3.その婚約に、異議あり
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「うぎゃああぁあぁあぁぁぁ!!!!!!」
デチモの悲鳴が、王城内へと響いていく。
「うるさい。本当に煩いな、お前。男なら少しは我慢しないか。この俺が、手ずから治療をしてやっているというのに」
歯ぐきから浮き上がり抜けかけている歯の位置や抉れた口の内側の肉を調整し、腫れあがった頬と歯茎にあの特効薬を塗り込んでいく。
「沁みる! ぐりぐりしないでくださっ……ひあぁっ」
「うるさい。朝っぱらから変な声を出すな」
空は既に明るく、働く者の姿も増えてきていた。
昨夜の宴の影響でようやく訓練場へとやってきた騎士たちは皆、見知らぬ男の上に馬乗りになって悲鳴を上げられている敬愛すべき主の姿を遠巻きにした。
「こんな早朝から」
「ゴルド様の前で、……他の男を、手籠めに?」
「さすがというより、これは……いや、さすがとしか言い様がない」
うわぁぁあぁというデチモの悲鳴が辺りに響く。
「阿鼻叫喚過ぎる」
「なんとえげつない。さすがにドン引きです、大王様」
特効薬の効き目は素晴らしく、デチモの顔のラインはあっという間に元のすっきりとしたものに戻っていた。
だが、嫌がらせのようにぐりぐりと傷へ薬を塗り込まれたせいで相当の痛みがあったのだろう。肩で息をついていたデチモが愚痴る。
「酷い目にあった……おぉっ!」
歯茎から浮いて揺れていた歯の位置が戻ったことで空気が漏れなくなり発音も明瞭になったのだ。
自分の声が、デチモ自身にもはっきりと聞こえることに驚いて、勢い込んで頬を撫でた。
「くっ、触るとまだ痛みがあるではないか」
そもそも完治できるような薬ではない。出血と大きな腫れが止まっただけでも上出来なのだ。
「治療して貰っておきながら、その態度。やはり処刑を」
「すみませんでした! 治療ありがとうございました!」
がばりと頭を下げる。
「ふん。最初からそう言えば良かったのだ」
デチモの腹の内では怒りが渦巻いていたものの、それを表に出したとて今は分が悪いということくらい、判断がついた。
怒りを溜めこみながらも、表向き神妙な振りをして頭を下げ続けた。
「それで? 我が国へ何をしに来た、不法入国者よ」
頭を上げていいとも言われず、同盟国の王太子としての扱いもされないまま尋問が始まった。デチモの怒りが高まる。
「ぐぬぬ」
本人には見えていないが腫れは引いても、まだその顔は緑や黄色の打撲痕がカラフルに残っている。
カラフルな顔で恨めし気に睨まれたアレクサンドルは、じろりと睨み返した。
「生かして国へ帰すかどうかは、まだ決めていないぞ。密入国者」
「くっ。同じ意味なのに、密入国って言われると犯罪者っぽさが上がるのなんでだ」
「知るか、犯罪者」
「……私が、貴国へと不法に入国したことは謝罪しよう。正式な書面を求められるならば真摯に対応する」
「うむ。国に対する不法行為を、なぁなぁで済ます訳にはいかない。国交断絶すらあり得る行為であったと認めて真摯に謝罪するというならば、こちらもそれを受け入れよう」
「寛大なお心に感謝します、アレクサンドル大王よ……しかし」
これで終わると思った会話を、デチモが続ける。その瞳は挑戦的に輝いていた。
「聖女さまの奇跡により魔族を退けられたことはめでたいことだと思う。それが永続的なことなのかは検証が必要だと思うが、現時点で魔族の襲撃が無くなった事実は間違いないのだから。だがそれと同時に、聖女さまのお披露目すらされない状態で、アレクサンドル大王と聖女ルーの結婚が伝えられるなど。納得できません」
デチモは、ずっと腹に据えかねていた思いを一気に口にした。
現象として、魔族を退ける力が発動したことは知っている。だが、それに関する報告を紙切れ一枚で終わらされても納得できる訳がない。
しかも同時に、その神の御業を振るった聖女との婚姻を知らせてきた癖に、招待された訳でもないのだ。同盟国に対してあまりにも軽い扱いであると国を出る前から、デチモは憤慨していた。
その上で、聖女の扱いを知った今、デチモは義憤に駆られていた。
対魔族との戦いにおけるアレクサンドル大王の活躍は大きい。
しかし、今や正義は自分の手にあるとデチモは確信していた。
「お前に納得して貰う必要が、どこにある?」
「え?」
「我が国の将軍が、俺の生を願って自らのすべてを贄に神へと捧げ、俺を死の淵から呼び戻し、魔族を退ける力を得た。そうしてその聖女と俺が縁を結ぶこととなった。俺たちふたりの婚姻に、なぜ他国の王太子でしかないお前の了承がいる?」
「いや、その……聖女ルー!」
「え、俺?」
突然、たぶん自分を指す名前を叫んで見つめられたゴルドは、飛び火を受けたように慌てた。
駆け寄ってくるデチモが差し出した手を、回り込んだアレクサンドルが叩き落とす。
ふたりの男がにらみ合う姿を前に、ゴルドは目を白黒させていた。
不穏な空気が漂う。それなりに長い沈黙を経て、諦めたようにデチモが口を開いた。
「あぁ、なんと可哀想な聖女ルー。確かに、御身は赤い悪魔の尊い犠牲により顕現したのかもしれません。だからといって、このような可憐で華奢な少女である聖女ルーに、あのような野蛮で豪放な大男であると嘯かせるなどと。なんという非道、なんという悪逆な行為。剣を持つには不似合いな細い指に無体な訓練を強いるなど言語道断!」




