7.クラウディア・ヴァトゥーリは公爵令嬢である
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「……では、ゴルド様に新たな家名を授けると仰るのですか?」
クラウディアとしては、あまり幅を利かせそうな他家を増やすような真似を許したくない。
ならばと対案を考え、閃いた。
「あぁ! では、我が家に嫁に入られればよろしいのです。兄の妻を離縁させましょう。その後妻にとして入り、子を産んでもら……ひっ!」
視線で誰かを殺せるならば、きっと、今のアレクサンドルはクラウディアを殺せただろう。
まるで魔族と相対している時のようだとゴルドは敬愛する大王を見上げた。
黒い瞳を剣呑に光らせ、射殺さんばかりにクラウディアを睨みつけている。
「いい加減その口を閉じろ、クラウディア・ヴァトゥーリ。何故信頼する忠臣ゴルドとの婚姻を、これから国外へ追放する家に許すと考えた」
「だって、私が王妃になれなかったのはアレクサンドル従兄さまのせいではありませんか。責任を取って、せめて私だけでもこの国で王妃に」
「俺に、どんな責任があるというんだ」
アレクサンドルの怒りの声は、周囲の声に押しつぶされるように消されてしまった。
「もしかして、クラウディアさまのお味見をされた、とか?」
「お従妹さままでお味見されておきながらお捨てに? うわぁ、引く」
「でもクラウディア様は、長兄であられたグレゴアール元殿下の婚約者だったのでは?」
「うわぁ。長兄の婚約者を味見して結婚しないとか。さすがに無いでしょ」
ひそひそと広がっていく軽蔑の視線に耐えかねて、アレクサンドルが叫んだ。
「クラウディアの味見をしたのは、次兄のノーバードだ! 俺じゃない」
婚約者ですらなかったのかと、周囲が目を剥く。
「あれは、仕方がなかったのです。アレクサンドル様が、グレコアール様を告発などをして廃嫡に陥れたりなさるから。だから、私は、どんなことをしてもノーバード様の婚約者になるしかなかったのです」
さめざめと泣いてみせるが、勿論ウソ泣きだ。
次兄の廃嫡については正確なことは知らないが、長兄グレゴアールについては覚えている周囲は、それを陥れたと表現したクラウディアに冷たい視線を向けた。
グレゴアールは、成人済王族として任されていた土木事業案件の公費を横領してギャンブルに費やしていた。いつまで経っても直らない嵐で流されたまま橋や大穴が開いたままの街道では、いざという時に困ると軍を任されていたアレクサンドルが調査をして発覚した。
明らかな証拠があるにもかかわらず潔く罪を認めることなく、挙句の果てにアレクサンドルによる冤罪だ横領の真犯人はアレクサンドルだなどと醜く足掻いたために、当時の王の怒りを買い廃嫡されたのだった。
そうして、絶対に抜かせないと思っていた重石である長兄が勝手に脱落したことで次兄ノーバードは、弾けてしまった。
十年以上も仲睦まじく過ごしてきた侯爵家の令嬢という婚約者がありながら、次期王に最も近い存在となったという、ある日突然転がり込んできた手札をちらつかせて、次期王妃の選定をやり直すと嘘をついて令嬢たちを喰いまくったのだ。
勿論、婚約の解消などしていないままだ。侯爵家にもご令嬢に対しても、話題として匂わせたことすらない状態でその中のひとりの令嬢の妊娠が発覚し、次兄の最大の後ろ盾であった侯爵家は大激怒した。
妊娠したと騒いだ令嬢は男爵家の養女だった。とても次代の王妃としてどころか王子妃としてすら不適格な令嬢にまで手を出していて責任を取るつもりもなんの覚悟も持たぬまま、ただ情欲に溺れていたという事実に侯爵は激怒した。
結婚前に子供を作るような浮気者に、娘も国も任せられないと国王に直談判を行ったため、次兄も将来的には廃嫡することが決定となった。
ただし、長兄の廃嫡からたったの一年ほどしか経っていなかったため、次兄についてはその理由は極秘、その時期も未定とされた。王家の信頼に傷がつき求心力が落ちることを危惧した侯爵家から配慮の申し入れがされたのだ。
王家は侯爵家へ感謝を表し、侯爵家の令嬢に三男アレクサンドルとの婚約を提案したが、令嬢から辞退された。
今は侯爵家の家門のひとりと結婚し、一男二女にも恵まれて幸せに暮らしているという。
「お前が結婚できていないのは、お前自身の選択の積み重ねの結果だ。俺に押し付けるな」
「押し付けるなど! でも、私が王妃となるには、アレクサンドル従兄さまの正妃になるしかないではありませんか! この私に、何が足りないというのです。美しさも、後ろ盾としての家名も、私はすべて完璧です」
「だがお前は、婚約者であったグレゴアール兄上が横領をしていると知っておきながらそれを諫めることしなかった」
「それは……」
「本当に、王妃となる資質を持っているならば、王妃教育を修めたというのならば、お前は命を懸けて、婚約者である長兄を諫めなければならなかった」
「……そんなの、そんなの、公爵家の令嬢でしかない私に、できるはずが」
「では、次兄のことは? お前以外の令嬢たちにも同じことを持ち掛けていることを知っていたな。お前は最初の犠牲者ではない。むしろお前は、お前だけは自分から味見をされに行ったと次兄は言っていた」
「そのような閨での秘め事をこのような場で口にするなんて。不作法です。口が過ぎますわ」
「うるさい、黙れ。お前は王妃教育を終えた完璧だというが、俺から言わせれば、何もできない口先だけのハリボテだ。お前が私に相応しいなど片腹痛い」
「失礼です! わ、わたしが、ハリボテですって。いくらアレクサンドル従兄さまでも、許しませんよ」
「では、俺のためなら、何でもできるというのか。できるか、お前に?」
「できます! 勿論ですわ。私に、そこの女モドキの聖女に劣るものなどございませんもの。何なりとお申し付けください。必ずやご満足していただけますわ」
クラウディアは妖艶に微笑み即答しつつ、心の中でアレクサンドルの面倒くささを嘲笑う。
(突然、閨の話をしたのも嫉妬からだったのね。自分が欲しかったのに、他の男に身体を与えてしまった私への罰のつもりなのだわ。この国の王族は、好色な男ばかり。馬鹿ばかりだもの)
そっと目の前にある首へ手を伸ばそうとして、その手首を掴まれた。
「ふむ。細い手首だ。今のゴルドと同じくらいか」
「俺よりは太いですね」
伸ばされてきた白い腕と直で比較されて、クラウディアの頬が屈辱に染まる。
「ですがそもそも俺とクラウディア嬢は、身長が違いますからな。少しくらいは太くても当たり前のことでしょう」
擁護したつもりなのか、はははとゴルドから笑い飛ばされる。クラウディアはむしろ憤死するかと思った。
強引に腕を取り返そうとしたが、黒き邪神アレクサンドルの手を振りほどくことはできなかった。
魔族から突然襲われたという報が地方からは行った時、クラウディアは笑い飛ばした。
魔族など、神話にしか残らない存在だ。
野盗たちが扮装をして村を襲ったのを大袈裟に言っているだけだと父であるヴァトゥーリ公爵も言っていたので猶更だ。
それが、各国で同じ魔族による襲撃が行なわれているとお互いに救援要請を友好国相手に起こしたことで、クラウディアたちも事実だと知ることになった。
お互いに疑心暗鬼になっていて連携など望めないような状況を覆したのは、アレクサンドルのカリスマ性だった。
その呼び掛けに応じた友好国で連合軍が作られ、人間たちは反撃の狼煙を上げた。
ヴァトゥーリ家は、領地に籠ってやり過ごすことを家門として選んだ。
アレクサンドル率いる連合国軍により、少しずつ人間側の勝利報告が届くようになった。人々の中で希望が生まれてきていたこともあった。
領地は国の中央部にある。アレクサンドルの活躍で、どこから襲われたとしても自領までは来ないだろうと思われた。
だがそう上手くはいかなかった。少しずつ、再び魔族の侵攻が激しくなり、人間は領土を少しずつ削り取られて行った。
兵たちは疲弊していき、王都内でも兵士の募集が毎日行なわれていたが、もう誰も志願することもない。
このままでは、 ヴァトゥーリ公爵領にも被害が出てしまうのではないか、そんな想像をしては暗く沈んだ気持ちになった。
贅沢は目の敵にされ、舞踏会どころかお茶会すら憚られる始末で、クラウディアはうっぷんを溜めこんでいたのだ。
それが……突然、「魔族はいなくなった。聖女のお陰だ」と国から告げられたのだ。
聖女とアレクサンドルが結婚するということも一緒に公布された。
クラウディアは、天国から地獄へ突き落された気がした。
聖女は騎士団長であったゴルドの祈りにより、神より遣わされたらしい。
その命を捧げたゴルド騎士団長は死に、代わりに見目麗しい少女が神の御業とやらを行使したらしい。
どんなペテンかと思ったが、ペテンであろうとなかろうと、魔族がいなくなったことがクラウディアには重要だった。
生意気な第一王女や陰気な第二王女が友好国との連携強化の名の下に、碌な挙式も行って貰うことなく小国へ嫁していった今、この国で最も高貴な独身令嬢として覇権を握ることができると喜んだ。
豪奢なドレスを身に纏い、美しい宝飾品に囲まれて暮らせると思ったのに。
聖女などというポッと出の得体のしれぬ少女に、栄誉を奪われるなど、到底許しておけなかった。




