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10.クラウディア・ヴァトゥーリは叱咤する



「おにいさまったら、そんな冷静に!」

 バン、と机を両手で叩いて、硬い木に弾き返された痛みで、クラウディアが「痛いじゃないのよぉ!」と叫ぶ。


 カオスだ。


「おにいさまはやめろと言っておいたはずだ。あいつが自分で決めたことだ。俺になにかできる」


 ため息まじりに答えれば、いきり立って言葉が十倍になって返ってきた。


「でも! アレクサンドルおにいさま以外の一体誰が、ゴルドおねえさまに物を申せるというのよ! アレクサンドルおにいさまが婚約者の座に勝手に座ったんでしょう? 嫌がるゴルドおねえさまを無視して、強引に! そもそもアレクサンドルおにいさまのために、赤い悪魔ゴルド・ドルバガがゴルドおねえさまになることになったんじゃないの! なら、ゴルドおねえさまのためにできることを必死になって探しなさいよ。奔走しなさいよ。みっともなく足掻きなさいよぉ!! いたぁいぃぃ!」


 バン、と今度は拳を握りしめて机を叩いて痛いと叫ぶ。


「静かでもうるさくても敵わんな。どちらにしろ仕事にならん」


 アレクサンドルはそう呟くと煩わしそうに片手を振った。


「出ていけ。俺は、理想のダイオーサマとやらになって、ついでに可愛い嫁を貰って子供をバンバン作って幸せにならねばならんのだ。邪魔するな」


 バンバンとまでは言ってなかったかもな、と思い至って苦笑する。

 でも、たぶんきっとゴルドの主張はそういうことだ。

 受けた恩には報いねばならない。王族に対して愛ある婚姻を望むとは随分と大それた望みだと思うが仕方がない。それがゴルドの願いだというならば全力で叶えてみせる。アレクサンドルは心の中でそう誓う。

 クラウディアは自身へ向かって、シッシッと振られたアレクサンドルの指と手首を両方の手で掴むと、思い切り反対側に向かって折り曲げた。


 ばきばきぼきっ。軽快な音が執務室へと響いた。


「痛ってぇ」


 別に骨が折れた訳ではない。ただ関節が鳴っただけだ。それでも油断していた分、アレクサンドルが受けた衝撃は大きい。あと爪が食い込んでた方の手だったことも被害を大きくしたのだが、クラウディアはそれを狙ったわけではない。


「ばっかじゃないの?! アレクサンドルおにいさまの馬鹿! いいわよ、私たちでゴルドおねえさまを取り返してくるんだから! そうしたらもう二度とアレクサンドルおにいさまなんかゴルドおねえさまの婚約者だって認めて差し上げなんですからねっ!」


 泣きながら捨て台詞を吐くと、クラウディアはきた時と同じように嵐のように去って行った。


「……わたし()()? どういうことだ」


 アレクサンドルは目を眇めて手を撫で擦った。


 自分の爪で作ってしまった抉れた傷の痛みと、指を鯖折りにされた痛み。

 その痛みと、心にぽっかりと開いてしまった傷の冷たい痛み。

 どちらの方がより痛いのだろう。


「ん?」


 ぼんやりと考えていると、外が騒がしくなっていることに気が付いた。

 窓の外には大勢の人が集まっていた。


 その扇動者は、自分とよく似た黒い髪をしていた。

 真っ赤なドレスが、黒髪に映える。


「クラウディア?」


 窓の外には、つい先ほど執務室から出ていったばかりの従妹が立っていた。

 大勢の女性たちを前に鼓舞激励を送っている。


「我らが聖女、我らがアイドル、神の御遣い敬愛すべきゴルドおねえさまをお助けに参りましょう!」


 えいえいおー!

 えいえいおー!


 中央に立ち、鼓舞する女性の声に応じる賛同者の声には熱意が籠っている。

 高くつき上げられた手には、擂り粉木やフライパン、竹箒に火掻き棒など思い思いの彼女らの身の回りにあって武器になりそうなあらゆる物が握りしめられていた。

 青い空に向かって、何度も何度もそれが付き上げられ揺れている。


「いざ、参らん!」


 ゴルドちゃんを取り戻せー!

 ゴルド様を解放せよー!

 おー!


 まるで出陣するかのような声掛けだ。

 続く女性たちの鬼気迫る様子も。


「……ゴルドおねえさまなのか、ゴルド様なのか、ゴルドちゃんなのか。呼び方くらい決めておけって」


 呼び方はバラバラで装備もバラバラ。年齢も違えば、就いている職も違う。

 しかし、心を捧げる相手は同じだ。

 ゴルド・ドルバガその人の自由を求め拳を振り上げている。


『平行線上を歩いていようと、顔を向けて進む先が光ある場所ならば僥倖』


 眼下に集まった彼女らが、どれくらいゴルドと触れ合っていたのか、アレクサンドルには分からなかった。

 そこにどれほどの思いがあるのかも。アレクサンドルは知らない。分からない。


 それでも、彼女らはゴルドを教会から取り戻そうと立ち上がったのだ。


 窓枠を掴む手に、知らず力が入った。

 覚悟を決めたアレクサンドルは、愛剣を手に取り掛けてあった外套を身に纏うと、女性たちの後を追った。





ここでいう『アイドル』は、偶像崇拝の意味です。神の御遣いやからね。神を象ったモノなのねー

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