第29話『舞踏会前々夜/隣国王女のアドバイス』
エイルが深呼吸することで、改まっていく空気。
紅潮していたリンも冷静を作りなおす。
そうしてエイルは、少しずつ語りだす。
「……結論から言えば、明確にこれ一つという者は見つからなかった」
「その言いかただと、いくつかは見つかったのね?」
意地悪せずに言葉を捉えるリン。
逆に言えば本質をむき出しにする彼女の言葉に、エイルは照れ臭くなってうなずく。
「じゃあ、どこが好きになったのかしら?」
「そ、そうだな……」
「照れる必要はないわ、独り言のように漏らしてくれるだけでいいの」
期待するように、リンは前のめりになる。
彼は見えない目をまばたきしながら、静かに続ける。
「まずはやっぱり、内面だな。普段は天真爛漫で人なつっこいが、公の場では王女としての品格が立っているだけで漂ってくる」
「しっかりした子だものね。私もあの健気さは好きよ」
でも……と枕詞を置き、リンは続ける。
「あの子、実は意外と引っ込み思案なのよ?」
「それはないだろ、あれだけ社交性があるのだぞ?」
「私がちゃんと会話できたの、三回目からよ?」
微笑みながら意外な事実を語るリン。
表情こそ見えないが、その言葉にエイルは驚く。
「あなたの場合は、出会った場所と経緯もあって、そういう部分が飛ばされたのかもしれないわね」
「……やはり俺は幸運だったな」
「そう思えるのも、なかなか前向きだけれどね」
話し終えると、リンは「他には」と尋ねる。
宿題提出の理由を忘れ、彼女は興味深々だった。
「知的な部分とかわいらしさのギャップがな」
「……わかるわ、それ」
二つ目の答えをきいた瞬間、リンは人差し指を突きつける。
とつぜん小突かれて驚くエイルをよそに、彼女は聞かれてもいないのに語りだす。
「さっきの話もあるけど、やっぱりあの子の魅力ってギャップにあると思うのよね。物事に真剣に取り組む鋭い顔も好きだけど、そこから解放された時のほっとした可愛さ、最高なのよ。その時に少しだけむわっと来る蒸れた頭から漂う――」
びっくりするほど理性的に、リンは気持ち悪く語る。
エイルはどうやら、彼女の地雷を踏んだらしい。
とめどないリンのリビドーを、エイルは呆れつつ聞く。
すると彼女は急にエイルを見て尋ねる。
「あなたも好きでしょう? マシェリから漂う、青い果実のような香り。アレ嗅ぐと世間の嫌なことなんて忘れられるわよね?」
同意を求められても困る質問。
だがエイルは……深く頭を下げた。
しかしその反応を見た瞬間、リンの瞳が輝く。
「それなら……エイルはマシェリさんを独り占めしたい?」
「……急になんの話だ」
「変わらず恋の話よ。少し生々しい部分になるけど」
彼女が告げた瞬間、周囲の雰囲気が妖艶に変わる。
エイルの肩にそっと触れられるリンの手。
どきりとしたエイルが払い除けようとするが、彼女は抵抗しながらささやきかける。
「私だと思わないで、この手をマシェリさんだと思いなさい」
「わ……わかった」
緊張を見せるエイルに、薄く笑うリン。
彼女は触れた手でエイルをなでながら、小さな声で続ける。
「さっきまでは中身や性格、外見的な部分の話だったわね。じゃあ容姿、外面的なものはどうなのかしら?」
「お、俺は別に、人を外面では……」
「素直になりなさい」
優しい声ながら、語気を強くするリン。
しかし彼女の言葉には、並々ならぬ説得力があった。
エイルは実際、マシェリの内面も容姿も、好きなところは上げられる。
だが後者は、恥ずかしさからあえて抜いていたものだ。
いわゆる劣情的な部分を、彼は目を瞑っていたのだ。
「あなたの目に映る、あなたの感じるマシェリさんですら、あの子のすべてではないかもしれない。だからせめて、感じ取れる全てを愛しなさい」
若干説教くさくなり、少し照れるリン。
それでも彼女の言葉は、エイルに良く伝わった。
彼の脳裏に、少し下賤な記憶がよぎっていく。
抱きつかれた時の身体の柔らかさ、腕を組んだ時に触れた胸の感触、すらりと伸びる艶めく足、柔らかそうな唇。
思い出すだけで、エイルの動悸は早くなる。
だが同時に、彼は初めて後悔した。
「……そうか。この呪いのままじゃ、彼女の姿も見れないのか」
「いまさら気づいたのね、お馬鹿さん」
優しい声で忠告し、リンはすくりと立ち上がる。
自分のあやまちに気付き、俯くエイル。
彼の姿を背に、振り向いたリンは語る。
「相手に尽くす〝愛情〟も大切だけど、相手を欲する〝欲望〟にも向きあわないと、こうやって後悔するわよ」
「……ありがとう、勉強になった」
「この一件が終わったら、目の呪いだけでも解呪してもらいなさい。マシェリの舞踏会用ドレスが見れなくて残念ね」
にこやかに告げながら、リンは部屋の扉を開ける。
外に出ながらドアを閉める彼女は、最後に一言いい残す。
「私は欲しくなったわ、あなたのことが少しだけ」
大人めいた悪戯な言葉は、エイルの心に一つのさざ波を残していった。
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