幼女は奴隷を解放する➄
――ズガッ! バキッ! ドゴッ!
拳と拳がぶつかり合い、激しい動きに汗が飛び散る。
C地区の奴隷売買の店の前にて、フィーネが一人の冒険者と激しい戦いを繰り広げていた。
(こいつ強ぇ……確かこの街で一番強ぇ奴がレベル200以上って言ってたな)
一旦距離を開け、冒険者の男性と睨み合いながらフィーネは肩で息をする。疲労もかなり蓄積していた。
冒険者の男性は角刈りで目つきが鋭い。ガッチリとした体型で筋肉隆々としていた。
「へへっ。おっさん強ぇな。レベルいくつ?」
「……250だ。お前もその歳でよくここまで鍛え上げたものだ」
言葉を交わす。それはお互いに敬意を払っているからかもしれない。
現在フィーネのレベルは推定で230だと言われている。この大陸で一番強い魔物、オメガザウルスとの戦闘を元にはじき出した数字であった。
……故に、相手は格上。
(トトラを呼ぶか……? いや、まだ私は戦える!!)
フィーネに限らず、この作戦に参加している者は小さな木笛を持たされている。これを吹けば、トトラが援護に駆け付けてくれる手はずであった。
しかし、フィーネは未だそれを使わない。まるで自分の実力を試すかのように、一人で戦い続けていた。すでにフィーネと角刈りの男性の周りには11人の冒険者が戦闘不能状態で倒れている。この人数をフィーネは一人で相手にしてきたのだ。
「もうよせ。スタミナも限界に近いだろう。これ以上は無意味な戦いだ。お前に勝ち目はない」
角刈りの冒険者がそう言った。
そのセリフにフィーネはピクリと反応する。
「勝ち目がない? そんなこと誰が決めた!? それにこの戦いは無意味じゃねぇ!! 私にとっては重要なんだ!!」
心を乱されたフィーネが角刈りの冒険者に飛びかかった。軽く跳躍して、冒険者の顔面目掛けて鋭い蹴りを放つ。
バンッ!!
勢いのある攻撃であったが、単純な正面からの攻撃はしっかりとガードされていた。さらにはその脚を掴まれて、フィーネはそのままグルグルと振り回されて壁へ放り投げられる。
ドゴオォンン!!
フィーネは背中から壁に激突してコンクリートの地面に倒れ込んでしまった。
「がはっげほっ……くぅ……」
全身の骨がバラバラになりそうな激痛を感じて顔を歪める。それでもフィーネはフラフラとよろめきながらも立ち上がった。
「もうよせ。これ以上は苦しむだけだ。大人しく捕まれ」
目つきは鋭いが、それが冒険者の慈悲だったのかもしれない。しかしフィーネはそれでも首を振っていた。
「イヤだね。私はまだ……戦える!!」
フィーネの意思はまだ折れていない。苦しそうな表情ではあるものの、未だ集中力は途切れていなかった。
そんなフィーネにため息を吐き、冒険者は言い聞かせるように語り出した。
「お前は本当に強い。その才能が羨ましいくらいだ。だがな、今はまだ俺には勝てない。なぜならば、俺とお前とでは実績が違い過ぎるからだ」
「……実績?」
男性から目を離さずに、フィーネは聞き返す。
「そうだ。実際に俺とお前の実力はほぼ互角だ。なら何が勝負を分けるのか……それはこれまでに積んで来た修行の日々。くぐり抜けてきた修羅場の数。それらの実績が多い方が勝つ!」
そうして角刈りの男は一度構えを解き、仁王立ちの状態で話し始めた。
「俺がレベル250になるまでどれだけかかったと思う。およそ五年の歳月をかけた。毎日毎日修行を繰り返し、一日一時間、必ず鍛錬を行った。時にはサボろうと思う日もあったさ。たかが一日くらい休んだっていいじゃないか。そんな風に自分に負けそうな日が幾度となくあった。だが俺は決してサボらなかった!! どんなに辛かろうが、落ち込んでいようが、暑かろうが寒かろうが、必ず毎日修行をしてきたんだ!! それはとても辛い日々だった!! そんな苦難を乗り越えて今の俺がある!! 俺とお前の実力が互角なら、そんな日々を乗り越えてきた俺が勝つ!!」
クワッと目を見開いて、男は再び構えを取る。その瞬間に気迫とも言うべき波動が周囲に広がった。自分の勝利を疑わない、男の確固たる自信。その気迫と言う名のオーラが荒々しく吹き荒れていた。
「へっ、ぬるいなぁ……とんだ甘ちゃんね」
フィーネが、そんな吹き荒れるオーラをものともせずに吐き捨てる。
「何ぃ!? 俺が甘ちゃんだと!?」
「ああそうだよ。確かにおっさんは強ぇ。私なんかよりも積み重ねてきたもんが違うのかもしれない。けど、それが勝負の命運を分けるかと言ったらそんな事はない! 勝負を決めるのに大切なのは……想いの強さだ!!」
「想いの……強さ……?」
今度は逆に、角刈りの男が聞き返す。
「そうさ。修行を毎日こなす? 苦難を乗り越える? そんなのは当たり前だ。私は毎日14時間修行をやってきた。辛いなんて思った事はねぇよ。むしろまだ足りないと思ってる。なぜなら、私が認めてほしいって思ってるあいつはそれだけの強さを持っているから! 今の私じゃ、あいつと比べたら天と地の差があるんだ……だからもっと強くなりたい! いや、強くならなくちゃダメなんだ!!」
「うっ……」
角刈りの男がたじろいだ。
フィーネの気迫に気圧されているのだ。
「こんな所で立ち止まってなんかいられない! この程度の逆境を跳ね除けるくらいの気合がなくちゃ、あいつには絶対に追いつけないし、役にも立てない。あいつはこんな私に手を差し伸べてくれた。救い出してくれた。だから私はこの身を捧げようって決めたんだ! 私の運命も、人生も、あいつのために使うって決めて今まで修行してきた。おっさんが今の私じゃ勝てないって言うのなら、この揺るぎない想いでその差を埋める!!」
跳ね返す! 吹き荒れていた男のオーラをフィーネが巻き返す!!
揺るぎない信念と情熱に、むしろ角刈りの男が呑み込まれそうになっていた。
(とは言え、体の限界が近いのも事実。次の一撃に全てをかける!!)
フィーネがユラリと動き始めた。足を縦に開き、その体をユラユラと動かして、頭のてっぺんで円を描くように体を回す。
「ふ、ふはは! どうした? やっぱりフラフラじゃないか! それともその歳で酔拳のつもりか!?」
男は笑う。
笑いたければ笑えばいいとフィーネは思った。今にその顔を驚かせてやると、心を疼かせながら――
――「神速、ライカンスロープ!!」
そう小さく呟いて、遠心力を足に乗せる。
力を込めた足から地面に力が伝わり、コンクリートにヒビが入る!
次の瞬間、フィーネは思い切り地を蹴った!!
ギュンッ!!
正に光のような速さでフィーネは男の背後を取っていた。
「なっ!?」
とてつもない速さに背後を取られたと理解した時にはすでに遅い。すでにフィーネはその拳を振りかぶり、振り向こうとする男の顔面を殴り飛ばしていた。
男は体を回しながら壁へと激突して、崩れる瓦礫と一緒に動かなくなった。完全に白目を剥き、気を失った男を見て、フィーネは小さくガッツポーズを取る。
「よっし! 私の勝ちだ!!」
だがそれと同時に体が限界を向かえ、ヘナヘナとその場に崩れ落ちていく。もう足が動きそうになかった。
「あ、あれ……? やばっ、動けねぇ……」
足だけではなく体もどんどん重くなっていく感覚がした。それと同時に意識までもが遠くなっていく。さすがのフィーネもここら限界だと判断して、ポケットの入っている木笛を吹き鳴らした。
吹き終えてからおよそ五秒後、トトラが目にも止まらぬ速さでフィーネの前に姿を現した。これが彼女の能力。自分と相手の距離を一瞬でゼロにする『縮地』である。
「いや~、誰も呼んでくれないから出番無いかと思ったッスよ~、って、死屍累々ッスね! フィーネ頑張り過ぎっスよ~」
周りで倒れる冒険者を見渡しながらトトラが感心していた。
「ごめんトトラ。私……もう……限界……ぽい……」
そのままパタリとフィーネは倒れ込む。それに驚いたトトラが慌てながら名前を呼ぶが、その声すら遠くに感じながら、フィーネの意識は深い闇へと落ちていった。
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「師匠、ただいまッス!」
フィーネをおんぶしながらトトラがドルンの街の外、ナナが待機する茂みの中へと戻ってきていた。
「ユリス、フィーネに回復魔法をかけて欲しいッス。もうボロボロッスよ」
「あらあら!」
地面に寝かせるフィーネに、急いでユリスが回復魔法をかけ始める。
「これで全員揃ったわね。フィーネの回復が終わり次第、拠点へ引き返すわよ!」
とりあえずトトラからフィーネの周りにとんでもない数の冒険者がノックダウンしている事を聞き、その活躍に感心しつつ、ナナは撤収命令を全員に出した。
そして子供達を並ばせる。結局回復を終えても目を覚まさないフィーネはナナが背負う事になった。満身創痍ではあるが、力を出し切り成し遂げたかのように眠るフィーネの寝顔は安らかだった。
こうして一行はドルンから北の大地へと移動する。
ナナとユリスが先頭を歩き、殿はミオが務める。左右をトトラとリリアラで囲み、列から子供がはみ出ないように気を配っていた。
その列はまるでハーメルンの笛吹きだ。子供達の数は24名にもなり、ナナ達と合わせると丁度30名にもなり、ぞろぞろとナナの後ろを着いていく。
こうしてドルンの街の奴隷解放作戦は完遂された。これからは多くの子供達と共にする生活が始まり、騒がしくなるだろう。そんな予想を立てながら、一同は取りあえず無事作戦を終えた事に安堵していた。
――しかしこの時、他国で大きな動きがある事を、ナナ達はまだ知らない……
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――某国。大通り裏路地にて。
一人の男性がちょび髭を生やした男に一枚の紙を渡していた。
「なんだこりゃ。世界を混沌に陥れる歪持ちの懸賞金? 討伐出来れば金貨200枚。生かして捕らえれば金貨500枚!? 金貨500もありゃ半生は遊んで暮らせるじゃねぇか!!」
ちょび髭を生やした男は驚愕する。
「だが王は実際にそんな報酬を払う気はない。誰かが成し遂げる前にお前が歪持ちを捕らえるのだ」
「かぁ~……俺をダシに使おうってか? 相変わらずウチの王様は人使いが荒いねぇ」
紙切れを見ながらちょび髭の男は後頭部をさすり、困ったような表情を浮かべていた。
「そのための『三鬼』だ。それにお前ならば楽勝だろう? この世界最強の『捕縛士』と呼ばれるお前ならな」
「ったく、仕方ねぇな。その代わりいつも以上に報酬はもらうぜ?」
そう言ってちょび髭の男はスタコラと大通りへと出ていく。しかし嫌々そうな口ぶりでも、頭の中は多額の報酬でいっぱいであった。
「ククク、これでまた儲けられるぜ。くっはっは。はーはっはっはっは!!」
人の目を気にせず、大声で笑う男は人ごみに消えていくのだった。
――某船着き場にて。
「ちょっと聞きたいでござるよ」
一人の男性が船乗りに声を掛けた。
腰に刀を携えて、着物を着た男である。
「珍しい恰好だなぁ。何が聞きたいんだい?」
「うむ。実は拙者、修行中の身でござるよ。今度別の大陸に渡ろうかと思っているでござるが、どこか修行に向いている大陸はござらぬか?」
船乗りは少し考えると、閃いたように手を打った。
「それならバルバラン大陸がいいんじゃないか? あそこは最も魔物のレベルが高いと言われている大陸なんだ。修行にはもってこいだぞ。それに今、あの大陸には歪持ちが隠れ住んでいるっていう噂もあるから、もし出会えたら戦いを挑んでみるのもいい。恐ろしく強くて四獣でさえ勝てなかったって話だけどな」
「ほう、バルバラン大陸でござるか……」
刀を持つ男は興味深そうに話を聞いていた。
「どうだい? これから出航するよ、乗ってくかい?」
「いや、今は手持ちがないので遠慮するでござる。お金に余裕が出来たら乗せてもらうとするでござるよ」
そう言って、男は船着き場を後にする。
「魔物の強さはたかが知れているでござろうが、歪持ちは興味深いでござる」
そんな事をブツブツと呟きながら歩いていると、突然前方から悲鳴が上がった!
「誰かー!! 食い逃げだー!! そいつを捕まえてくれー!!」
見ると一人の男性が通行人を押しのけて突進してきた。
刀を持つ男は、その食い逃げ犯に道を譲るように横へ避ける。そして二人がすれ違った瞬間だった。
ドサッ!
食い逃げ犯が突然にその場へ倒れ込んだ。
「よっしゃ捕まえろ! こんな何もない所で転ぶなんざ間抜けな野郎だ!」
店の店主がざまあみろと、食い逃げ犯を押さえつける。
……しかし、誰もが見えなかっただろう。すれ違った男が一瞬で刀を抜いたことに。そしてとてつもない速さで峰打ちを当てた事に。
そんな刀持ちの男は、抜いた刀を再び鞘にしまい、何食わぬ顔で去っていく。
「歪持ち……はてさて、拙者の修行相手になればいいでござるが」
そう言って、腹ごしらえに定食屋に入っていくのであった。
――某酒場にて。
一人のサングラスをかけた男がカウンターへと座る。
「マスター。いつもの」
そう言うと、マスターは手慣れた手つきでカクテルを作り始めた。
出来上がった色鮮やかなカクテルをグラスに注ぎ、男に出す。だがこの時、カウンターとグラスの間に二つ折りにされた一枚の紙きれが挟まっていた。
男はその紙切れを広げずに胸ポケットにしまい込む。
「場所はどこだ?」
ただ一言。それだけを聞く。
「どうやら、バルバラン大陸のようですな」
「ちっ。魔物が一番強い大陸か。面倒な仕事だ……」
「けれど、あなたなら何の問題もないでしょう。なにせ、この世界最強の暗殺者なのですから」
表情を全く変えないマスターはグラスを磨きながら静かにそう言った。
男はグラスに入ったカクテルを一気に飲み干して、銀貨を一枚カウンターに残して席を立った。
「すぐに準備を始める。釣りはいらない」
そうして酒場を後にするのだった。
――某大森林にて。
「ギャオオオオオオオオン……」
獣の咆哮と共に、巨大な魔物が倒れ込む。その傍らには一人の少女が佇んでいた。
そこへパチパチと拍手の音が聞こえてくる。
「いや~さすがだね~。シンディは強いよ~」
片目を隠した少年だ。その姿を確認すると、少女はホッとしたように歩き出す。
「このくらい大した事ない……」
「いやいや、十分大した事だよ? シンディは周りからなんて呼ばれてるか知ってる? 『陽炎』なんて呼ばれてるんだよ? 僕としては武術大会に出場してほしいくらいさ。シンディなら絶対に優勝できるって」
しかし少女は歩く速度を変えずに、まるで興味が無いようにすましていた。
「お金も名誉も興味ない。私は村のみんなと静かに暮らしていければそれでいい……」
「残念だな~。僕的にはあの、『剣美』よりもシンディの方が強いと思ってるんだけどねぇ。なにせ、『雷神』の異名を持つくらいだからね」
「雷神なんて呼んでいるのはあなただけよ」
全くつかみどころのない少女に肩をすくめて、少年は後をついて行く。
「ちょっと待ってよ~。おいて行かないで~」
そうして二人は村へと帰っていくのであった。
――そして、某ギルド内にて。
「剣美様。依頼書が届いております」
長く美しいプラチナブロンドの髪を、後ろで一括りにしている女性が受付に呼ばれていた。この世界で最強と言われる剣美である。
「依頼書? こ、これは、歪持ち討伐任務!?」
内容を見て剣美の表情が強張る。
「どうやら四獣が全滅したらしく、剣美様に依頼が回ってきたのかと……」
「四獣が全滅ですって!?」
驚きのあまり大声を出してしまい、少し赤面していた。
「正確には、三人が返り討ちにあい、一人は寝返って歪持ちの味方についたとか……」
「くっ……血迷いましたの!?」
「しかし剣美様なら問題ないのでは? 数年前にも歪持ちをやっつけましたし、今回だって――」
「――やっつけてませんわ!! トドメを刺す前に逃げられたのです!!」
キー! と、悔しそうにハンカチを噛みしめている。
「まぁいいですわ。この世界を乱す者は、私が全て成敗いたします!」
そう言って、フワリと髪を翻す。
そう、今まさに、バルバラン大陸に強者が集まろうとしていた。そして、かつてないほどの激戦が幕を開けようとしているのであった。




