50話─天王寺アスカという少女
『やめぇや、離してや! ウチをどこに連れてくねん!』
『知る必要はない。お前は我々の与える任務をこなせばそれでいいのだ』
両腕を屈強な警備兵に掴まれたアスカは、理術研究院の奥へと引きずられていく。タナトスが先導し、たどり着いたのは洗脳処理を行う部屋だった。
アスカは椅子に座らされ、全身をベルトで拘束されてしまう。猿ぐつわを噛まされ、ふがふが言葉にならない声を出すことしか出来なくされてしまう。
『我々に逆らえぬよう、お前を洗脳する。その後で、このデッキに封じられたクモのモンスター『ミステリアグル』と契約し、サモンマスターになってもらう』
『ふがっ、もがむがっ?』
ガタガタ身体を揺らして暴れるアスカに、タナトスはクモのエンブレムが刻まれた群青色のデッキホルダーを見せる。
事態が呑み込めていないアスカの頭に、ヘルメットのような器具が装着される。視界が暗闇に包まれ、アスカはパニックを起こしてしまう。
『うぐ、うぐぅ~!』
『ベスティエ、やれ』
『ハッ、承知しました!』
『ぐ、うぅ~!!』
タナトスとその助手の声が聞こえた直後、アスカの頭の中を強い魔力の波動が駆け抜ける。凄まじい痛みに、アスカは声にならない叫びをあげる。
身体が痙攣し、黄色い液体が股を濡らす。二度、三度、魔力が放たれアスカの人格を破壊していく。
『後はこうして、命令をインプットして、と。タナトス様、洗脳処理完了しました』
『ご苦労。まずは浄化魔法をかけてやらねばな、匂ってかなわん。じきクレイが来る、すぐ引き渡すためにも迅速に済ませるぞ』
『かしこまりました』
暗闇の中に意識が落ちていくのを感じながら、アスカは心の中で呟く。助けて、と。だが、声にならない祈りを聞き届ける者は、この場にはいなかった。
◇─────────────────────◇
「……う、あれ。ウチ、何がどうなって……」
「ん、目が覚めたか。キルト、洗脳が解けたようだ。目に光が戻っている」
「本当!? よかった、やっぱりお姉ちゃんの血が効いたんだ!」
酷い悪夢から覚めたアスカは、ゆっくりとまぶたを開く。目に映るのは、知らない天井。そして、自分を覗き込んでくる二人の男女。
「……おたくら、誰や?」
「僕はキルト。この人はルビィお姉ちゃん。お姉さんの洗脳を解いたんだよ。大丈夫、頭痛くない?」
「あんたが、ウチを……助けてくれたんか?」
「ああ。安心しろ、我もキルトもお前の味方だ」
優しく語りかけてくるキルトたちを見て、アスカは緊張の糸が切れる。ゆっくりと身体を起こし、大粒の涙を流す。
「ウチ、ウチ……ずっと頭んなかぐわんぐわんして、自分が自分じゃなくなるんが怖くて……う、うわぁぁぁぁん!!」
「よしよし、もう大丈夫だよ。無理矢理洗脳されて怖かったよね、辛かったよね。でも、ここにはそんなことする人はいないから。だから、落ち着くまでたくさん泣いていいから……」
「う、ひっく、あああああん!!」
かつてルビィがそうしてくれたように。キルトは名も知らぬ少女を抱き締め、優しく背中を撫でる。ルビィも加わり、二人纏めて抱き締めた。
しばらくして、アスカは悲しみを全て吐き出し泣き止んだ。真っ赤に腫らした目をこすり、照れくさそうに笑う。
「二人とも、おおきに。ウチ、ようやく落ち着けたわ」
「それはよかった。……早速で悪いのだが、お前のことを知りたい。名はなんと言う?」
「アスカ。天王寺アスカ……それがウチの名前や。日本って国から、召喚されてきたんや。よろしゅうな」
「召喚……? まさか、ボルジェイの奴。『あの計画』を実行に移したの!?」
アスカの言葉を聞き、思い当たる節があったキルトは怒りをあらわにする。話についていけないルビィが問おうとした、その時。
きゅるるる、とアスカのお腹から空腹を訴える音が鳴り響いた。恥ずかしさから、アスカは頬を赤くして俯いてしまう。
「あっ……アカン、朝ご飯食べてへんから……」
「ふっ、盛大に腹の虫が鳴ったな。キルト、我がメイドに食事を頼んでこよう。彼女を見ててあげてくれ」
「うん、分かった」
ルビィが部屋を出た後、キルトはこれまでのことをアスカに説明する。森の中で、クレイに連れてこられた彼女と戦ったこと。
ラーファルセン城に連れて帰り、ルビィの血を与えて洗脳を解いたこと。それらを聞き、アスカは深々と頭を下げる。
アスカもまた、どのようにして自分が異世界へと召喚され、どのような仕打ちを受けたのかをキルトに伝える。
「……ほんま、キルトたちは命の恩人やわ。二人がおらへんかったら、ウチは……ウチは……」
「よしよし、泣きたくなったら我慢しなくていいからね。言わなくても分かるよ、理術研究院の奴らが何をやったのか。僕も、あいつらの被害者だから」
「え? それって、どういう……」
タナトスから受けた仕打ちを思い出し、涙ぐむアスカ。彼女に問われ、キルトは己の過去を話して聞かせる。
壮絶な過去を知り、アスカは絶句してしまう。自分よりも幼い少年が、想像も出来ない苦痛を味わわされた。そのことにショックを受けていた。
「キルトも大変だったんやね。……そっか、だからウチにこんな優しくしてくれるんやな」
「うん。僕はルビィお姉ちゃんに救われたんだ。身も心もね。だから、もし他の誰かが苦しんでたら。同じようにに救うって、決めたんだ。それが、僕のサモンマスターとして生きる目標だから」
「そう、そのサモンマスターのことなんやけどな」
「キルト、待たせたな。食事を貰ってきた、食べてもらうといい」
アスカが話し出そうとしたところで、料理を載せたワゴンを引きながらルビィが戻ってくる。器用に尻尾で扉を開け、室内にワゴンを入れる。
「衰弱しているだろうから、芋粥にしてもらった。自分で食べられるか?」
「おおきに。そんくらいは自力で出来るさかい、大丈夫や」
ベッドのすぐ側にワゴンを置き、ルビィは魔力を放出して皿を置くための板をベッドの上に作り出す。アスカが目を丸くしているなか、そこに粥が入った皿とスプーンを置いた。
「アスカさんって」
「アスカちゃんでええ。そないかしこまった呼び方されると背中がムズムズするんや」
「……こほん。アスカちゃんって、異世界から来たんだよね。口に合わなかったら言ってね、新しいのを作ってもらうから」
「ふふ、お気遣いありがとさん。もうおなかペコペコや、いただきます!」
スプーンを手に取り、アスカは小さく切り分けられたジャガイモが入った粥を掬う。口に運び、何度も咀嚼する。
現代日本の食事に慣れ親しんだ彼女の舌では、とても薄い味に感じられた。だが、食べる手は止まらない。
(あん時、トラックに挟まれたのをよう覚えとる。召喚されたんはウチだけ……オトンもオカンも、兄ちゃんも……もう、二度と会えへんのやな……)
思い出されるのは、家族との思い出。両親が経営するラーメン屋を手伝ったこと、テストでいい点を取って褒めてもらったこと、兄とテレビのチャンネルの取り合いでケンカしたこと。
もう二度と戻らない、平凡で平和な家族との日常を想い……また涙がこぼれ、芋粥の中に落ちる。
「……はは、ダメや。このお粥、塩っ辛くて……食べられた、もんやない……う、うう……ぐすっ、うう~!」
「何度でも、泣いていいんだよ。そう簡単に、悲しみは癒えないから。僕じゃアスカちゃんの家族の代わりにはなれないけど、寄り添うことは出来るから……」
「ひっぐ、えぐっ、ぁぁぁぁん!!!」
キルトの優しさが、アスカの傷付いた心の中に染み渡っていく。彼と出会えていなければ、アスカの心は壊れてしまっていただろう。
自分よりも幼い少年に縋り付き、アスカは泣いた。涙が枯れ果てるまで、幼子のように泣きじゃくる。そんな彼女を、ルビィは黙って見つめていた。
「くすん、くすん。アカンな、ウチの方が年上やのに。ずっとキルトに甘えてもうてるわ。恥ずかしいこっちゃで」
「気にするな、誰だって辛く苦しい時がある。そんな時は、恥も外聞もかなぐり捨てて甘えればいい。今そうしているようにな」
「ほんま、ありがとな。二人がおらへんかったら、ウチはどうなってたか……」
しばらくして、泣き切ったアスカは改めて二人へ礼を述べる。新しく作ってもらった芋粥を完食し、少しだけ明るさを取り戻せた。
「なあ、キルト。ウチな、決めたわ」
「?」
「ウチ、タナトスっちゅーのにデッキを押し付けられてん。それ使ってな、キルトに恩返しするわ。経緯はアレやけど、チートパワーを貰ったんや。それ活かさんで、異世界転移した意味ないわ!」
「ち、ちーと? チーズの種類のことかな?」
アスカの言っていることが半分くらい理解出来なかったキルトだが、これだけは分かった。彼女も、サモンマスターとして共に戦ってくれるのだと。
「いいの? 今なら、双方の合意で契約解除することが出来るかもしれないけど」
「ええんや。こういうパターンの異世界転移はな、元の世界に戻れへんのがお決まりなんや。んなら、ウチはウチの望むままにこの世界で生きる。キルトへの恩返し、それがウチの生きる目的や!」
心配そうに問うキルトに、満面の笑みを浮かべながらアスカは答える。迷いの無い声に、キルトとルビィはアイコンタクトを取り頷く。
「だ、そうだ。なら、ありがたく申し出を受けておこうじゃないか。キルトにエヴァ、フィリール、アスカ。四人が力を合わせれば、理術研究院の野望を打ち砕けよう」
「うん、そうだねお姉ちゃん。アスカちゃんをこんな目に遭わせたボルジェイたちは、絶対に許せない。必ず報いを受けさせてやらないとね!」
「ヨッシャ、ウチも全力で協力するで! 今日からウチは『サモンマスターミスティ』や! よろしゅうな、お二人さん!」
こうして、フィリールことサモンマスタープライドと、アスカ……サモンマスターミスティが仲間に加わった。この四人により、のちにとある組織が結成されることになる。
メソ=トルキアを守護するための、サモンマスターたちの連合チーム。『ガーディアンズ・オブ・サモナーズ』が。
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