57 もう一つの高貴なる男女二人組
(ああっ、そういえばエリザ、アミリア王女様の姉上だった。さすがは姉妹。同じことを考えている)
内心そう思ったエンリコだが、もちろん口には出さず、笑顔を見せた。
「夫婦のようにお互いに思い合っている人たちを盛り上げる効果はあるようですが、残念ながら、相手の方をその気にさせる効果まではないようですね」
「そうですか」
エリザは明らかに落胆した。
その様子を見たエンリコは思う。
(エリザ、まごうことなきアミリア王女様の姉上だ)。
◇◇◇
「まあまあ、『媚薬』としての効能は保証しかねますが、この『カカオパウダー』。メディラ産の砂糖と混ぜて飲むとおいしいですよ。夜寝る前に飲むとよく寝られるという話しもあります。これからお飲みになりませんか?」
そんなエンリコの言葉にエリザは首を振る。
「ありがとうございます。エンリコさん。でも、『カカオパウダー』の在庫が少ないのなら、それは直売店で庶民の方に売ってあげてください。エリザは十分に在庫が出来てから買わせていただきます」
エンリコは驚く。
「しかし、女王陛下。それでは我々も申し訳なく」
「いいえ。そのようなことはありませんよ。では代わりに一つ約束してもらえませんか?」
「はっ、はい」
エリザの笑顔に魅了されながら、エンリコは頷く。
「『カカオパウダー』をたくさん作ってください。そして、イースタンプトンに持ってきてください。求める全ての人に行き渡るだけの量を。但し、『カカオパウダー』を実際に作り、運ぶ人に無理を言ってはなりません。無理のない範囲で。そして、働いてくれた方たちには十分な報酬を」
「はっはい」
エンリコは畏まる。そして、思う。
(何て神々しさだ。これが女王陛下)。
「エンリコさん。あなたは主であるヴェノヴァの伝説の商人マスターオズヴァルドを尊敬しておられるのでしょう?」
「はっはい。それはもちろん。エンリコはマスターオズヴァルドのようになりたいのです」
エリザは微笑む。
「エンリコならなれますよ。エリザが保証します。そして、エンリコなら必ず全ての方を幸せにして、たくさんの『カカオパウダー』をイースタンプトンまで持ってきてくださる。エリザは信じております」
「はっはい」
エンリコは思う。
(エリザは何と魅力的なのだろう。エンリコだってフラーヴィアに出会う前なら、エリザに心奪われていただろう)。
(アミリア王女も魅力的な方でジェフリーへの思いを応援してきたけど、エリザもジェフリーが好きなんだよな。もうどっちを応援したらいいんだか、分からないぜ)
(だけど、これだけは言える。確かにジェフリーは大した男だが、アミリア王女と女王陛下の両方から思いを寄せられる。これはズルイ。同じ男として羨ましいを通り越して絶対にズルイ)。
(あっ!)
そして、エンリコは気づいた。
(あのアダム男爵令息の女王陛下を見つめる目。あれは……)
(分かる。フラーヴィアに惚れ抜いたエンリコだから分かる。あれは上司に対する畏敬の目じゃない。魅力的な異性に対する憧憬の目だ)。
(ふうっ)。
エンリコは内心溜息を吐く。
(これは険しい道だ。フラーヴィアを追いかけたエンリコ。ジェフリーを追いかける女王陛下とアミリア王女の比じゃない厳しさだ)。
(それでも……)。
エンリコはアダムを見据える。
(エンリコじゃ何の力にもなれませんが、せめて応援させてもらいますぜ。アダム男爵令息)。
◇◇◇
帽子を目深に被ったその男女二人組は明らかに高貴な身分の者だった。
高貴な身分の者が商館ではなく、直売店の方を訪れるのは珍しいことではない。
多くは「お忍びで気楽に」商品を見たいのだ。
先ほどなどはイース王国で最も高貴なエリザ女王陛下が「お忍び」で直売店を訪れたほどである。
だが、その男女二人組は他とは違っていた。
エリザ女王陛下もそうだったが、「お忍び」で直売店を訪れる高貴な身分の者は例外なくどこからか「喜び」がにじみ出ている。
多くの者は「冷静」を装うが、口角の上がり具合からも分かる。商品を売っているのは商人だ。その辺の「観察力」は優れている。
しかし、その男女二人組は「不機嫌」だった。
「冷静」を装うため、「不機嫌」そうに見せているのではない。むしろ、「冷静」を装い、「不機嫌」を隠そうとしているようだった。
買った商品が「クローブ」と「ナツメグ」を一袋ずつだったというのも通常考えられない。
高貴な身分の者は「クローブ」と「ナツメグ」を一袋ずつ買わない。居城に戻れば多くの家臣もいる。その者の分まで商館でまとめ買いするのが普通だ。
高貴な身分の者が「お忍び」で買っていくのは、綺麗な「ガラス製品」か「金細工」、もしくは公式ルートで購入することが憚られる「媚薬」としての「カカオパウダー」だ。
(違和感があり過ぎる。念のためエンリコ兄貴に言っておくか)。
商人の直感でそう感じた店長のサビーノはその旨をエンリコに伝える。
しばらく考えていたエンリコはサビーノに礼を言う。
「よく教えてくれた。その二人の貴族らしき者、恐らくホラン王国の関係者だ」
「あ……」
サビーノも気がつく。
次回第58話「アトリ・デ・マリ商会独立す」




