幼女は敵を迎え撃つ④
「フィーネ、出来る限り私から目を離さないで。時が止まれば戦闘が始まる。けど、あなたの目から見たら私が瞬時に消えてしまったように見えるはずだわ。そうしたら全力で私を探すのよ?」
「了解!」
こうしてナナとフィーネは、ガルドフのそばで護衛を開始した。とは言ったものの、実際にはガルドフは自室で仕事をするため、ナナ達も同じ部屋で待機しているだけとなった。
傍から見れば初老の男性の近くを幼女が二人、チョロチョロと遊んでいるようにしか見えない。しかしそれは逆に言えば、領主を守る護衛として見られず、犯人も動きやすくなるという見かたも出来た。
兎にも角にも、ナナがガルドフの護衛を始めて三十分が過ぎ、一時間が過ぎ、太陽が真上に昇り、お昼の時間になっても特に何も起こらなかった。
ガルドフのメイドが作ってくれたサンドイッチを頬張り、冷たいお茶を飲みながらのんびりと待つ。決して油断はできないが、だからといってやる事が無いのも事実。二人はガルドフが狙撃されないように周囲の気配を探る以外は、お茶を飲む事しか出来なかった。
そして正午を過ぎて、もう今日は襲ってこないかもしれないと思い始めていた頃だった。スゥー……と、部屋の景色が色褪せて、まるで白黒写真の中へ入り込んだかのような世界へ変貌した。
――再び時が止められて、無音の世界が広がった。
ピコピコ!
ナナの頭から耳が生える。尻尾が伸び、体のあちこちに文様が浮かび、髪の色が変化した。
止められた時間の中でも動く事ができる、『転身』が自動的に発動したのだ。
(ついに来た! ここからが本番ね!)
ナナは立ち上がり、デスクで仕事をしたまま固まっているガルドフの隣に立った。そのまましばらくの間、様子を見る。あえて自分も時を止められているように見せかけるために、その場から動かずに視線だけを動かしていた。
すると、この部屋の出入り口であるドアがスゥーと動いた。
風で自然に開いたと思えるほど、ゆっくりとした動きで、ドアが徐々に開いていく。そんな様子をナナは息を呑んで見つめていた。
完全に開いたドアから人影が現れた。時を止めた世界であるにもかかわらず、慎重に部屋の中の様子を探っていた。
その人影は四十代くらいの男性だ。この白黒世界に合わないサングラスをかけ、皮のジャケットを着た長身で短髪の男性は部屋を見渡しながらゆっくりとガルドフに近付いていった。しかしガルドフの隣にいる異様な姿の幼女を見つめ、その足を止めた。
獣の耳と尻尾を生やした小さな子供。人間とは思えないその姿に警戒してか、しばしその場から動かずにナナを見つめる。
そして……ナナもその男を見る。サングラスの奥に隠れる目と目が合ったその瞬間に、
――ダッ!!
男は踵を返してその部屋から逃げ出した!
ナナもすぐにその男の後を追う!
転身で姿が変わったナナはたとえ時が止められていたとしても神速を出せる。そんなナナはすぐに男の真後ろまで距離を縮めたが、狭い通路では思い切り暴れる事は困難だと考え、そのまま男が外へ飛び出すまで後ろに張り付く事にした。
そして男の様子を後ろから観察する。どう見ても男の動きは尋常ではなかった。どこか人間離れした動きで、それを例えるなら、まるでビデオの早送りで動いているかのような挙動であった。
男は一気に通路を駆け抜け、ホールを突っ切り、外へ飛び出した。だが外へ出たかったのはナナも同じだ。広い場所に出たことで、ナナは全力で地を蹴り、その鋭い爪を振りかざした。
――ズバババババッ!!
つむじ風のように男の周囲を旋回しながら全身を切り刻む。男はガクリと片膝を付き、恨めしそうにナナを睨みつけた。
「貴様、何者だ……?」
男がそう言った。正確に言えば、男は唇だけを動かしていた。時を止めた世界では音は響かないからだ。それをナナが、『読唇術』で読み取ったのだ。
「私は歪持ちと呼ばれている召喚獣よ? 聞いた事ない?」
ナナが答えると、男はひどく驚いた表情を見せた。
歪持ちという存在に出くわした事か、子供が読唇術を使えるという事か。もしくはその両方に驚いたのか……
「なぜ俺の邪魔をする」
「別に? あなたが時間を止めて領主さんを殺そうとしているみたいだったから、助けようと思っただけよ? 私、自分にしかできない事がある時、それをやるのは義務だと思っているから。ところで、あなたが三鬼のうちの一人なの?」
男と距離を一定にして、ナナは出来る限り情報を得ようと考えた。
「三鬼か。まぁそう呼ぶ奴もいるな。確かに俺は武術大会で四獣を倒しておきながら交代はしなかった」
「じゃああなたのレベルはいくつなの? これほどの広範囲での時間が止められるのなら、かなり高いんじゃない?」
「……細かい数字は忘れたが、大体1300だ」
剣美よりも高い事に素直に驚く。やはり、まだまだこの世界には隠れた実力者がいるようであった。
「なら最後の質問ね。このまま大人しく捕まる気は無い? もう体もボロボロでしょ?」
「……ふっ。それだけはごめんだな」
軽く笑い飛ばして男は立ち上がる。そしてそのままガッツポーズを取るような恰好で力みだした。
「オペレーションタイム! 10倍速!!」
男の体が小刻みに震えたかと思うと、再びナナに背を向けて逃走を始めた。しかし、そのスピードは先程の比ではない。あっと言う間に遠ざかっていく。
それを見てナナは心が一気に疼いた。ライカンスロープとしての本能か、はたまた獣としての本能か、逃げる相手を追いかけて捕まえてやりたいという欲求が沸き上がっていた。
ナナは瞬時に飛び出そうとする。しかしその時、ゾクリと嫌な予感が体中を駆け巡った。
頭では頻りに警鐘が鳴り響く。彼を追いかけるのは危険だと、獣としての第六感が告げていた。
追いかけたいという本能と、危険だと訴える第六感に板挟みにされ、ナナは一旦冷静になって考える事にした。疼く心を押さえつけ、今自分が感じた嫌な予感の正体を探る。そうしてナナは、一つの仮定に辿り着いた。
――もしもこの時間を止めた世界で、動ける人間がもう一人いたとしたら……?
なぜ読唇術で会話をしたのか? 先に話しかけてきたのは敵である彼だった。
圧倒的なスピードを見せつけてなお、なぜ逃げようと考えるのか?
それら全てが陽動のためだったとしたら説明がつく。自分にナナを引き付けて、もう一人がガルドフを襲えば最低でも暗殺としての仕事はこなせる。
そもそも、ユリスと一緒に街を歩いていた一回目に時間を止めた時から、ナナは違和感を感じていた。なぜナナが領主の館を調べている最中に時間を戻したのか? ナナには三鬼を見つける事ができなかったにも関わらず、三鬼はナナの存在に気が付いて時を戻したのだ。
仮に三鬼が二人いたとしたらどうだろう? 一人がガルドフを殺しに向かい、もう一人が念のために見張りをする。その見張りがナナの存在に気が付いて、もう一人に何かしらの合図を送ったとしたらスムーズに作戦を中断して逃げる事も可能ではないだろうか?
そんな仮説に行き着いたナナは、急いでガルドフの元へ走り出した!
神速を使い、一瞬でホールと通路を駆け抜け、ガルドフの自室へ飛び込んだ!
そしてその目で確かに見た。仕事をしている最中に時を止められ、動かないガルドフに迫るもう一人の男性を。彼は懐からナイフを取り出し、今まさにガルドフの心臓目がけてナイフを突き刺そうとしていた。
ギュン!!
再び神速で二人の間に入り、男が突き出すナイフの先端をナナは受け止めた。親指に押し付けるように、人差し指と中指でナイフを摘まみ、心臓からギリギリの位置でナイフの動きを止める事に成功した。
「ふぃ~……危なかった~……」
「ちっ!!」
男はナナに摘ままれたナイフを手放して、距離を取るために後退する。
「しくじったのか!? ギルフレッド」
窓からもう一人の男性が部屋へと飛び込んで来て、読唇術でそう言った。
「ごめんアルフレッド兄さん、あと一歩ってところで……」
どうやら二人は兄弟のようであった。顔は似ているが、ナナを引き付けようとしていた兄のアルフレッドは老け込んでいて、四十代くらいに見える。それに対して弟のギルフレッドは、まだ二十代のような若々しさがあった。
「くそっ! 仕方ない……ギルフレッド、時間を巻き戻せ! このガキ相当速いから逃げるのは不可能だぞ」
「わかったよ、アルフレッド兄さん!」
ギルフレッドがガッツポーズを取るような恰好で体に力を入れる。
「オペレーションタイム、逆行!!」
その瞬間、時間が巻き戻り始めた。
窓から入ってきた兄は外へ戻り、弟もまた窓から出て行く。次に兄が最初に訪れたように出入口のドアから顔を覗かせてはすぐに出て行く。
まるでビデオの巻き戻しをしているかの如く、あっという間に時が止まる直前まで時間は戻っていた。
――ドスン!!
そんな最中、ナナがギルフレッドのみぞおちに拳を叩きこんだ!
場所は領主の館の玄関前。アルフレッドとギルフレッドが暗殺任務を開始しようとしているところであった。
「がはっ!? な、なんで……?」
重い一撃を受け、ギルフレッドが崩れ落ちた。
それと同時に時間の逆行も、時間を止める能力も消えていく。世界に色が戻り始め、辺りからは騒めく街の音が聞こえ始めていた。
「甘いわね。私には時間止めも、時間の逆行も効かない。この体は時間の流れから切り離された存在であり、時間という概念を超越しているのよ」
そう言って膝を付くギルフレッドの頭を掴み、思い切り地面へ叩きつけた!
ミシィッ……
石でできた道にヒビが入り、ギルフレッドはそのまま痙攣したまま意識を無くしていた。
「ギルフレッド!? お、おのれぇ……よくもギルフレッドを!」
「もう諦めなさい。私には逆行が効かない。つまりあなたを最初に切り裂いた時の傷も元には戻らない。もう戦えないでしょ?」
「黙れ!!」
ナナに引き裂かれた傷を全身に残しながら、アルフレッドはガッツポーズを取るような構えを取る。
「こうなったら最終手段だ! オペレーションタイム、超速!!」
フッ! と、アルフレッドの姿が消えた。そして一瞬にしてナナの背後に現れる。まるで瞬間移動をしたかのような速さであった。
そしてそのまま、ナナの背中を刺そうとナイフを振り下ろす!
だがそれを、ナナは見向きもせずに受け止める。いとも簡単に指で摘まんでいた。
「なるほどね。弟は時間を戻す能力。兄は時間を進める能力だった訳ね」
「くっ!?」
再びナナの近くから飛び退いだアルフレッドが、凄まじい速さで動き回る。
この時の彼は時間を進める能力を使い、自分の体に流れる時間を操作していた。彼に流れる時間は、一年という時間を僅か一秒で過ぎるほどの早さで流れている。
つまり彼にとって一年間走り続けて到達できる距離を、一秒で走り抜けるほどまで時間の流れを早めているのだ。
弟に比べて兄が老け込んでいるのが、この能力の影響だと言える。今、彼にとっては一秒で一歳歳を取っているからだ。
それでも彼は止まらない。ナナの周りを駆け回り、制御できないスピードでぶつかった壁を崩し、木を揺らしながら、それでも動き続けている。フェイントを踏まえながら、ここぞというタイミングでナナの死角を突いて襲い掛かった!
パシッ!
それでもアルフレッドの攻撃はナナに届かない。その腕をしっかりと掴まれていた。
「時間という基準で動いている限り、私に追いつく事はできないわよ」
そう言ってナナは、アルフレッドの顔面を殴りつけた!
「あなた達は決して弱くない。けどね、私と戦うにはあまりにも相性が悪すぎたのよ」
そしてナナは地を駆ける。殴りつけて飛ばされるアルフレッドに追いつくと、その鋭い爪で再度、体中を引き裂いた!
空中に鮮血が舞い、アルフレッドは自分の血液と同時に地面に落ちる。
致命傷はない。出血の量も多くはない。だが、ナナの攻撃で身も心もズタズタにされたアルフレッドは、地面に倒れて動かなくなっていた。
「ふぅ。護衛任務完了!」
やっと一段落ついた事に、心が軽くなっていく。すると。
「おーいナナ~!」
玄関の扉を勢いよく開け放ち、フィーネが飛び出して来た。
「いた~!! 急に消えたから、まさか時が止まったのかと思ったんだ」
「丁度終わったわよ。フィーネ、みんなを呼んできて。それと何か縛る物もほしいわね」
「わ、わかった~!!」
フィーネが慌ただしく館の中へと戻っていく。ナナは地面に転がる三鬼の二人を監視していた。その時だった……
ドクンッ!!
ナナの胸が弾けるように高鳴った。息が苦しくなり、体中が軋みだして、頭が揺れるような感覚になる。
立つ事も難しくなった体がガクリと崩れ、地面に両膝を着いた。
「ナナ~、ビニールテープ持って来たぞ……ってどうしたんだよ!?」
苦しそうに胸を押さえるナナを見て、フィーネが血相を変えていた。
「多分、転身の時間切れみたいね……ちょっと使いすぎたかな……?」
そう言って、ナナは転身を解除する。髪の色が元の金髪に戻り、肌の文様も消えていく。それでもナナの容態は良くならない。むしろ痛みが増していった。
「だ、大丈夫かよ……?」
「フィーネ、私の事はいいから……三鬼を縛って。時間を操作されても逃げられないくらいにガッチリ縛るのよ?」
心配そうに駆け寄るフィーネに指示を出す。そしてナナはグラリと体を揺らした。
「後の事は全部フィーネに任せるから……ごめん、私ちょっと……休む……ね……」
そう言い残して、ナナはその場に倒れ込むのだった。




