空気をようやく読んでか、ナナは恐る恐る左右を見比べながら声をかけた。
「ねぇ、私思ったんだけど、みんなでお菓子を食べない?」
それを合図に、ピタリと二人の引っ張り合いが止まった。
「やっぱり一人で食べるよりも、みんなで一緒に食べた方がおいしいと思うの。だからみんなで一緒に食べよ? そうすればみんなで仲良くなれるはずだわ。二人は私の友達だから、その二人が仲良くなってくれれば凄く嬉しい!」
パァーっと眩い光が放たれたかのような錯覚に陥り、二人はたまらず手を放した。まるでナナから後光がさしているかのようであった。
「神!? ナナちゃんは神ですか!?」
「わたくし達が間違っていましたわ!!」
二人は並んでその場に跪く。
『友達』という関係のはずなのだが、何故か二人からは崇拝される事となり、友達という関係がイマイチよく分からなくなってしまうナナであった……
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「それで剣美、ここに来たのはお菓子を持ってくるためだけじゃないんでしょ?」
ようやく落ち着いて三人でチョコレートを頬張る最中にナナがそう聞いた。
「心外ですわ。何か用事がないとここへ遊びに来てはいけませんの?」
「そんな事ないけど……でも剣美は何か私に渡したいものがあるはずだわ。ここに来てからチラチラと荷物の方に視線を移しているもの。その荷物の中にお菓子だけじゃなく、ここへ来た本当の理由が入っていて私に渡すタイミングを計っていたんじゃない?」
そう言われて剣美はお手上げのポーズを取る。
そして観念したように荷物をゴソゴソと漁り始めた。
「流石ナナさん。洞察力が並外れていますわ。そう、わたくしはこれを渡しにきたのですわ」
そして一封の封筒をナナに差し出した。
「何これ。『魔物の討伐によるクラン参加協力の要請書?』」
首を傾げるナナに対して、剣美は意味深な表情でコクリと頷くのであった。




