幼女は奴隷を解放する➂
「どっちに行こうかな……」
B地区。
十字路まで行き着いたリリアラが、どの道を使うかで迷っていた。
――「リリちゃんは街の南側を担当して下さい。C地区から、B地区、A地区と移動しながら奴隷を集めてほしいんです」
ユリスの言われた作戦の通りに動いてここまで来たが、本当にフィーネが冒険者を引き付けているのか疑問に思うほど追われていた。
「ねぇあなた、本当に大丈夫なの? 私達、ちゃんと逃げ切れるの!?」
後ろには道中で確保した男女合わせて五人の奴隷が不安そうな表情を浮かべていた。無理もない。先頭を歩くリリアラが一番小さくて幼いのだから。
「ねぇ見て! 正面の道、ギルドの人が三人もいるよ! どっちかに曲がろう」
「う~ん……」
少しの間リリアラは目を瞑り、感覚を研ぎ澄ませる。
「じゃあまっすぐ行くの」
「じゃあって何!? 話きいてた!?」
戸惑う子供達。だがリリアラは大真面目だった。
「左の道はD地区に繋がってるの。D地区はミオお姉ちゃんが担当しているから左の道は無し。正面の道は確かに冒険者が三人いるけど、人数がいる事でかなり油断してるの。右の道は冒険者が二人しかいないけど、かなりのベテランで油断もしていないから手ごわいの。だからここは真っすぐ行くの!」
子供達はポカンとしていた。
「えっと……なんでそんな事わかるの?」
「修行して気配を読めるようになればこのくらい朝飯前なの。みんなもまじめに修行すれば、出来るようになるよ!」
子供達が尊敬の眼差しを向けてくる。
だが実際、ここまで精密に気配を読めるのはリリアラが特別だからである。元々そういう人の感情に敏感なリリアラは、ナナに言われてその能力にさらに磨きをかけていた。
ここで奴隷を引きつれて街の外を目指す作戦の最中でも、この能力を遺憾なく発揮する。どこに、何人いて、どういう心境なのか。それが分かれば圧倒的に有利である。常に敵の詳細を遠くからでも把握できるリリアラは、冒険者の行動の先を動いていた。
「じゃあ私が先に行くから、みんなは10秒たったら追いかけてきて、また私と合流するの」
「ええ!? キミ一人で大丈夫!?」
リリアラはコクンと頷くと、思い切って正面の道を駆けだした。
リリアラにはミオほど速くはない。が、体格も体重も小さいリリアラが身軽でないはずがない。かなりの瞬発力を持っており、爆発的な加速で一番近い冒険者に突撃をかけた。
「へ!?」
気付いた時にはすでにリリアラは飛びかかっていた! タン、と軽く跳躍して冒険者の真横を通過して、それと同時にガン! と掌底で頭を揺らす。すると冒険者の一人はあっけなく地面へ倒れ込んだ。
「で、出た! 奴隷泥棒だ!」
「うわっ! 小っさ!」
戸惑う冒険者に間髪入れず、リリアラは突撃する。冒険者の男性が、手に持つ棍棒を振るうが、またしても爆発的な加速でリリアラは男の棍棒を掻い潜り、一瞬で懐に潜り込んだ。
その位置から真上に跳躍して、男の顎に掌底を与える。
「がっ!?」
その男も伸びて動かなくなる。
リリアラとミオは近接戦闘が苦手である。なのでナナから特殊な攻撃方法のみを教わってきた。それが相手の脳に衝撃を与え、一発で軽い脳震盪を起こし動けなくする技である。
「あと一人! なの!!」
またしても全力で地を蹴り、弓を放つような勢いで迫るリリアラ。
攻撃を仕掛けるが、その攻撃は流石に防がれてしまった。
「くっ! そう何度も同じ攻撃を喰らうかよ!」
冒険者も必死になって抵抗していた。
と、その時。
「10秒だ。走れ~」
子供達が冒険者の後ろから走ってきた。
「な!? 奴隷の子供!?」
バシンッ!!
子供の出現で気を逸らされた冒険者は薙ぎ払われて壁に激突していた。
唖然とする子供達。その目に映るのは、鞭を振るうリリアラの姿であった。しかもその鞭は燃えるように赤く、光を帯びていた。
「気配もろくに読めないくせに目を逸らすなんて自殺行為なの……」
リリアラが呆れた表情でポツリと呟いた。
そう、リリアラが得意とするのは炎の魔法である。魔法で作り上げた炎の鞭で、目を逸らした冒険者を薙ぎ払ったのであった。
ここまで来る道中でも何度か炎の魔法を使っている。お店の外に置いてある客寄せ人形を燃やして冒険者の気を引き、その間に通り過ぎるなど、あの手この手で翻弄していた。
「す……すっごーい! かっこいいー!!」
子供達がリリアラに群がってくる。
「だからちゃんと修行すればみんなにも出来るようになるの。さ、私について来て」
そう言って道なりに進もうとした。が、リリアラが何かを感じ取り、急ブレーキをかけた。
「そこに誰かいるの! 出てくるの!!」
塀の影から一人の冒険者らしき青年が現れた。青い髪の、腰に剣を携える若い男だ。
(気配を消すのがうまいの。何よりこの人、強い……)
青年はゆっくりと近付いて、一定の距離でその足を止めた。
「完全に気配を消したつもりだったのに……やっぱり子供だからって侮れないな」
そう言って青年は剣を抜いて構えをっ取った。
「この街の平和を乱す奴を僕は許さない。それが例え女の子であってもだ」
鋭く睨みつける青年だが、リリアラにはその言葉が理解できなかった。
「平和? お兄ちゃんにはこの街が平和に見えるの?」
「どういう意味だ」
「平和なんかじゃないよ? だって奴隷はみんな苦しんでるの」
すると青年は意外そうな顔をした。
「苦しんでいる? そりゃ奴隷なんだから、多少は苦労もするだろう。しかしそれは立場として仕方がない事だ」
「仕方ない? 暴力を受けて泣いてるんだよ? 怖くて震えているんだよ? それが仕方がない事なの!?」
リリアラには信じられなかった。この現実を仕方がないと割り切るこの街の実態が。それが当然だと言う認識が。
しかし青年はやれやれと首を振る。
「キミは何かを勘違いしている。いいか、奴隷というのは親に捨てられるなど、一人では生きていく事が出来ない子供を養う制度だ。確かに普通の家庭と比べれば待遇は悪いかもしれない。しかしそれらは全て運命と言える。大人になり独り立ちするまでの試練であり、それを乗り越える事がその子に与えられた使命なんだ」
「運命……? 使命……? 殴られたり蹴られたりする事が試練なの……?」
「そうだ。僕だって可哀そうだとは思う。けれどそうやって奴隷は成長していくんだ」
「違う!!」
リリアラが叫ぶ。難しい事はわからないし、大人のような考え方も出来ない。けれど、はっきりと言える事があった。
「お兄ちゃんは子供の気持ちが全然わかってないの!! 簡単に『乗り越えて成長していく』とか言うけど、それって奴隷にとっては凄く難しい事なんだよ!? 自分よりも大きい人に怒られたらとっても怖いの!! 押さえつけられたら抵抗なんてできないの!! 絶対に敵わない、絶対に逆らえない、絶対に抗えない。怖くて怖くて、震えて泣く事しかできないの!! 絶望的な毎日で、死んだ方がマシだって思うよな仕打ちをされる事だってあるんだよ!?」
リリアラが子供の一人を前に立たせ、袖をまくらせた。その肌には殴られて青くアザになっている箇所がいくつもあった。
「必死になって言うことを聞いても、頑張って言いつけを守っても、機嫌次第で何度も殴られたりするの!! それがすごく辛くて助けてほしいけど、誰も助けてくれないんだよ!? 人間恐怖症になって、誰かが近づくだけで怯え出すくらいの拒絶反応が出る子だっているの!!」
カタッと、青年の持つ剣が少し震えた。
「……それでも、これが法律なんだ。法律を守らなくては秩序は保てない。奴隷を盗む事は犯罪で『悪』なんだ」
「私はそうは思わない。だって私を助けてくれたあの人はすごく優しかったよ? 法律とか犯罪とか、そんなの関係ない。怯えていた私に手を差し伸べて連れ出してくれたの! 全然『悪』なんかじゃないよ!! むしろ私には、そんな奴隷のみんなを助けようとするあの人の邪魔をするお兄ちゃんが『悪』に見えるの!!」
カタッっと、また青年の剣が僅かに震えた。
「犯罪に手を染める者はいつもそうだ。自分が正しいと思い込み、その行動を正当化する」
青年が足を広げ、前のめりとなる。今にも飛びかかってきそうな体勢だ。
「どう思われても構わないの。『奴隷なんだから多少苦労する』だなんて、そんな軽い言葉で済ませようとしているあなたには絶対にわからない!! だから、私は戦うよ」
リリアラも炎の鞭を手に、構えを取る。
二人は睨み合った後、青年が勢いよく駆け出した!
「僕は間違っていない! お前達を捕まえる事が、この街のためなんだぁ!!」
青年が剣を振りかざした! リリアラの体を両断しようと、その剣を全力で振り降ろす!
ガギィィン!!
奴隷の子供達が息を呑んだ。
青年の剣はリリアラのすぐ真横を通過して、地面のコンクリートに突き刺さっていた。そんな青年の剣にはリリアラの鞭が巻き付いている。
青年が剣を振り下ろした瞬間に、リリアラは炎の鞭を操り剣の軌道を逸らしたのだ。
「……もういいの。だってお兄ちゃん、顔では隠してるけど心はすっごく迷ってる」
「なっ!?」
「そんな揺らいだ心じゃ全力の半分も出せないの。だから、もうお終い!」
リリアラが足をあげる。
青年が柄を握りしめ、剣先は地面に刺さっている。その中心を思い切り踏みつけた!
バキイィィン!!
青年の剣は真っ二つに折れた。まるで青年の心を映すように……
そして青年はガクリと崩れ落ちる。その横をリリアラは何も言わずに通り過ぎた。
「一つだけ教えてくれ……」
リリアラの後ろを着いて行く子供に、青年が俯いたまま声を掛けた。
「キミ達にとっては、僕が悪なのか……?」
一人の女の子が立ち止まり、少しだけ考えて答えた。
「事情は人それぞれだけど、私達は好きで奴隷になった訳じゃないから……けどね、お兄さんを悪だって言うなら、そもそもこの街の決まり事自体が悪なんじゃないかなって私は思う」
それだけを答えて、女の子は急いでリリアラの後を追う。
残された青年は、まるで抜け殻のように動かなくなってしまうのであった……




