幼女は仲間を送り出す②
「あっ!?」
「あっ……」
ミオとリリアラが鉢合わせをした。ミオが部屋を出たタイミングで、丁度そこへリリアラが通りかかったのだった。
大抵こういった場合、人間恐怖症で拒絶反応持ちのミオは大きな悲鳴を上げる。そのためリリアラは急いでピョンと後ろに跳ねて距離を開けた。
「えっと、リリアラ様も夕食の狩りに同行するのですよね? 一緒に行きませんか?」
驚く事に、ミオは悲鳴を上げるどころか自分から声をかけてきた。
「う、うん。行く、けど……」
リリアラがためらう。
いつも通り、誰に対しても様付けで呼び、丁寧な口調のミオだ。相手を敬わなくては殴られていたのかもしれない。生意気を言えば、それこそ命にかかわったのかもしれない。だからこそ誰よりも優しく、誰よりも傷付いてきた。挙句、体にしみ込んだ拒絶反応である……
そのミオが、今、自らリリアラに歩み寄ろうとしているのだ。リリアラがためらうのも無理はない。
「ミオお姉ちゃん、拒絶反応ってやつは治ったの……?」
そっと聞く。
刺激しないように、出来る限り優しく。出来る限り静かに。
「治った訳ではありませんが、私とて努力しています。最近ではこの体質を治すための裏技も見つけました。皆さまと一緒にご飯を食べられる日も遠くないと思います」
「おお~!? すっご~い!! 楽しみなの~!!」
自信満々のミオに、リリアラが歓喜する。
……しかし、そんなリリアラがある事に気が付いた。
「あれ? ミオお姉ちゃんどこか痛いの? 怪我してる?」
「え!?」
リリアラは人の感情を敏感に感じ取る能力がある。そのリリアラが、ミオは痛がっていると察知したのだ。
「えっと……昼間の修行でちょっと痛めた所がございまして。けど大した怪我じゃないんです」
「え~!? ちゃんとユリスお姉ちゃんに回復してもらわなきゃダメなの~!」
「そ、そうですね。後でちゃんと治してもらいます」
そう言って二人は一緒に歩き出す。
この時、リリアラも特に深くは考えなかった。特別に「辛い」という感情を感知しなかったし、何よりも「希望」という感情が上回っていたからだ。拒絶反応が段々と出なくなっていく事に、本人が希望を感じているのだ。それがリリアラにとっても喜ばしい事であった。
……だが、そんな次の日の朝に事件は起こった。
ガツンッ!!
廊下の掃除をしていたユリスの耳に、鈍い音が飛び込んで来た。何の音かと思い見渡せば、どうやらミオの部屋から聞こえてきたようであった。
「あの、ミオちゃん? なんか凄い音がしましたけど大丈夫ですか?」
ノックをして声をかける。しかし、中からはなんの返事も返ってこない。
ユリスは胸騒ぎを覚えてドアを開け放つと、そこには頭から血を流して倒れているミオの姿があった。
「ミオちゃん!?」
悲痛に叫んで、急いでミオに駆け寄った。どうやら転んだ拍子にテーブルに頭を打ったようであった。
テーブルのような家具は、全部ナナが作った物である。一日一軒、家を建て、その中の小物なども時間があれば加工する。出来るだけ角を取るようにしてはいるようだが、お店で売っているように完全な丸みを帯びてはいなかった。
ユリスはゆっくりとミオを抱き起して、自分の膝に頭を乗せた。そしてその時に気が付いた。ミオがなぜか、布を巻いて目隠しをしている事に。
とにかく怪我を治すために回復魔法をかける。そして小さな声で、静かにミオに呼びかける。
「うぅ……ユリス様?」
まだ朦朧としてはいるが、ミオの意識が戻った事に安堵する。
ちょうどその時に、ユリスの悲痛な声を聞いたみんなが集まってきた。
「ユリス、何があったの!?」
真っ先に飛び込んで来たのはナナだった。
「えっと、ミオちゃんが転んで頭を打ったみたいで……でも意識も戻ったのでもう大丈夫だと思います」
回復魔法を掛けながらユリスが答える。
ナナの後ろからはトトラ、フィーネ、リリアラが心配そうに部屋を覗き込んでいた。
ナナはジッとミオを見つめ、そして疑問を口にした。
「ミオ、どうして目隠しをしているの? そんな事をしたら転ぶのは当たり前でしょ?」
「それは……拒絶反応を出さないためでございます。私わかったんです。この目を塞げば、皆様を怖がることが無いんです。現に今も、ユリス様が私を治療している間、こんなにも近くにいるのに怖くありません。家具の位置さえ覚えてしまえば、目に頼らずとも動けるはずです」
「……無理よ。今は人数が少ないから安定してるけど、もう少しでドルンの街の奴隷を解放するわ。そうすればここはもっと多くの子供達が住む事になる。そうなったら人や物が格段に増える。全ての間取りを把握するのが困難になるわ」
「しかし……」
ミオは決して引かない。自分のやり方で克服したがっているようだった。
そんなやり取りをしている間にユリスの回復が終わる。
「はい。綺麗に治りましたよ」
そしてミオが立ち上がろうとした時だった。
「え? まだ終わってないの。ミオお姉ちゃん、まだ痛がってるの」
廊下から顔だけ覗かせていたリリアラがそんな事を言った。
だが、一見してどこかを怪我しているようには見えない。
「ミオ、他にもどこか怪我しているの?」
「えっと……それは……」
ナナの問いにミオは口を閉ざす。それが何か、とんでもない隠し事のような気がして、ナナはミオの服に掴みかかった!
「ユリス抑えてて! 服を脱がせるわ」
強引に服を剥ぎ取る。するとその体は痛々しい傷跡が多く刻まれていた。
お腹には何かを突き刺したような刺し傷が。
右肩には爪で引き裂いたような掻き傷が。
他にも切り傷、擦り傷などが体中に残されている。
……そして、左腕には血で真っ赤に染まった布が巻かれていた。ナナはそっと、その布を外して傷口を晒す。
「ひっ!!」
リリアラが小さな悲鳴を上げてフィーネに抱き付いた。フィーネも言葉を無くしながら、これ以上リリアラに見せないようにその顔を自分の体で覆い隠す。
ミオの左腕は肉が深く抉れ、削げ落ちていた。もう少し深ければ骨が見えるのではないかと言うほどごっそりと……
傷口からは未だダラダラと血が流れ、床に落ちては血だまりを作る。傷に巻いていた布からも血が滴り落ちていた。
「……なに、この傷……誰にやられたの……」
グロテスクな傷口にショックを受けながら、ナナが聞いた。
「……別に誰かにやられたわけではありません。全部自分でやった跡でございます……左腕の傷は自分で食い千切りました」
その場は凍り付いていた。誰も何も言えず、唖然としていた。
理解できない。
意味がわからない。
想像もできない。
そんな混乱と、ミオに対する狂気に身を震わせていた。
「これも全部、自分の拒絶反応を無くすためでございます……」
どうしてこんなことを? そう聞かれる前にミオは話し始めていた。
「ユリス様のカウンセリングだけではどうにも改善する気配はなく、私自身でどうにかできないかと考えました。そして思いついたんです。この体に恐怖が染み込んでいるなら逆に、『痛みでその恐怖を上書きしよう』と……」
スンスンを鼻を鳴らし、ユリスがすすり泣き出した。自分の無力を悟ってか、もしくは力になれなかった悔しさか……
涙を流し、俯きながら、ミオの左腕の傷に回復魔法をかけ始める。
「誰かを怖がる度に自分で傷を作り、悲鳴をあげてしまえば自分に噛みつきました。そうやって、『治せなければこれからもっとひどい痛みを与えるぞ』、と自分に言い聞かせたんです。すると思いのほか効果はありました。少しずつ皆様に対する恐怖が薄れていったんです。痛みに対する恐怖が、拒絶反応を超えたんです! 私はそれが、とても嬉しかった」
ナナは目まいを覚える自分の頭に手を当てて、自分自身に言い聞かせる。
ミオを正さなくてはならない。こんな方法は間違っている、と……
「……なにをバカな事を言っているの。こんな方法が許されるわけないでしょ!? こんな大怪我を放っておいたら肉が腐って左腕が使えなくなっていたかもしれないのよ!」
「……はい。私とてこれが最善だとは思っていませんでした。だから新しく、目隠しをして皆様を見ない方法を試していたのでございます」
「……私はその目隠しも反対だわ。ミオ、あなたはとてもいい目を持っている。視力も高いし、動体視力も良い。ずっと目隠しをしていたらその目が悪くなってしまうのよ? それにさっきみたいに転んで怪我をする可能性もある。もしもあの時、目を打っていたら失明していたかもしれないわ」
するとミオがクスクスと笑い始めた。何を考えているのかわからない、不気味にも思える笑いだった。
「ふ、ふふふ。そうです、失明! その手がありましたね! 失明してしまえばよかったのでございます! そうすれば誰も見なくてすむ! 誰にも怯えなくてすむ! 全ての諦めがつきましょう!」
そう言って、ミオは目隠しをした布の上から自分の目に指を食い込ませた!
「止めなさいミオ!!」
ナナが瞬時にミオの手を押さえつける。
「どうして邪魔をなさるのですかナナ様。これがダメならまた、自分の体を傷付ける方法しかありませんよ?」
「ミオ……少し落ち着いて。焦る必要なんてないのよ? ゆっくりでいい。時間を掛けてじっくりと治していけば――」
「――そんなんじゃダメなんです!!」
ミオがナナの言葉を遮って叫び声をあげた。
「ゆっくり? 時間を掛けて? その間ずっと私は苦しいんです! 皆様が優しくしてくれる分、私はとても心苦しいんです! 一刻も早く治して、皆様に詫びたいのです! そのためならこの目を潰したっていい!! 肉を食い破ってもいい!! 拒絶反応が治らないのなら、こんなおぞましい体いらない!! 自分で食い殺してしまえばいいのです!!」
そしてミオは泣き始めた。さめざめと、声を押し殺して泣き始めた。
目元を覆った布はどんどん湿り、頬を伝って流れていく。
そんなミオを、回復魔法をかけ終えたユリスが抱きしめて、一緒になって泣いていた。
ミオの体の傷は完璧に治った。お腹の刺し傷も、肩の掻き傷も、左腕の食い千切られた肉も、ちゃんと元通りになっている。けれど心は傷付いたままだ。どんなに体が治っても、心が死んでは意味がない。
「どうするッスか師匠。このままじゃミオ、ほんとに私達の見えない所で目を潰しちゃうッスよ」
トトラが心配そうに聞いてきた。そんな事はナナもわかっている。
だから……決断する!
「ミオ、あなたの拒絶反応を治せるかもしれない方法があと一つだけ残っているわ!」
「ほ、本当でございますか!?」
目を覆い隠したままのミオが、ナナに向き直る。
まるで希望を見出したかのような反応だった。
「本当よ。けどかなりの荒療治になるから最後まで使いたくはなかった。でも自傷行為もいとわないあなたならやれると思うの」
「やります! その方法を試させてください!」
「わかったわ。じゃあすぐに始めましょう。ミオ、私におぶさって」
ナナがミオをおんぶして小屋を出る。ユリス、トトラ、フィーネ、リリアラもその後に続いた。
しばらく歩き続けたのち、ナナはとある魔物の近くで立ち止まり、ミオを降ろした。
「ミオ、目隠しを取って」
ミオはその言葉に従って、ずっと付けていた目隠しを外した。
「いいミオ。あなたがその拒絶反応を手っ取り早く克服するのには、そもそも人間が近くにいてはダメだと思うの。だからね……あなたは今日から私達とは別々に暮らしてみなさい」
「「「「えええ~~~!?」」」」
ミオ以外の四人が驚いていた。特にユリス。
「ちょ、ちょっと待って下さいナナちゃん、いくら何でも一人で暮らすなんて無茶です! 魔物に襲われたりするんですよ!?」
「誰も一人で暮らせだなんて言ってないわ。見て。あそこに群がっている魔物と一緒に暮らすのよ」
「「「「えええぇぇ~~!?」」」」
またしても四人の叫び声がハモった。ナナの言う方向を見ると、そこにはオオカミのような魔物の群れがこちらの叫び声に反応しているのだった。
「もっと危ないじゃないですか!! 魔物と一緒に暮らす!? できるわけ無いじゃないですか!!」
「いいえ、できるわ。私ね、この世界に来た時からずっと疑問に思ってたことがあって、最近ちゃんと調べてみたの。ねぇユリス。『魔物』って、一体どんな生き物を魔物って呼ぶの?」
突然振られたユリスは少し固まって、冷静に答えた。
「えっと確か、肉食で、人を襲って、1メートル以上の大きさを持つ動物を魔物って分類しているはずです」
「そう。魔物ってつまり、生きるために人間をエサにする事もある生物ってだけで、別に人間を滅ぼそうとか考えている訳じゃないわ。特にあのオオカミ。『フレイムウルフ』は仲間意識が強くて連携を取る魔物だから、一度仲間と認識させることができれば十分に共存が可能なはず」
「け、けど、その仲間と認識させることが無理だと思います。人間と魔物ですよ!?」
再び取り乱すユリスを一度無視して、ナナはミオを真っすぐに見つめた。
「ミオならできるんじゃない? 街に行った時、ミオはいつも動物と意思疎通を図って遊んでいた。動物の表情から考えている事を読み取り、自分の意思も伝えられるんでしょ?」
「それは……できると思います!」
思いのほかミオは取り乱してはいない。むしろ前向きのようであった。
「もしも襲われたらどうするんですか!? ミオちゃんのレベルって今どれくらいでしたっけ? まだまだ200まで到達していなかったはずです!」
「確かにミオのレベルはまだそこまで高くない。けどね、実は私、こんな事もあろうかとずっと準備してたの。ミオには自信を付けて人間恐怖症を克服してもらおうと修行させていたけど、それ以外にもどんな魔物からも逃げ切れるだけの足を鍛えてきたわ。気配を消す術も身につけさせた。そのためのかくれんぼだったのよ? 多分、今のミオはこの大陸の魔物なんかじゃ絶対に捕まらないだけの身体能力を持っている」
「な、なら食べ物はどうするんですか!? 魔物と人間じゃ食べる物が違うんじゃ……」
ユリスはまだ納得がいっていないようで問題点を挙げてくる。まぁ当然と言えば当然の疑問だ。
「あら、ユリス忘れたの? フレイムウルフは自分で火を起こして、取った獲物を焼いて食べる珍しい種族。ここに初めて来た日に見たじゃない。さらにミオには食べられる野草や木の実、魚をバランスよく食べる事も教えている。あとはフレイムウルフが起こした火を使わせてもらって一緒に焼いて食べるだけよ? 火が使えれば寒さに困る事もないしね。ついでにフレイムウルフの真っ赤な毛並みと、ミオの赤髪が似ているから仲間だと認識されやすいと思うの」
「……」
ついにユリスが黙り込んだ。その目は心配そうにミオを見つめている。
ミオも、緊張と不安に表情が強張っていた。いや、さらにその感情の中に興味や期待も混ざっているのではないだろうか。ジッとフレイムウルフを見つめるその視線は動かない。
「ミオ、あなたが自分自身を傷付けるだけの強い想いがあるのなら、それをこの大自然にぶつけてみなさい! あなたの拒絶反応は私達人間と一緒に暮らしているうちは絶対に治らない。近くにいるという事実が! 周りの期待が! 治さなければいけないというプレッシャーが、全てあなたの足枷となっている! だから人間の暮らしという檻から出て、人間の事を忘れるくらい必死に生き延びるの! 人間の顔も忘れるくらい、ここの魔物といっしょになって大地を駆けまわりなさい!」
火が付いた。ナナの激励に、ミオの心に熱いものが込み上げる!
真剣な表情のまま、ミオはフレイムウルフの群れにゆっくりと近付いていった。
「う、うまくいくかな……?」
フィーネも緊張ながら見守っていた。
「いくわ! 万が一を考えて、この時のためにフレイムウルフには指一本触れなかったんだから!」
「あぁ~、そう言えばここに来てしばらく経つのに、フレイムウルフの肉だけ食べてねーな。そんな事まで考えてたのか」
フィーネが感心する横で、ナナはしっかりとミオを見守る。
ミオがフレイムウルフに近付いていくと、群れの中で一番体の大きいボスと思われるオオカミがミオの前に立ち塞がった。
ミオは自分の体を地面に付けるように低い体制のまま、ボスを見上げる。自分の表情から相手に気持ちを伝えるいつもの方法だ。
「リリ、通訳をお願い!」
リリアラは魔物であってもある程度感情を読むことが出来る。それ故の通訳だ。
「わかったの。ミオお姉ちゃんは、仲間に入れて欲しいってお願いしてるの。それに対してオオカミさんは……結構怒ってるの。殺気立ってて、ちょっと危ない雰囲気なの。あっ!!」
次の瞬間、フレイムウルフがミオに襲い掛かった。その首筋に噛みつこうと凄まじい速さでミオに迫る。しかし、ミオはその反射神経と動体視力でフレイムウルフの牙から一瞬で距離を開けた。
つまらなそうに背を向けるフレイムウルフに、ミオはしつこく付きまとう。ずっと身を低くして、あくまでも下手に振る舞い、噛みつかれそうになっては素早く跳び退ける。それの繰り返しだ。
しばらくそんなやり取りを続けていると、ボスはもう疲れたようにミオを襲ったりはしなくなった。
「あっ、『勝手にしろ。けど俺達の輪を乱すようならその時は本気で食い殺す』って言ってるの!」
どうやら、取りあえず許可は下りたようだ。フレイムウルフはそのままノソノソと群れで移動を始めていた。
ミオが最後の別れにナナを見つめる。
「ミオ、忘れないで! 辛かったらいつでも戻ってきていいから!」
ナナが叫ぶ。ミオはペコリと、今までにないくらい大きく頭を下げた。
「怪我したら戻ってくるのよ!? お腹が痛くなった時もね!」
頭をあげたミオはニッコリと微笑むと、ためらうこと無くフレイムウルフの一番後ろに付いていく。これではまるで、ナナの方が心残りがあるように見えるくらいだった。
自分で提案をしておきながら、自分の元を去っていくミオをいつまでも見つめながら、ナナは物悲しい気持ちに包まれていた。
こうして、この生活を始めてから三週間目、共に過ごした仲間のうち一人が抜ける事となった。
真っ赤な赤髪が特徴的な、人に対して拒絶反応を持つ少女、ミオ。
けれど、ナナとて魔物がひしめく同じ大地で過ごしているのだ。ナナの保護下を離れた事は大きいが、結局のところ、生活自体に大きな差はないのかもしれない。




