第36話『王女殿下の溜息』
慌ただしかった日々を終えて二ヶ月ほど。
王宮内の一室、しずかなマシェリの自室で、彼女は窓の外をぼんやりと眺めていた。
「はぁ…………」
あどけない表情に憂鬱を浮かべ、ため息を吐く彼女。
その目は窓の外に何かを探しているようだった。
そうして彼女が肩をすくめていると、そこへ手袋をはめた細い腕が後ろから軽く彼女を抱く。
「どうされました王女殿下?」
「ひゃうっ!? す、スズさん!?」
あわてながら振り払い、振り向くマシェリ。
スズはそんな彼女にいたずらな笑みを浮かべる。
「ハリス殿でしたら本日は書斎の清掃です故、お庭には現れませんよ?」
「そ、そうだったのですか」
「やはりハリス殿をお探しでしたか。ミユウ殿やブレア殿から話は聞いていましたが……愛いですねぇ」
「からかうのはやめてくださいっ」
過剰に反応するマシェリを、スズは楽しそうに見る。
すると彼女は親衛隊らしく、世話係として一日の予定を伝える。
マシェリはそれをしっかり聞きながら、それでも気持ちはどこかうわの空で、落ちつかない様子だった。
「……どうされましたか、王女殿下?」
「い、いえ、なんでも」
「その様子でなんでもないワケがありませぬ。恋愛事に関しては私も疎いですが、どうかお話してはくれませぬか?」
さとすようなスズの言葉に、肩を落とすマシェリ。
しかし彼女の顔は、先ほどよりもリラックスしたものだった。
「最近、エイル様との距離がすこし気になってしまって」
「先日も城内デートをしていませんでしたか? お外にでも行きたいのでしょうか?」
「それも少しはありますが、状況を鑑みて難しいとは理解しています。それに」
そこまで言うと、彼女はふたたび窓の外を眺めて続ける。
「気にしすぎかもしれませんが、舞踏会の日から、曖昧な距離感になってしまったような気がして」
「曖昧、でございますか」
マシェリに気持ちを告白されても、その不透明な感情をスズが読み解くことは難しい。
それでも彼女は、仕える主の日常を思い出し、噛み砕く。
記憶の中にいる二人は、確かに互いを想い合っているのが伺える。
しかし好き合っているというのに、恋人らしさが見えない。
それはまるで、恋愛の真似事をしている子供のままごとのようにも感じ取れた。
「なるほど……しかし恋に恋するという言葉もありますし、最初のうちはそれでも良いのでは?」
「私も半分は大人のつもりですし、それに……恋ではなく、エイル様を好きになりたいのです」
甘ったるい彼女の言葉に、思わず砂糖を塊で吐きそうになるスズ。
しかし彼女はそれを抑えて、真剣に主の悩みに向きあう。
言葉からして、成長途中のプライドと幼さが、彼女の恋心に干渉してしまっているのはスズにもわかる。
実際には言葉通りではなく、マシェリはエイルを好いている。
(殿下もですが、エイル殿も恋愛に真面目というか、ある意味奉仕的でありますからね。それを少し超えたのが、ダンスだったわけですし)
うむむ、と考えこむスズの顔を、マシェリは覗き込む。
次第に悪くなっていく顔色に、彼女は咄嗟に身を振った。
「だ、大丈夫です! 相談はしましたが、そこまで考えなくても!」
「しかし仕える主のお悩みですし」
「大丈夫ですって! 最後に答えを出すのは私ですから!」
そこまで言うと、彼女は「それに」と繋げる。
その様子に暗さはなく、悩んでいながらも、まるでそれを楽しんでいるかのようだった。
「こうして彼のことを、彼との関係を想いなやむ時間もまた、とても素敵な時間だと思うのです」
「……恋をしたことがないのでわかりませぬが、そうなのですか」
「はい、とっても」
屈託のない笑顔で返し、照れるように頬を染めるマシェリ。
幼さに反発しながら、わずかにそれを受け入れている彼女の振る舞いに、スズも思わず笑みがこぼれる。
「ただ恋する故に暴走してしまった時は、みんなで止めてくださりますか?」
「承知。エイル以外の親衛隊に伝えておきましょう」
スズの答えに、マシェリはありがとうと告げて頭を下げる。
一時の憂鬱は薄れてなくなり、彼女の迷いは抑制された。
そうして彼女はスズと共に、身なりを整えて一日のスケジュールをこなすため、部屋を出る。
廊下を歩きだす二人からは、深刻な様子など一つもなかった。
「先程も言いましたとおり、午前中は経済を中心とした座学を、午後は各国毎のテーブルマナーのお勉強です」
「集中力を強く要求されそうですね。頑張らないと」
「いつも通りで大丈夫でございますよ」
気合を入れるマシェリを、スズは笑いながらなだめる。
こうして今日も、姫様の一日が始まる。
――そんなマシェリを、彼女の部屋の後ろから見つめる影が一つ。
先ほどの話を偶然立ち聞きしてしまった、彼女の父である。
「ふうむ、そんなことを悩んでいたのか」
ぼそりと呟いた彼は、顎に手をそえて何かを考え、至る。
「……ここは父として、そして男として、一肌脱がねばいけないな」
お節介な親バカは、そうして動き出すのだった。
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